表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

最後に近い空

作者: 杏藤 輝行

 青い空とそよ風に包まれた、日当たりの良いベランダのテラスで過ごす午後の時間。

 真っ赤なローズヒップティーの水面はゆらゆらと、蒸気と一緒に揺れている。

 白い雲はゆっくりと流れる河の様だったから、私はその様子を目で追う、何処まで続くか分からない上空の河の流れ。

「何を見ているんだ?」

 彼の顔が空にかぶさり、ティーに映し出される。

 その姿も空も、ゆらりゆらり揺れていた。

「雲の流れる様子よ」

「ふーん……そうか」

 陽の光りに照らされた彼の、金色の髪はキラキラ光っている。

「そんなの見ていて楽しいかい?」

 優しい笑顔をチラつかせながら、呆れた様子で問う姿も、同じくキラキラしていると思う。ティーに浮かぶ彼と空は、真っ赤だけれど。


 いつだったか彼を「嫌いだ」と言って突き飛ばした事があった。彼はそのまま倒れてしまい、花壇を作るために積んであったレンガへ頭をぶつけてしまって、血を流しながら動かなくなった。なのに病院に連れて行かれた彼は、私の事は一切言わずに、自分の不注意だと言ったのだった。

「僕にもそれ、淹れてくれよ」

 もう一つあったティーカップにそれを、ローズヒップを淹れる。私の少し冷めてしまったのとは違い、カップは熱を帯びて、ティーからは白い蒸気がぶわっと放たれる。

「どうぞ」

 差し出すと彼は、言葉の変わりにニッコリと微笑みそれを口へ運ぶが、その瞬間不思議そうな表情を浮かばせて顔を歪ませた。

「あーこれは……ローズヒップか。君、酸っぱくはないか? 蜂蜜か砂糖をくれ」

 私はこの酸味が好きなのに。爽やかというよりも、後を引くような酸っぱさが……。


 角砂糖が入っている瓶の蓋を開けて彼の方へ寄せる。

 一つずつ指で摘まみ、二個をそれの中に落とした後スプーンでゆっくりかき混ぜる。

"あ、空が消える……"

 ぼんやりとそんなことを考えた。彼のティーにも映し出されていた空が、スプーンでかき混ぜることによって、吸い込まれるように消えてゆくその様子に魅い出されて、もう半分程になってしまった自分のそれも、意味もなくスプーンで混ぜる。

 ゆらゆらがぐるぐるに変わった。渦を巻いて空を吸い込む。

気にしない振りをしていたけれど、彼の後頭部に嫌でも目が行ってしまった。あの時の痛々しい縫い合わせた傷の跡が、いつでも私に付きまとう。

"いっそのこと、庇わないでくれれば良かったのに"

 どちらにしろ、本当のことを言う勇気がなかった自分が悪いのだけれど、これは彼の私への復讐なのだろうか? 嗚呼、それなら河を流れるように、空の雲と流れて渦巻くティーの中に吸い込まれて消えてしまえ。消えてくれたらどれだけ良いか。


「うん、美味しい」

 甘くなったであろうティーを彼は美味しそうに飲むから、私はそれをかき混ぜる手をピタリと止めた。

"今度は彼に吸い込まれるのか……"

 空を吸い込んだティーを最終的に彼が飲む、いくら私が雲と一緒に流れていっても、全て捕まえてしまって私を同化させてしまう。

 つまりどこにも逃げ道はないということだ。これじゃあまるで、自由な監禁よ。世界中全てが、彼の支配下のような気さえしてきた。

 私があまりにも思いに耽って、間抜けな顔をしていたからなのか、彼は「どうしたんだよー」なんて言いながら無邪気に笑う。私とは違い幸せに満ちた、キラキラ輝く大嫌いだった笑顔で。

 そんな姿を見ていると何だかか色々とどうでもよくなってきた。もう考えるのはよそう、私も微笑む。

 ティーはもうスッカリ冷えきってしまった。それでも相変わらず、真っ赤な水面は揺れている。さっきと見方を変えれば、赤い海がそこにあるようだ。空は水面の動き、雲は波の泡……。


「なあ、君は僕を愛しているかい?」

 不意な彼の言葉。その意図は分からない。

「愛してるわ」

 たとえ大嫌いでも憎くても私はそう返事をする。

 ティーカップを握る手に力が入ってしまう、愛、だけれど憎しみにも似た服従の気持を込めたものだった。

 彼は寂しそうに微笑んだ。その気持ちが伝わったのだろうか。

「君は僕のことを恨んでいるかもしれないけど、僕はあの時も……」

 陽の光がキラキラと、彼をも巻き込んで眩しすぎるけれども、自身はそれ以上に重苦しい異様な雰囲気で、陽を遮るように存在を示している。

 ゆっくりと彼の目の前へ立つ、手が近づき私の真っ黒な髪を慈しむように指で梳く。

「……今も、君を愛している」

 囁くようなその言葉を、頭の中で繰り返しつつゆっくりと瞳を閉じた。

 最後に見たのは恐ろしいぐらいに眩しくて見えない、彼の満面の笑み。

 身体のバランスを崩され、私は後ろに倒れていく。自分の頭部が何かに当たり、鈍い音を立てた。

 一瞬の出来事なのだけれど、スローモーションで時が流ていて「愛している」の言葉と共に頭の中で何度も繰り返される。


 ティーカップが下に落ちて脆く割れた。ローズヒップティーの赤は、彼女の紅と交わる。

 最後に近い、陽の傾き始めた午後の時間。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ