コロッケとヨーヨーときんぎょのおはなし
こはるちゃんの住む町では、夏になると9のつく日に夜市が立ちます。
車の通る道の端っこと端っこに通せんぼをして、そこにずらりと屋台が並ぶのです。
金魚すくいに、ヨーヨー釣りに、スーパーボール。
どんぐりあめに、わたあめに、りんごあめ。
花火や玩具、古本や、植木を売るお店の出ることもありました。
それは、いつもはないところに一晩だけ現れる、楽しいお店ばかりです。
みんな夜市のことを、ヨウイチ、と言いました。
だから、こはるちゃんは、ヨウイチが夜市だとは、ずっと後になるまで知りませんでした。
今日はヨウイチの日で、こはるちゃんは朝からずっと楽しみにしていました。
けれど、今日は夕方になってもお母さんは忙しくて、なかなか用事が終わりません。
お風呂を済ませて、夕ご飯もいつもなら早く食べなさいと叱られるくらいなのに、今日はぱっぱと食べてしまいました。
それでも、お母さんはまだ、用事が終わりません。
まだ?ねえ、まだ?と何度も何度も尋ねていたら、とうとう、いいから、ちょっと黙ってなさい、と叱られてしまいました。
ヨウイチ、行きたいなあ・・・
叱られてしょんぼりして、こはるちゃんは窓から外を見ていました。
そのときです。
こーはーるーちゃーん。あーそびーましょー。
玄関から聞き慣れた声がしました。
いつも一緒にヨウイチに行くりっちゃんの声です。
あ。りっちゃんや!
こはるちゃんは、急いで玄関に行きました。
ドアを開けると、そこに、りっちゃんとりっちゃんのお母さんが立っていました。
こはるちゃん、遅いから迎えに来たで。
こはるちゃんの顔を見ると、りっちゃんはにこにこと言いました。
もうそんな時間やってんね。
ごめんね、なかなか用事が終わらんで。
こはるちゃんの後ろから出て来たお母さんは、エプロンで手をふきふき言いました。
なんやったら、わたし、先に二人連れて、行ってましょか?
りっちゃんのお母さんは、こはるちゃんのお母さんにそう言いました。
ほんま?
途端に元気になったこはるちゃんは、期待を込めてお母さんを見上げました。
けど、そんなん、悪いし・・・
お母さんはこはるちゃんを見下ろしながら、ちょっと困ったように言います。
それに、りっちゃんのお母さんは、ぱたぱたと手を振って言いました。
かめへん、かめへん。
うちのんも、早よ行こて、うるさいし。
こはるちゃん、相手してくれたら、わたしも助かるし。
用事済んだら、後から来はったらええやん。
そら、助かるけどな。
うちのも、早よ行こて、さっきからうるそうて・・・。
お母さんは苦笑いしてから、こはるちゃんに向かって言いました。
ちゃんと、りっちゃんと、りっちゃんのお母さんの言うこと、きくんやで?
うん、分かった。
こはるちゃんは、めったにないくらいいいお返事をして、うなずきました。
おばちゃん、大丈夫やで。
こはるちゃんは、りっちゃんが、ちゃんとこうして、手、つないどくから。
りっちゃんは、こはるちゃんの手をぎゅっと握ると、持ち上げてお母さんに見せるようにしました。
りっちゃん、ついててくれたら、おばちゃん、安心やわ。
お母さんはそう言って笑いました。
うちも、こはるちゃんついててくれたら、安心やわ。
りっちゃんのお母さんもそう言って笑いました。
***
ヨウイチに来ると、りっちゃんのお母さんは、いきなり、そうそう、と思い出したように言いました。
こないだの、大きなきゅうり、美味しかったわあ。
これ、そのお礼やから、二人で、東京コロッケ、一回ずつやっておいで。
やったあ!
りっちゃんはお母さんにお金をもらって、こはるちゃんの手を引っ張りました。
行こうや、こはるちゃん。
けれども、こはるちゃんは、ちょっと困ったように立ち止まって、首を振りました。
・・・うち、やめとく・・・
あれ?
こはるちゃん、東京コロッケ、嫌いやった?
りっちゃんのお母さんは心配したようにそう聞いてくれました。
それに、こはるちゃんは、また首を振りました。
東京コロッケは好きやけど、うち、下手くそやから・・・
東京コロッケは、お金を払うと、小さな玉をひとつくれます。
それでパチンコをして、入ったところの個数だけ、コロッケをもらえるのです。
けれど、こはるちゃんは、そのパチンコがあまり得意ではありませんでした。
いっつも、一番外れの5個になるのです。
自分のおこづかいではずれを引くのはしょうがないと思っても、よその人からもらったお金ではずれを引くのは、なんだか申し訳ない気持ちになってしまいます。
そっかあ・・・
りっちゃんも困ったようにこはるちゃんを見ていましたが、ふいに、いいことを思いついたように言いました。
よっしゃ。
そんなら、任しとき。
え?
きょとんとしているこはるちゃんの手を引っ張って、りっちゃんは東京コロッケの屋台に行くと、お金を渡して、玉を2つもらいました。
それから、りっちゃんは、2回とも自分でやって、その2回とも、大当たりの8個のところに入れました。
はい、こはるちゃん。
びっしり8個のコロッケをさした串を、ぐるぐるとソースにくぐらせてから、りっちゃんはこはるちゃんに差し出しました。
こはるちゃんは、手を振りながら後退りしました。
え?そんな・・・これは、りっちゃんが当てたのに・・・
そや。
こはるちゃんのために、当てたんや。
遠慮するこはるちゃんに、ぐいぐいと串を押し付けると、りっちゃんは自分の分をぱくりと口にほおばりました。
うん。今日もええ味やで。
こはるちゃんは、恐る恐る、りっちゃんにもらった串を眺めました。
びっしりとコロッケのささった串は、なかなかの壮観で、ずしりと重みを感じました。
うち、こんなぎょうさん、コロッケついてる串、初めて見たわ。
そら、よかったなあ。
こはるちゃん、どうぞ、召し上がれ。
りっちゃんのお母さんにも言われて、こはるちゃんは、思い切って、ぱくり、とコロッケをほおばりました。
ほかほかのコロッケの、油とソースの混じった味が、じゅっと口のなかに広がりました。
うん。めっちゃ、美味しい。
途端に、にっこにこの笑顔になったこはるちゃんに、りっちゃんもりっちゃんのお母さんも、同じようににっこにこになりました。
こんな美味しいコロッケ、食べたことないわ。
こはるちゃんが喜ぶのを見て、りっちゃんも嬉しそうでした。
***
ふたりは、コロッケを食べながら、屋台を見て回りました。
りっちゃんのお母さんは、そんなふたりの少し後ろから、ににこにことついてきてくれます。
今日はなに、しようか?
東京コロッケはもうやったし、金魚とヨーヨー、両方やる?
それとも、スーパーボールとか、やってみる?
そんなことを言いながら、一往復。
いつの間にか、りっちゃんはコロッケを食べ終わってました。
あれ?こはるちゃん、まだ食べてんの?
そやかて、嬉しいから、味わって食べてんねん。
こはるちゃんのコロッケは、まだ半分ほど残っていました。
こはるちゃん、金魚、どうする?
うち、まだ食べてるから、りっちゃん、先にヨーヨーしたらええよ。
こはるちゃんは、金魚すくいが得意で、りっちゃんはヨーヨー釣りが上手です。
ほな、そうしよかな。
りっちゃんはその気になって、ヨーヨー釣りの屋台の前で足を止めました。
ヨーヨー釣りをするりっちゃんの横で、こはるちゃんはコロッケをじっくり味わいながら、ケンガクすることにしました。
りっちゃん、このヨーヨー、いけるんちゃう?
こはるちゃんは、そう言ってみたりしますけど、りっちゃんは、ん、ん、と生返事をするばかりで、そっちを見ようともしません。
りっちゃんは、いつも、ヨーヨー釣りにイノチをカケていて、シロウトのこはるちゃんの言うことなど、まったく耳に入らないのです。
こはるちゃんも、りっちゃんの真剣なのはよく分かっているので、それ以上は邪魔はせずに、おとなしく隣でコロッケをかじっていました。
よっしゃあ!!!
長い長い沈黙の後、突然、りっちゃんがそう叫んで、立ち上がりました。
びっくりしたこはるちゃんは、大事に残してた最後の一個を、ぽろり、と落としてしまいました。
あ。
コロッケは、ころころころと転がって、ヨーヨーの水槽の下に入り込んでしまいました。
あ。ごめん。
コロッケの行方を追っていたこはるちゃんの視線に気づいて、りっちゃんがあわてて言いました。
びっくりさせてごめん、こはるちゃん。
ううん。うちが、トロクサイから・・・
そう言いながら、こはるちゃんは、しょんぼりしてしまいました。
ほんま、ごめんな・・・
りっちゃんもしょんぼりしてしまいます。
かめへんよ。
それより、りっちゃん、続き、頑張って。
こはるちゃんは、なるべく笑って、りっちゃんのことを応援しました。
りっちゃんは、こはるちゃんの顔をじっと見てから、うん、とひとつ頷きました。
それから、りっちゃんは、粘りに粘って、結局、ヨーヨーを十五個、釣りました。
五個釣ったら小さいの一個。十個釣ったら、大きいの一個、もらえます。
りっちゃんは、先に小さいのを一個取ってから、こはるちゃんを振り返りました。
大きいのは、こはるちゃんに選ばせたる。
え?いや、そんな悪いし・・・
またもやためらって後退りするこはるちゃんに、りっちゃんは、強引に言いました。
ええから。選び。
・・・分かった。
こはるちゃんは、少し迷って、りっちゃんの好きな青いのにしました。
え?こはるちゃんは、こっちやないのん?
りっちゃんは、ちょっと驚いたように、隣の赤いのを指さします。
それにこはるちゃんは、首を振りました。
りっちゃんは、こっちやろ?
りっちゃんは、ちょっと目を細めて、ふふん、と笑ってから、大きくて青いヨーヨーを、ぐいとこはるちゃんのほうへ突き出しました。
これ、あげるわ。
きゅうりのお礼。
いや、お礼なら、コロッケもらったし・・・
手を振るこはるちゃんに、強引に押し付けます。
そんなら、コロッケのおわび。
大事に大事に食べてたのに、びっくりさせて落としてもうたから。
・・・そんなん、うちがドンクサイだけやん・・・
ええからええから。
もろたってな、こはるちゃん。
りっちゃんのお母さんにも言われて、こはるちゃんはちょっと困ってから、うん、と受け取りました。
大きなヨーヨーはずしりと重たくて、そぉっと叩くと、ばつん、ばつん、と揺れました。
うち、大きいほう持ったん、初めてや。
思わず嬉しそうに見上げると、りっちゃんは、そら、よかったなあ、とにっこりしました。
それからふたりは、金魚すくいに行きました。
今度はこはるちゃんが頑張る番です。
りっちゃんは、こはるちゃんのヨーヨーを預かって、隣でケンガクしています。
こっち、こっち。
こはるちゃん、こっちの、よさそうやで?
あかんよ、デメキンは。
すぐに破りよる。
じぃぃぃぃっと狙って、ぽいっ、とすくった金魚を、銀色のお椀のなかへ入れていきます。
三十匹、すくうと、お椀がいっぱいになって、金魚が可哀そうなので、一回逃がしてあげました。
おっちゃん、これ、三十、返すからな?
りっちゃんは店番のおっちゃんに確認してから、お椀をひっくり返しました。
何匹すくったかでもらえる金魚の数が変わるから、その辺り、りっちゃんはしっかりしています。
結局、お椀三回分返したところで、とうとう、紙が破れてしまいました。
あーあ。おしまいや。
すごいやん!九十やで?
こないだは、百いったもん。
すくった金魚十匹につき、一匹もらえるので、おっちゃんは小さな袋に九匹、金魚を入れてくれました。
うわぁ・・・可愛い。
透明のビニール袋のなかで、きらきら泳いでいる金魚に、ふたりは歓声をあげました。
りっちゃん、これ、あげるわ。
こはるちゃんは、金魚の泳いでいる袋をりっちゃんに差し出しました。
りっちゃんは、びっくりしたように手を振りました。
え?なんで?それ、こはるちゃんの取ったやつやん。
さっきからもろうてばっかりやし、コロッケとヨーヨーのお礼。
そんなん、コロッケもヨーヨーも元からお礼やのに、お礼のお礼なんて、変やわ。
りっちゃんが受け取ってくれないので、こはるちゃんは、ちょっと困って正直に言いました。
うっかりもろてしもうたけど、うち、水槽とかあれへんし。
いつもやったら、金魚はもらえへんねん。
けど、りっちゃんとこ、お庭に池、あるやんか。
そこに入れて、もらえへんかな?
・・・それは、かまへんけど・・・
なんや、こんなんもろたら、またお礼、せなあかんようなるやん・・・
お礼なんか、ええて。
そもそもあのきゅうりも、ぎょうさんできたんをおすそ分けしただけやし。
りっちゃんは、ちょっと迷うようにしてから、にこっとして、金魚の袋を取り上げました。
分かった。これはもらう。
その代わり、こはるちゃん、明日から、金魚のお世話しに来なあかんよ?
え?お世話?
そうや。
こはるちゃんは、この金魚のお世話係や。
うちの池、貸したるから、金魚のお世話はこはるちゃんの仕事やで?
突然、金魚のお世話係に任命されたこはるちゃんは、目をぱちぱちさせました。
あんな、こはるちゃん、金魚のお世話はいいから、遊びに来たって?
今日かて、こはるちゃん、来えへんかなあ、こはるちゃん、来えへんかなあ、って、うるさいうるさい。
横からりっちゃんのお母さんがそんなことを言いました。
ええから!
お母さんは、余計なこと、言わんとって!
りっちゃんはお母さんが言うのを強引に遮りました。
それから、こはるちゃんのほうを振り返って、言いました。
明日から、こはるちゃんの好きなクッキー用意しとくから、ちゃんと毎日、金魚のお世話にくるんやで?約束したで?
・・・分かった。
こはるちゃんは、とりあえず、うなずきました。
ほな、ゆびきり。
分かった。ゆびきり。
ふたりは、しっかりゆびきりもしました。
金魚のお世話係は、その後、ずーっとずーっと続きました。
こはるちゃんは、最初の約束を忘れずに、ちゃんとお世話係をし続けました。
そして、こはるちゃんとりっちゃんは、その後も、ずーっとずーっと仲良しでした。
読んでいただき、有難うございました。