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95.断罪のとき

「あ……兄上……?」


 ウィルヘルム殿下が呆然と呟く。 


 瓦礫を踏んで現れたのは、ダルトア王国の王太子ダリウス殿下だった。

 ウィルヘルム殿下の兄君、そしてリズラインの婚約者でもある人だ。


「王太子殿下。お久しゅうございます」


「アリアテッサか。息災で何よりだ。私が不甲斐ないばかりに苦労をかけてしまったな」


 慌てて礼の姿勢をとったわたしに、王太子殿下は労りを含んだ口調で言った。


(信じられない……王太子殿下が、こんなに回復されてる)


 記憶の最後にある彼は、病に蝕まれ、顔色はいつも青白く、杖なしでは歩くことも困難な様子だった。

 ダリウス様の命は遠からず尽きてしまう。誰もがそう考えていた。


 それが今は、体つきこそほっそりとしているものの、しっかり二本の足で立ち、肌には生気が戻っている。

 何より目に力が漲り、将来の国王に相応しい貫禄を纏っていた。


「兄上……歩けるのか? どうして……」


「何故だろうな。少し前から体が楽になった。真の聖女がダルトアに帰還したからだろうか」


 わたしを見て、もう一度ウィルヘルム殿下へ視線を戻す。

 

「それから、弟よ。おまえの推薦で宮廷に招いた薬師を解雇したのだ。あの者が調合してくれる薬は、どうにも私には合わなかったようだから」


「!!」


 ウィルヘルム殿下の表情が凍りつく。

 王太子殿下が続けた。


「あの薬師は確かに腕利きだった。薬に見せかけた毒で私を弱らせ、命まで危うくさせられていたとは……長い間、気づかなかったよ。お前の差金だったのだな、ウィルヘルム。以前から私を亡きものにしようと毒を盛り続けていた」


「な、何を言うんだ兄上! この僕がそんなことするわけないだろう!?」


 子供のような上目遣いでウィルヘルム様が訴える。


「私もそう思いたかった。お前は兄の身を案じて良い薬師を探してくれたのだと。だが、あの薬師を召し抱えてから体調は悪化する一方だった」


「僕は本当に兄上のことを思って……だいたい何の証拠があって」


「証拠なら、ここに」


 護衛騎士たちが数葉の書状を広げて見せる。

 ウィルヘルム殿下のサインの入ったもの、それからリズラインのサインがあるもの。


「薬師がすべて白状したぞ。毒物の依頼書も押収済みだ。お前とリズラインが交わした恋文もな」


「そ……それは」


 狼狽する弟を見遣り、ダリウス様はいっそう悲しげに顔を曇らせた。


「……私が気づかないとでも思ったか。実の弟と婚約者が、密かに通じ合っていることを」 


「ああ……あ、ああ……!」


 ウィルヘルム殿下が膝から崩れ落ちる。  


「僕は……僕は悪くない。リズラインにそそのかされたんだ。僕の方が好きだって、兄上がいなければ僕と結婚してたのにって。僕が王になればいいんだって……。聖女の言うことに間違いはないと思ったんだよ。だから僕は兄上を……」


「嘘つき!」


 よろけながらリズラインがウィルヘルム殿下に掴みかかろうとした。

 ミュラーさんに制止されてもなお、身を捩って金切声をあげる。


「あなたがわたしを好きだって言うから相手をしてあげたんじゃない! 王太子殿下から奪いたいほど愛してるって言ったのは誰よ!」


「先に色目をつかったのはそっちだろう! 僕はアリアテッサに何の不満もなかったんだ。お前が余計な真似をしなければ彼女と結婚した、王の弟として兄上を支えた! 僕の人生をめちゃくちゃにしやがって……この、偽物め!」


「ひどい! あなたまで……あなたまでそんなことを……!」


 今度はリズラインが地面にくずおれた。

 

「いつだってこうだわ。アリアテッサはずるい。何もしてないくせに全部持ってるの、何も要らないような顔をして全部持っていくの。お父様もお母様も、男の人の心も……聖女の力だって! わたしは持ってない、だから奪おうと思っただけ。それの何がいけないのよ!」


 細い指が地面を掻きむしる。

 はじめて聞く、妹の慟哭。


 父や母が、わたしに関心を持っているなんて思ったことは一度もない。

 でも、リズラインには違って見えたんだろうか。両親の愛も異性からの視線も欲しいままに手に入れてきた妹なのに。


「リーズ……」


「あんたに何ができるっていうの!? 聖女でもないのに愛してもらえるなんて……選んでもらえるなんて。神のご加護って、そういうことなの? ずるい、ずるい、そんなのずるい……!」


「それは違う」


 答えたのはシルヴィオさんだった。


「彼女が選ばれる理由は他にある。リズライン殿にも、本当はわかっているだろう?」


「……っ!!」


 リズラインが息を呑み、大きく肩を震わせた。


 ダリウス様の警護の騎士が、座り込んだままの妹の腕を両側から掴む。

 ウィルヘルム殿下の方はもっと乱暴な扱いで、騎士団によって後ろ手に拘束された。


「な、何をする! 僕は王子だぞ!? ミュラー、こいつらを斬れ! 叛逆者どもだ」


 黙って見ているミュラーさんたちに向かってウィルヘルム殿下が叫ぶ。

 ミュラーさんは苦々しい表情で、それでも毅然と言い返した。


「……私がこの身を捧げるのはダルトア王国。ウィルヘルム殿下個人ではありません」


「なんだと!? 僕を見捨てる気か!」


「残念だ、ウィルヘルム。お前は兄である私の命を狙い、不当な王位継承を図った。叛逆者として処さねばならない。それが私の次期国王としての義務だ」


 ダリウス殿下の言葉に、ウィルヘルム殿下が「ひっ」と喉を鳴らした。


「兄上。まさか……」


おのれの所業に向き合うことだ。覚悟するがいい」


「ゆ、許して兄上! 僕は騙されたんだよ、主犯はリズラインだ! 偽聖女を処刑して僕は無罪でいいだろう?」


 王太子殿下が唇を噛む。そして、


「連行せよ」


「い……嫌だ! 助けてくれ、アリアテッサ! 頼む、兄上を説得してくれ! お前を愛してる!」

  

 泣き喚きながら引きずられていく、かつての婚約者。

 かけるべき言葉をみつけられないまま、その姿を見送った。こんなにも空虚な「愛してる」の言葉なんて聞きたくなかったと思いながら。


 続いて騎士たちは、リズラインを立ち上がらせる。

 妹は疲れきった眼差しを王太子殿下へと向けた。

 

「わたしには命をもって償えとおっしゃるのでしょうね、ダリウス様」


「王太子殿下! どうか……」


 思わず駆け寄ろうとしたわたしを、イルレーネ様が静かに制する。


「今は黙って、アリッサ」


「でも……!」


「気持ちはわかるわ。けれど、あなたの妹は罪を犯した。そして王太子かれの婚約者でもあったのよ」


 悲しみと冷徹さが同居する表情で、王太子殿下はリズラインを見下ろした。


「正直に言うと、少し迷っている。一人の男としても、為政者としても」


「……くだらない」


 吐き捨てるように妹が呟く。


「親の決めた相手でも、ともに歩んでいくつもりだったよ、リズライン。きみは私を愛してはくれなかったようだが」


 リズラインが、ふっと笑った。


「ええ。わたしは誰も愛したことなんてないから」


「それも嘘か」


「ご想像にお任せいたします」


 王太子殿下は首を横に振り、ため息をついた。

 それを合図に騎士たちがリズラインの腕を引く。

 歩き出したリズラインがよろけた。足もとがおぼつかないのだ。


「待って! まだ妹は体が……」


 無言でリズラインを抱き起こしたのは、ミュラーさんだった。

 そのまま腕に抱えあげ、歩いてゆく。


「リズライン!」

 

 ミュラーさんが足を止める。

 彼の腕の中からリズラインが振り向いた。


 不満そうな表情に、幼い頃の面影が重なった。

 可愛らしくて、嘘つきで。

 憎らしくて、でもやっぱり憎みきれない、わたしの妹。


「……リーズ。わたしたち、また姉妹に戻れるわよね?」


 問いかけに、リズラインは、きょとんと目を見開いた。

 でもそれは一瞬で、すぐに眉間に皺がきざまれる。 


「どこまで馬鹿なの、アリアテッサ。わたし、あんたを殺そうとしたのよ」


「でも、あなたは妹だから」


 今なら少しだけ、わかるような気がする。リズラインの気持ち。

 自分を偽ってでも手に入れたい、失いたくないものが、彼女にもあったんだと。 


 きっと、リズラインも――愛されたかった。

 その手段が、嘘をつくことだったんだ。

 愛情への焦燥と飢餓感、それが妹を偽りの聖女にした。だからといって、その行為は許されるものではないけれど。


「……馬鹿。本当に、馬鹿なんだから」


 リズラインの顔が、くしゃりと歪んだ。泣いている。


「リズライン……」


「さようなら。お姉さま」


 そう言ったきり、リズラインがわたしを見ることはなかった。


 ミュラーさんに抱かれたまま遠ざかる姿を目で追いながら、震える手でポンポンを抱きしめる。

 腕の中のポンポンが、切ない声で「きゅー」と鳴いた。


 

 


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