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91.聖なるもの

 気づいたとき、周囲は真っ暗だった。


(……わたし、死んだ?)


 何も見えないけれど、手足を動かしてみると、ちゃんと感覚がある。


(あ、生きてる)


 少しのあいだ気絶していたらしい。頭がぼんやりする。


 たしか、地下牢の天井が落ちてきたんだった。魔獣の襲撃を受けて塔ごと崩れたんだろう。

 きっと、リズラインやミュラーさん、そしてポンポンも、一緒に建物の下敷きに……

 

「きゅぅ」


 暗闇に鳴き声が響いた。


「ポンポン!?」


 ポンポンの声だ。

 妙に反響して、どこから聞こえているのかわからない。


「ポンポン! どこにいるの? ………き、きゃあっ!」


 ゴゴゴ……と地響きがして、足元が揺れる。

 まるで巨大な緞帳が上がるかのように視界が開き、頭上に空が広がった。

 

 崩れた塔の瓦礫の中に、わたしは蹲っていた。

 すぐ横の地面には、目を閉じたリズラインが横たわっている。


「リーズ! 目を開けて!」


 よびかけると、青白い瞼が、うっすらと開いた。

 唇が動く。意識はあるようだ。見たところ怪我はない。


「あ……アリアテッサ様! ご覧ください!」


 反対側の隣で上方を指さしているのはミュラーさん。埃だらけだけど、無事のようだ。

 倣って視線を上げ、息を呑んだ。


「え……?」


 とても高いところに、見たこともない生き物の頭があった。

 しかも、すごく大きい。


 大きな翼を広げ、鉤爪を備えた足で大地を捉えた巨大な生物が、漆黒の瞳でこちらを見下ろしていた。

 蛇を連想させる尖った鼻先に、馬のようなふさふさとしたたてがみ

 額には二本の角。長く伸びた首から繋がる胴体を覆う鱗は、赤銅色に輝いている。

 体長は、さっきまで建っていた石塔くらいはあるだろうか。


「……あれは……ドラゴン……!?」

 

 ミュラーさんが呆然と呟くのが聞こえた。


 自分の目が信じられない。

 古い研究書でしか知らなかった伝説の存在。

 でも今、向き合っている生き物は、聖獣・ドラゴンそのものだった。


「きゅう」


 ドラゴンが、妙に可愛い声で鳴いた。ただし大音量。


「ポンポン? ……あなた、もしかしてポンポンなの!?」

 

「きゅー!」


 嬉しそうに目を細め、ドラゴンが顔を上に向けた。

 風貌は全然違っていても、その仕草には見覚えがありすぎる。


「やっぱりポンポンだわ! よかった、生きてたのね!」


「アリアテッサ様のネズミが、ドラゴンに変化した? 我々を助けてくれたというのか……」


 にわかに飲み込めない話ではある。

 でも、間違いない。このドラゴンはポンポンだ!


 ダルトア王国を出てから、少しずつ姿を変えていったポンポン。

 どんなときも一緒にいてくれた、大切な友達のポンポン。


 プレスターナで出会った星読台のエルガド長官は強い興味を示し、ポンポンの正体に心当たりがあると言った。

 そのときに聞かせてくれたのが、遠い昔に存在したという、小動物の姿から変化へんげするドラゴンの話。


 その予想が、まさか当たっていたなんて!

 塔が崩れたあのとき咄嗟に変化へんげし、大きな翼を広げて、みんなを守ってくれたのだ。


「ありがとう、ポンポン。本当にありがとう」


 長い首を曲げ、頭を垂れたポンポンの大きな鼻先を抱きしめる。

 もふもふの鬣からは、たしかにポンポンの匂いがした。


「アリアテッサ! ミュラー! た、助けてくれ!」


 声のするほうに目を向けると、瓦礫の間に這いつくばるウィルヘルム殿下の姿が目に入った。

 建物の倒壊に巻き込まれながらも一命をとりとめたようだ。


 ミュラーさんが駆け寄り、足の上に載った大きな壁の破片を持ち上げる。

 土埃に塗れた姿で這い出したウィルヘルム殿下が、半狂乱で喚いた。


「あ……あの化け物は何だ? 魔獣かっ!?」


「落ち着いてください殿下、あれはドラゴンです。アリアテッサ様が可愛がっていらしたポンポンの変化へんげした姿ですよ」


「あの汚いハリネズミが聖獣だった……だと? で、では、僕たちに害をなすものではないのだな」


「そのようです」


 ひとまず安心したのか、殿下は地面に胡坐をかき、悪態をつきはじめた。

 

「くそっ、牢番め、僕より先に自分だけ逃げやがった。ミュラー、あいつを探して連れもどせ! 不敬罪で死刑にしてやる」


「殿下、今はそれどころでは」


「僕に命令するな!」

 

 ヒステリックに怒鳴る、かつての婚約者。

 不思議なほど冷めた気持ちで見つめている自分がいた。


(……こんな人だったかしら)


 こんな人だったんだろう。ずっと前から。

 彼に恋をしていたわたしは、子供だったのだと思う。


 ――今、わたしが想う人は、やっぱり彼じゃない。

 好きになれたことを誇りに思える人だった。


 ポンポンが頭を上げ、鋭く鳴いた。

 いつもの可愛い声とは違う、馬の嘶きに似た警戒の響きだ。


 見上げた空を横切る大きな影。

 いつか森で見たのと同じ……いや、何倍も大きな有翼虫型の魔獣が群れをなして旋回していた。

 あの数で体当たりされたら、古い塔なんて全壊して当然だ。


 もういちど鋭く鳴いて、ポンポンが宙へと舞い上がった。

 風圧に飛ばされそうになりながら、まだ意識がもうろうとしているリズラインの体を支える。


「ポンポン……!」


 翼を広げたポンポンが魔獣の群れへと突っこんでいくのが見えた。


 ギイィィ――

 耳障りな鳴き声を発して、黒雲が割れるように魔獣の群れが分断される。


「闘おうっていうの!? 無茶よ、ポンポン!」


「アリアテッサ様、ここは危険です。王宮へ退避を! リズライン様は私が運びます」

 

 リズラインを抱き上げて、ミュラーさんが言う。


「でも、ポンポンが!」


「あなたが本物の聖女なのでしょう、アリアテッサ様。だからこそ聖なる存在はあなたを選び、ともに居た。あのドラゴンは、加護の最たる姿ではないですか。あなたが死んでしまったら、ポンポンも力を失ってしまうかもしれない」


 上空では、ポンポンと魔獣が激しい攻防を繰り広げている。

 体はポンポンの方が大きいけれど、相手は十匹以上の群れ。その上、どこからか新たに集まってくる。


「ミュラー隊長! アリアテッサ様も、ご無事でしたか!」


 剣を手に必死の形相で駆け寄って来たのは、ミュラーさんの部下の騎士たちだった。

 プレスターナからここまで、わたしの移送に携わっていた人たちだ。

 みんな怪我をしている。血だらけだ。


「隊長、まだ王宮が残っています! いったん退きましょう」


「国王ご夫妻と、王太子殿下は」

   

「王宮の地下室に避難していただいています。しかし、魔獣の数があまりにも多く……我々だけでお守りできるかどうか」


「プレスターナからの援軍はどうなっている?」


 若い騎士の顔が泣きそうに歪んだ。


「王都へ迫っていたと聞いていますが……この様子では、全滅していてもおかしくありません」


「そんな!」


 思わず声が出た。

 プレスターナ軍の先頭を担っているのは——シルヴィオさんだ。


「きゅー!」


 苦しげな鳴き声が響き渡った。

 何匹もの魔獣に食らいつかれたポンポンが、空中で巨体を捩っている。


「ポンポン、逃げて!」


 ドラゴンに姿を変えたからって、ポンポンは戦い方なんて知らない。ついさっきまでハリネズミもどきのおチビさんだったのだ。 

 戦い方を知らないのは、わたしも同じ。

 いきなり聖女だなんて言われても、どうしていいかわからない。


ドラゴンが!」


「聖獣が……喰われてしまう……」


「弱気になるな! 聖女様が生きていてくだされば希望はある。アリアテッサ様をお守りするんだ!」


 ミュラーさんが檄を飛ばした。

 

「うわっ!?」


 背後で騎士の一人が叫び声を上げる。

 低空を滑降してきた魔獣の牙が、彼の肩を引き裂いたのだ。


「大丈夫か!」


「お、俺に構わないでください。アリアテッサ様だけでも安全な場所へ……」


 血が噴き出す肩を手で押さえ、若い騎士は地面に膝をつく。


「そんなのだめです! 一緒に行きましょう」


 走り寄って肩を支える。

 傷口が黒く膿んでいた。魔物につけられた傷は、見た目より深く体を蝕むのだ。


「うぅ……ありがとうございます、聖女様……」


 若い騎士の目尻に涙が滲んだ。


 ふたたびポンポンの呻き声が響いた。

 もう姿が見えないくらい多くの魔獣に纏わりつかれている。

 別の何体かがわたしたちを狙い、低い位置で旋回を始めた。


(このままだと本当に、みんな死んじゃう)

 

 わたしが真の聖女って、本当なの?

 それなら何故、こんなことになっているの?

 みんなが、信じてくれているのに。


 恐怖と焦りで眩暈がする。


(わたし、どうしたら……!)


 ミュラーさんの腕の中にいたリズラインが、ふと目を見開いた。

 さっきまで焦点の合わなかった瞳に光が宿っている。


「……リーズ?」


 人生の殆どを聖女と崇められて過ごした妹は、こちらを見つめ、しっかりとした口調で言った。


「自分を信じればいいの、アリアテッサ。彼らがあなたを信じるように」




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