90.悲しい真実
「リーズ……な、に、……するの……!」
衰えているはずの細い腕が、信じられない力でわたしの首を絞めあげてくる。
大きな目をさらに見開き、リズラインが喚いた。
「いなくなってよ、アリアテッサ! もう死んで、お願いだから!」
「や……やめ……」
「こんなはずじゃなかったのよ。ねえ、どうして修道院に着く前に死ななかったの? どうして野盗が死んで、あんたは生きてるの? 異国の貴族に拾われて幸せですって? 気持ち悪いのよ、さっさと死んでよっ!」
「……!!」
リズラインは知ってる。
修道院への道中に何があったかを。
残された状況証拠からは、馬車が魔物に遭遇したと推測はできても、野盗に襲撃されたことまではわからなかったはず。
それなのに——
「あ、あなたが、指示を? どう、して……?」
「神官長が言ったのよ。双子の魂は元は一つ。それって一人が死ねば、もう一人に加護が移るっていうことでしょう? そういうことよねぇ!?」
「そ……んな……!」
「全部あんたのせいよ。あの時おとなしく死んでくれてたら、ダルトアは今こんなことになってないのよ! あんたがいなくなれば、みんな喜ぶ。あんたさえいなくなれば、わたしが本物の聖女になれるの!」
「リー、ズ……やめ……くるし……」
懇願など聞こえないかのようだ。
わたしの首に体重をかけながら、妹は続けた。
「子供の頃からわかってた……加護を持ってるのはアリアテッサだって。わたし一人じゃ儀式も祈りも効果がないんだもの。当のあんたが気づかなかったなんて馬鹿もいいところよ。ああ、馬鹿なのはあんただけじゃなかったわね。誰も気づかなかった、あの神官長以外は」
「う……嘘、でしょ……」
聖女の認定を誤ったと、泣いて詫びていた神官長。
失脚を怖れ、自分の過ちを隠蔽しようとしたのか。それともリズラインに脅されていたんだろうか。いったい、いつから。
「別に構わなかったのよ? 神官長は口外しないと約束したし、アリアテッサが付き人でいる限り真実は知られない。でも、あんたが王妃になるなんて……わたしより幸せになるなんて許さない。アリアテッサは一生リーズの影、リーズのお世話をしなくちゃ駄目なのよ。影じゃないなら要らないの。最後にその加護、ちょうだい!!」
目の前で爛々と光るリズラインの双眸。
その奥に揺れる闇は、夜よりも暗い。
抵抗する力が抜けていく。
我ながら愚かだと思う。でも。
どこかで信じていたかった。わたしを殺そうとしたのは妹じゃないと。
もしも、そうだったとしても。また赦しあい、わかりあえるという希望に縋っていたかった。
聖女だとか、婚約者が誰だとか、未来の王妃の地位だとか。
複雑な要素が絡み合って、すれ違ってしまったけれど、死を願うほどの憎しみなどないと思いたかった。
姉妹、なんだから。
幼い頃から、リズラインには何度も傷つけられてきた。
でも今が、いちばん悲しい。
「あははは!」
弾けるような笑い声が響いた。
傍観を決め込んでいたウィルヘルム殿下が、身を捩って笑っているのだ。
「これは傑作だ! 聖女あらため世紀の悪女リズラインか。姉を殺してまで王妃になりたかったとはな」
檻の外に置かれた椅子にどっかと腰をおろし、足を組む。
「いい眺めだ。どうした、アリアテッサもやり返せ。加護が移るなら生き残った方を妃にしてやるぞ。どちらが死のうが同じことだ」
「ウィ、ル、……」
なんて、滑稽なんだろう。
妹は、とっくに自分が聖女でないことを知っていた。
かつて婚約者だった人は、血を分けた姉妹に殺し合えという。
(こんな光景を見るために、ダルトアに帰って来たんじゃないのに……!)
「きゅー!」
甲高い鳴き声をあげ、ポンポンがポシェットから飛び出した。
いつかの悪夢の中のように、リズラインの腕にガブリと噛みつく。
片手を振り上げ、リズラインはポンポンを力いっぱい払い除けた。
「汚らわしいネズミ! お前も死ね!!」
赤茶色の小さな体が石の壁にたたきつけられる。
(ポンポン!!)
床に落ちたポンポンは、ぴくりとも動かない。
(ポンポン、死んじゃったの!?)
息ができない。
意識が遠くなる…………
「殿下! ウィルヘルム殿下!!」
大声で呼びながら地下牢の階段を駆け下りてきたのは、騎士のミュラーさんだった。
ウィルヘルム殿下が舌打ちをする。
「ミュラー、入って来るなと言っただろう」
「畏れながらご報告申し上げます。王都上空の結界が消滅、有翼魔獣の群れが飛来しています! この塔も危険です、ただちに避難を!」
「なんだと? ここには本物の聖女がいるんだぞ。そんなことが起こるはずが……まさか、リズラインがアリアテッサに危害を加えたからか!?」
狼狽の声を掻き消すように、みしみしと音をたてて建物が揺れ始めた。
低い天井から木や石の欠片が降ってきて、体に当たる。
「皆さま、お早く! 塔が崩れます!」
「いっ、生き埋めはごめんだ!」
一目散に駆けだす牢番とウィルヘルム殿下。
リズラインも、ハッとしたように手を緩めた。
隙を逃さず突き飛ばし、床でぐったりしているポンポンに駆け寄る。
「ポンポン!」
小さな体に手が届く前に、轟音をたてて地下牢の天井が落ちてきた。




