表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

88/105

88.真の聖女

「ウィル、ヘルム様……?」


 恐怖を感じて後じさった。

 反対に、ウィルヘルム殿下はわたしの手首を掴む腕に力を入れ、引き寄せる。


「僕には最初からアリアテッサしかいなかったんだ。手放したのは間違いだった。やり直しだ、今すぐ妃にする」


「今さら、何を……あなたはリズラインと結婚すると言ったじゃありませんか」


 うつろな瞳をこちらに据えたまま、ウィルヘルム殿下は首を横に振った。


「僕はリズラインに騙されていた。アリアテッサ、お前もだ」


「どういう意味です?」


「もともと聖女なんかじゃなかったんだよ、あの女は。僕たちはずっと欺かれていたんだ。リズラインと、あの老いぼれに!」


 口調を荒げる殿下の背後で、謁見室の扉が開いた。

 両手を後ろに戒められた年配の男性が、ミュラーさんたちに引き立てられて入って来る。


 力なく床にくずおれたその老人は、神官長だった。

 十年前、リズラインを聖女と認定し、王都に迎えた人だ。しばらく会わない間に、いっそう年老いてしまったように見える。

 

 わたしを見上げ、神官長は涙を流してかきくどいた。


「ア……アリアテッサ様! お許しください。あのとき私が聖女の認定を誤ったばかりに、貴方様にお辛い思いを……!」


「聖女の認定を、誤った?」


 神官長が顔を伏せる。

 代わりに、ウィルヘルム殿下が吐き捨てるように言った。


「真の聖女は、アリアテッサ、お前だったんだ」


「……え……?」


「この節穴神官長め、今になって聖女はアリアテッサの方だと言い出しやがった。お前が去ったおかげでダルトアは災厄に見舞われていると。常にリズラインと一緒にいた姉のお前にこそ、神の加護があったのだとな!」


 何を言われているのか、わからなかった。

 わたしが、真の聖女――?

 

「笑えるよ、まったく。俺も兄上も、アリアテッサ、お前も! 国じゅうがリズラインと、このじじいに騙されていたんだ!」


「あ、欺くつもりなどございませんでした! 私とて聖女が双子で生まれるなど聞いたこともなかったのです。おふたりのどちらが加護の持ち主なのか、見誤ってしまった……決して故意ではなかったのです。むしろ私は、リズライン様に思いとどまるようにと……」


「思いとどまる? 何をです?」


「お、恐ろしい方です、リズライン様は。あの方はアリアテッサ様を」


「誰が勝手に喋っていいと言った!」


 やっと手を離したウィルヘルム殿下が、神官長の脇腹を蹴り上げる。


「やめてください!」


 神官長に覆いかぶさったわたしを、殿下はふたたび力づくで抱き起した。


「お前もこいつが憎いだろう。好きなだけ殴るといい、俺が許す」


「そんなこと、したくありません」


「ああそうか、お前は本当に優しいな、アリアテッサ。僕のことも許してくれるよな? 僕たちはもう一度愛し合うんだ。お前も嬉しいだろう?」


「い……いや!」


 顔を近づけてくるウィルヘルム殿下から逃れるため、全力で身を捩る。

 彼の瞳に、たちまち剣呑な光が宿った。


「こいつ、前は僕の顔色ばかり窺っていたくせに! プレスターナの男に骨抜きにされたか!」


「きゃあっ」


 今度は思い切り突き飛ばされる。

 ポンポンをかばったせいで顔から床に倒れ込んだわたしを、ミュラーさんが慌てて助け起こしてくれた。


「殿下、聖女様に乱暴はなりません」


「うるさい! お前まで僕に逆らうか、ミュラー!」


 地団駄を踏んで怒鳴り散らすかつての婚約者の声を聞きながら、呆然とポンポンを抱きしめた。


 これは、現実?

 聖女の選定を誤った、って。

 リズラインは聖女じゃなかった、って。


 妹は、知っていたの?

 それとも、ずっと自分が聖女だと信じていた?

 もしもそうなら、あの子だって……


「さあ来い。結婚式の準備だ」


 伸びてきたウィルヘルム殿下の手を思いきり払う。


「リズラインに会わせて!」

 

「まだ逆らうか、この……!」


 振り上げられた手をミュラーさんが止める。

 力ではかなわない第二王子は大きく舌を打ち、またこちらを睨んだ。


「おまえはリズラインに陥れられた。ありもしない暗殺計画の犯人に仕立て上げられたんだからな。憎んでいるはずだ。あんな女、死ねばいいと思っているんじゃないのか」


「妹の嘘には、たしかに苦しみました。でも……あの子の死を願ったことはありません」


 怒りの感情が一切ないわけじゃない。

 でも憎む前に、どうしても確かめたいことがある。


 ウィルヘルム殿下が弾かれたように笑い出した。


「ああ、僕のアリアテッサは世界いち優しい。そして愚かだ。自分が何をされたのかもわかっていないとは!」


 目の前で嘲笑する元婚約者の姿が、ひどく醜く見える。

 わたしに婚約破棄を言い渡したあのとき、はっきりと彼は「リズラインを愛している」と言ったのに。


「ウィルヘルム様……リズラインを好きだったのでしょう? 兄君の王太子殿下から奪ってまで結婚したかったのでしょう? お怒りはわかります。でも、どうして今になってわたしと……」


「おまえが『聖女』だからだよ、アリアテッサ」


 悪びれもせず、ウィルヘルム様は答えた。


「この僕にとって価値のある女だからだ。一生、僕の役に立て。その代わりどんな贅沢も許してやる。隣国の男との不貞もなかったことにしてやるぞ」


 ――『価値のある女』。

 その言葉は、乾いた響きをともなって胸の底に落ちた。


 価値のある女。

 わたしはずっと、そうなりたかった。

 誰かにとって役に立つ人になりたかった。何もない自分が嫌だった。


 だけど。

 シルヴィオさんは、わたしに「役に立つこと」なんて求めなかった。

 偽りの婚約が必要なくなっても、守ろうとしてくれた。

 

 そう。

 彼は何も、わたしに求めなかったのに――。


 あの人から離れて、いま、わたしは何をしてるんだろう。


 このままリズラインと顔を合わせることもなく、彼女を闇に葬って、ウィルヘルム様と結婚する?

 そんなこと、わたしは望んでない。


 リズラインに会いたい。話がしたい。

 そして何が起きているのかを、ちゃんと知りたい。


「妹に会わせてください。すべてはその後です」


 絞り出した言葉に、ウィルヘルム殿下がニヤリと笑った。

 わたしの腕を掴み、強引に立ち上がらせる。


「まあいい。その善人面を妹の前でも保っていられるか、見物といこう」


 彼に引きずられるようにして、わたしは謁見の間から連れ出された。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ