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86.交換条件

「……戻る?」


 意外すぎる言葉に頭がついていかない。

 

「きゅ?」


 ポケットから顔を出したポンポンも、こてんと首を傾げている。


 てっきり殺されるんだと思った。

 ダルトアでは、わたしは罪人。しかも修道院への移送途中で消えているのだから、逃亡者扱いされている可能性もある。


 そんなわたしを前にして、ダルトア騎士団の制服を着た男性は礼儀正しく名乗りをあげた。

 

「私はダルトア王国騎士団所属ライエ・ミュラー。アリアテッサ様の護衛を拝命賜りました」


「……以前、お会いしていますよね。たしか魔獣討伐班の」


 記憶を探りながら問いかける。

 男性は初めて唇の端を上げ、うなずいた。


「さすがはアリアテッサ様、覚えておいででしたか。光栄です」


 ミュラーさん。

 過去にリズラインと赴いた魔獣討伐の現場で、聖女の護衛を務めてくれたエリート魔法騎士集団の一人が彼だったはずだ。


 ふたたたび表情を引き締め、ミュラーさんは話しはじめた。


「ここまでの非礼、お詫び申し上げます。恐ろしい思いをされたことでしょう。どうかお許しを。アリアテッサ様は名前を変え、プレスターナの魔法騎士長の庇護下におられました。正面からお戻りを願い出ても、お聞き届けいただけないのではと考えたのです」


「……そこまでご存知なんですね。ずっとわたしを探していたんですか?」


「いいえ。アリアテッサ様は亡くなられたものと考えられていました。修道院への道すがら事故に遭われたのだと。ところが三月みつきほど前、リズライン様が、あなたは生きていると言い出された。何度も夢に見る、啓示だと……それで捜索を開始したのです」


「では、わたしを連れ戻せと命じたのはリズラインなんですね」


「違います。我々はウィルヘルム殿下の命を受けて参りました」


「ウィルヘルム様の!?」


 ウィルヘルム殿下。わたしを捨てた婚約者。

 二度と顔を見たくないとまで言われたのに、わざわざ他国にまで騎士団を派遣し、連れ戻そうとするなんて。

 改めて投獄するつもり?

 もしかして、修道院へ向かう途中の襲撃も彼の仕業だった——?


「ウィルヘルム殿下よりのご伝言をお預かりしております。『ダルトアへ戻ってほしい。もういちど自分を支えてもらいたい』と」


「殿下が、そんなことを?」


 にわかには信じられない。

 こちらの反応を確かめるように少しの間を置き、ミュラーさんは続けた。


「ウィルヘルム殿下はご自身の行いを深く悔いておられます。ですから」


「できません」


 相手の台詞が終わらないうちに、思ったままの言葉が口をついて出た。

 

 一緒にいたときより、今のほうがわかる。

 ウィルヘルム様の中には、わたしに対する感情なんてなかった。いまさら必要とされるなんて、ありえない。


 騎士たちの顔に失望が走る。

 その落胆ぶりに心の痛みを感じながらも、言いつのった。


「勝手を言ってごめんなさい。でも、わたし今、診療所で働いていて……患者さんがたくさん運び込まれて苦しんでるんです。いま離れるなんてできません。それに……」


「それに?」


「ミュラーさんもご存知でしょう? 殿下のお傍にはリズラインがいるはずです。殿下をお支えするのは彼女です」


 悲しげな色を目に浮かべ、ミュラーさんは首を横に振った。


「聖女様は、もう長いこと我々の前にお姿をお見せになりません。国民の間にはリズライン様がお隠れになったという噂まで出回りはじめております」

 

「リズラインが……し、死んだっていうんですか!?」


 夢に現れた妹の、痩せ衰えた姿を思い出す。

 やっぱり、リーズの身に良くないことが起きていたの?


「リズライン様はご存命です。ただ王宮の奥深くからお出ましにならないのです」


「病気ですか? それとも他に理由が?」


「アリアテッサ様のお戻りを願っているのはウィルヘルム殿下だけではありません」


 質問には答えず、ミュラーさんは一段と頭を低くした。

 

「ダルトアは魔獣の侵入を受け、危機的状況にあります。あなたが必要です、アリアテッサ様。どうかお戻りください。そして皆を救っていただきたいのです」


「お願いいたします、アリアテッサ!」

「どうかダルトアにお戻りください!」


 他の騎士たちも声をあげる。


「みんなを救う? ただ聖女の付き人だったというだけの人間に何を求めているんですか?」


「何度も申し上げている通りです。アリアテッサ様、ダルトア王国へお戻りを」


「はぐらかさないでください、ミュラーさん!」


 苦々しげに目を細め、ミュラーさんが顎を引く。


「もうひとつ、ウィルヘルム殿下からのご伝言があります。――アリアテッサ様がプレスターナに残られる場合、リズライン様のお命の保証はできかねると」


「……いま、なんて」


 リズラインを殺す、と聞こえた。

 妹の存在は最大の国益のはずなのに。


「リズラインは聖女です。それに……殿下は彼女を愛しているはずでしょう!?」

 

「私の口からはこれ以上申し上げることは叶いません。ウィルヘルム殿下とお話しください」


 感情が消えた声で言い放ち、ミュラーさんが立ち上がる。

 膝を折っていた騎士たちも起立し、わたしを取り囲んだ。


「ち、近寄らないでください。戻るなんて言ってません!」


「妹君を見捨てるおつもりですか。大切な診療所のお仲間のことも」


「どういう意味です?」


「あなたを取り戻すためならば我々はどんな手段も厭わない。別働隊がブレストンに潜入しています。診療所の近くにも」


 ぞっと鳥肌が立った。

 

「まさか……デニス先生や子供たちに危害を加えるつもり!?」


「一般人の犠牲は本意ではありませんが。仕方がない、ただちに伝令を送るとしましょう」


 その言葉を合図に、騎士のひとりがフードを被りなおし、ひらりと身を翻した。


「待って!」


 わたしの叫びに、騎士の足が止まる。


「アリアテッサ様。ダルトアに、お戻りいただけますね?」


 低く問いかけるミュラーさんの声。

 瞳の奥に揺れる、強く、仄暗い意志。目的を達成するためなら彼は……彼らは、きっと何でもする。


 わたしの人生と、大好きな人たちの命が天秤にかけられている。

 理不尽すぎる交換条件。だけど、どちらかを選べといわれたら……答えは一つしかない。


「…………わかりました」


 ミュラーさんの表情に光がさす。

 同時に、声にならない安堵の息が他の騎士たちの唇から漏れた。


「感謝いたします、アリアテッサ様。必ずや、あなたを無事に故郷へお連れいたします。我々の命に代えても」


 ミュラーさんが敬礼をすると、騎士団全員がそれに倣った。


「まいりましょう。アリアテッサ様」


 馬車の扉が開く。

 修道院へ移送されたときとは大違いの、立派で清潔な車体。

 だけど、わたしにとっては巨大な檻だ。


(この馬車に乗りこめば、わたしはアリアテッサに戻る)


 終わってしまう。

 アリッサとして過ごした日々が。


「アリアテッサ様?」


 見かねたミュラーさんが、わたしの体を抱えあげようとした。

 手を上げて拒絶する。


「自分で乗ります」


 天鵞絨張りの座席に身を置くと、すぐに扉は閉められた。

 馬に鞭を当てる音。

 車輪がきしみ、動き始める。


「きゅー」


 ポケットの中から鳴き声が聞こえた。


「……ポンポン」

 

 温かい体を抱きしめる。


 ぽつん。

 透明な雫がエプロンに落ちた。

 プレスターナで出会った人たちの顔が、脳裏に浮かんでは消える。


 エイダさん。

 ユストさん。

 ブルーノさん。

 

 イルレーネ様。

 ハンスさん。


 ルティ、カティ、子供たち。診療所の患者さんたち。

 デニス先生。

 みんな、みんな、もう会えない。


 それから……


(――さようなら、シルヴィオさん)


 いつかは、お別れしなくちゃいけない人。

 偽りの婚約が終わる日が遠くないことも、わかってた。

 離れると、自分から決めた。でも。


(こんなかたちで会えなくなるなんて……)


 最後に会ったのは、流星群の夜。 

 あの笑顔を曇らせたまま、わたしは彼から遠ざかっていく。二度と会えない場所へ。


 服の上から、ペンダントにした指輪にそっと触れる。


(せめて、この指輪を彼に返したかった)


 リーンフェルト家に伝わる大切な品。

 シルヴィオさんが、お守り代わりに預けてくれたものだったのに。


 涙が溢れてとまらない。

 はじめて、わかった。

 胸が張り裂けるって、こういうことなんだ。




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