82.悪夢、そして悪夢以上の
暗闇で膝を抱え、リズラインが泣いている。
弱々しく響く声。
『たすけて……アリアテッサ』
いつも見る夢。
もしかしたら、ただの夢じゃなかったのかも。リズラインはずっと、わたしに呼びかけていたのかも。
嘘つきのリズライン。
わたしからすべてを奪ったリズライン。
だけど、彼女はたったひとりの、血を分けた妹。
「リーズ……」
おそるおそる名前を呼んだ。
リズラインが顔を上げ、ぎろりと睨む。
青白い手が伸び、避ける間もない早さでわたしの腕を掴んだ。
「リーズ!? は、離して!」
「逃がさないって、言ったでしょう」
乾いた唇から低い声が漏れる。
暗闇の中、爛々と光るふたつの瞳。
その奥に、紛れもない憎しみの炎が燃えていた。
突然、小鳥が羽ばたくような音とともに、丸みを帯びた小さな物体が目の前を横切った。
「きゅー!!」
「ポンポン!?」
リズラインの腕にしがみついていたのは、ポンポンだった。
小さな口を精いっぱい開け、ドレスの上からガブリと牙を立てる。
リズラインが苦痛に顔を歪めた。
その一瞬の隙に妹の手を振りほどく。
反動で尻餅をついたわたしの腕の中へ、ポンポンが飛びこんできた。
「この汚いハリネズミ……! おまえが……おまえが悪いんだ!」
喚いたリズラインが、ゆらりと立ち上がった。
そのまま倒れるように掴みかかってくる。
「!!」
思わず目を閉じたとき、世界がぐるりと回転した。
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目を開けて、いちばん最初に視界に入ったのは、至近距離からこちらを見下ろしているポンポンの顔だった。
「きゅー!」
胸に飛び込んでくるポンポン。
夢と、同じ。
わたしがいたのは、診療所の一室に置かれた簡易ベッドの上だった。
弱い光が窓から差し込んでいる。どうやら今は昼間のようだ。
「……ありがと、ポンポン」
上体を起こし、あたたかい体を優しく抱きしめる。
なぜだか、いまの夢をポンポンも共有しているような気がしてならなかった。
「アリッサ! 目が覚めたんだね!?」
「うわーん、アリッサー!」
半泣きで抱きついてきたのは、ルティとカティの姉妹だった。ベッドのそばで付き添っていてくれたらしい。
「ルティ、カティ……わたし、どうしてたの?」
二人に尋ねる。
姉妹は疲れきった顔を見合わせ、口々に言った。
「おぼえてないの? アリッサ、流れ星を見たあとに倒れちゃったんだよ」
「まるまるみっか、目を覚まさなかったんだよ!」
「三日!?」
ガタン、と大きな音が聞こえた。
音のしたほうを見ると、部屋の入り口にエイダさんが立っていた。彼女が取り落とした木製のたらいが、コロコロと床を転がっていく。
「アリッサ、さま……!」
エイダさんの目から涙が落ちた。
「エイダ、あたしたちデニスせんせいをよんでくるね!」
「せんせー! デニスせんせー、アリッサがおきたよー!」
大声で叫びながら、ルティとカティが部屋を飛び出していく。
入れ替わりに、今度はエイダさんに抱きしめられた。
「よかった、意識が戻って! 大丈夫ですか? どこか痛いところはございませんか?」
「はい。エイダさん、わたし、三日も眠って……?」
「ええ、その間ずっとうなされていらしたんですよ」
「ずっと? ……そうですか、悪い夢を見ていたから」
「悪い夢? どんな夢ですの?」
心配そうに覗きこんでくるエイダさん。
少し考えてから、「忘れてしまいました」と首を横に振って見せた。
妹のことを話すわけにはいかない。
嘘をつくのは苦しかった。少しずつ心に澱が溜まっていくようだ。
そうこうしているうちに、廊下の方から慌ただしい物音が近づいてきた。
「アリッサの意識が戻ったって!?」
「そうだよ、せんせい!」
「はやくはやく!」
ルティとカティ姉妹に手を引かれて、デニス先生が部屋に駆け込んできた。診察用の眼鏡をかけ、髪はくしゃくしゃに乱れている。
目が合うなり、デニス先生は眼鏡を外した。
「アリッサ……」
ぱちぱちと瞬きをして、わたしを見つめる。
それからおもむろに、三本の指を立てた状態で右手を突きだした。
「これ、何本に見える?」
「ええと、三本、です」
「よし。失礼」
短く断って、わたしの頬に手をのばし、次にその手を首筋に当てる。
目の下の色をみたり、聴診器で胸の音を確認したあと、デニス先生は頭をがくりと落とし、大きくひとつ息を吐いた。
「デニス先生?」
「よかった……本当に、よかった」
顔をあげないままデニス先生がつぶやいた。声が震えている。
「先生、ないてるの?」
ルティがからかうように尋ねる。
「泣いてないよ……!」と返しながら、デニス先生は片手で目もとを拭った。
胸の奥が熱くなった。
心配してくれてたんだ。エイダさんや子供たちも、デニス先生も、まるで家族みたいに。
「ごめんなさい、デニス先生。手当てしてくださって、ありがとうございました」
「いいんだよ、そんなこと」
「あの……デニス先生、エイダさん、その格好は?」
さっきから気になっていたことを尋ねてみた。
デニス先生は、髪の乱れもさることながら、目の下の隈が大変なことになっている。白衣には、たくさんの赤茶けた染み。
いつもと違うのはエイダさんもだ。
髪を簡素に一本に束ね、メイド服の上には見慣れないエプロン。それもデニス先生の白衣と同じように汚れて見えた。
部屋に漂う、生臭いような湿気。
窓からは陽がさしているのに、妙に空気が暗い。
「……」
デニス先生とエイダさんの顔が一様に曇る。
答えてくれたのはデニス先生のほうだった。
「アリッサ。驚かずに聞いて。ダルトア王国から始まった魔獣の侵攻は予想以上に酷いようだ。大勢の民が国境を越えて、このプレスターナ王国に逃げてきている。あの流星群の夜から」
「……え……?」
「国王陛下はダルトアからの避難民を受け入れ、保護する決断を下した。彼らの多くが負傷して、助けを求めているんだよ。当然、援軍としてダルトアに向かった騎士団にも犠牲が出てる。この診療中にも怪我人が運びこまれて……あ、アリッサ!?」
デニス先生の声がひっくり返る。
ベッドから駆け出そうとしたわたしの足がもつれ、転びそうになったのを抱きとめてくれたせいだ。
「すぐに動くのは無理だよ。ずっと寝たきりだったんだから」
「でも……!」
気持ちと裏腹に、足には力が入らない。三日三晩の昏睡状態で体力が奪われているらしい。
それでも、じっとしてなんかいられなかった。
「アリッサ!」
デニス先生を振り切るように立ち上がり、壁に手をつきながら部屋を出る。
そして、言葉を失った。
さっきまで見ていた悪夢より、よほど悪夢のような光景が広がっていたから。
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第三章スタートしました。
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