81.流星群の下で(2)
「緊急事態だと?」
「はい! 星見台防衛部にも招集が発令されていますっ!」
シルヴィオさんの表情が一瞬で切り替わった。
「わかった、すぐに出発する」
ハンスさんとともに駆け出していくシルヴィオさんは、もう騎士の顔になっていた。
星見台の防衛部といえば、国を守る防護結界を維持するための術者が集められている部門だ。
その人たちと騎士団に招集がかけられているということは……
(緊急事態って、まさか!?)
二人を追って外に出ると、診療所の庭には他にも人影が増えていた。
「イルレーネ様、我々に黙って抜け出すのはおやめください」
「どれだけお探ししたことか!」
「悪かったってば、カール、フランツ。反省してるわよ」
イルレーネ様と言い合っているのは、いつもの護衛騎士たちだ。
わたしに気づいたイルレーネ様が、彼らのもとから身を翻して駆け寄ってくる。表情が固い。
「アリッサ、許してね。せっかくの夕食会に水を差してしまって」
「そんなことお気になさらないでください、イルレーネ様」
「私たち、急いで騎士団本部に戻らないといけなくなったの。あなたたちは情報を待って。とりあえず建物の中に避難したほうがいいわ」
イルレーネ様の表情も厳しい。
雰囲気を察してか、流星群に沸いていた子供たちも静まりかえっている。
ポケットのなかのポンポンは、ぷるぷると体を震わせ続けるばかり。
(こんなに怯えてるポンポン、見たことがない)
愛馬に向かおうとしたシルヴィオさんが足を止めた。
「旦那様!」
駆け寄ってきたエイダさんとユストさんに視線を送ってから、わたしの肩に両手を置く。
「いいかアリッサ、今は皆と一緒に安全な場所にいてくれ」
「シルヴィオさん、いったい何が起きてるんですか?」
「国境付近の結界が破られたんだ。ダルトア方面から魔獣の群れの侵入を確認した。このままでは王都にも危険が及ぶかもしれない」
「!!」
ダルトア王国。わたしの故郷。
聖女が祈りを放棄し、魔獣に蹂躙されているという噂は本当だったのだ。
プレスターナにまで累が及ぶほど、被害が拡大しているの!?
「すぐに騎士団をあげて討伐に向かう。プレスターナは、きみたちは俺が守る。信じて待っていてくれ」
「シルヴィオさん……!」
シルヴィオさんが、真剣な顔でデニス先生に向き直った。
「シュターデン、おまえにも頼む。俺の婚約者が無茶をしないように見守ってくれ」
婚約者。
わたしのことを、シルヴィオさんはそう呼んだ。
ついさっき、偽装婚約の解消を一方的に突きつけられたばかりなのに。怒ってるはずなのに。
デニス先生が頷いた。
「わかったよ、リーンフェルト。武運を祈る」
「旦那様、ご武運を!」
「お帰りをお待ちしています」
エイダさんとユストさんも口々に叫ぶ。
「ああ、行ってくる」
「待って!」
背中を向けた彼の腕に、思わず縋りついていた。
驚いたようにシルヴィオさんが振り向く。わたしに引きとめられるとは思っていなかったみたいだった。
すこし目もとを緩め、彼がわたしの手を取った。
掌を開かせ、あのエメラルドの指輪を載せる。
「いけません、これは……!」
「いいんだ」
強引なくらいの力強さで、シルヴィオさんの手がわたしの手を包みこむ。
「帰ったら、ちゃんと話そう」
「シルヴィオさん……」
「忘れないで。俺は、きみの味方だ」
優しい声。まっすぐな瞳。
出会ったときと同じ言葉。でも、あのときより、もっと心を強く打つ言葉。
どうして、一瞬でも揺らいだりしたんだろう。
いつも支えてくれた。見返りを求めず与え、そばにいてくれた人なのに。
信じよう。彼の優しさを。
そして――認めるの。わたし自身の気持ちを。
彼が好き。
結ばれることは、なくても。
大きな手を、ぎゅっと握り返す。
「はい。……祈っています。どこにいても。神のご加護が、あなたにありますように」
「ありがとう、アリッサ」
シルヴィオさんの手に、いっそう力が籠もるのを感じた。
「シルヴィオ、早く!」
イルレーネ様の声が出発を促す。
素早く愛馬に跨ったシルヴィオさんを先頭に、流星群が輝く夜空の下、騎士の一団は駆け去っていった。
涙が溢れそうになるのを必死で堪える。
大切な人が、危険な戦場へ向かう。結界さえも崩壊した、聖なる加護のない世界で。
その原因は、わたしの妹――聖女リズラインにあることは間違いない。
(どうして、こんなことになってしまったの……?)
「……アリッサ」
隣に立つデニス先生が、そっとわたしの名前を呼ぶ。
夜空を、ひときわ大きな流星が走った。
星が流れる刹那、天地の理が揺らぐ。昔からの言い伝え。
リズラインの異変で脆くなっていた結界が、今夜の流星群によって最後のバランスを崩したのだとしたら、今ごろダルトア王国は――
「……っ!?」
突然、鈍い痛みが頭を襲い、おもわず蹲った。
痛みとともに、頭の中に甲高い声が響く。
『……たす……て……』
だれ?
誰が話しかけてるの?
『……こわ……いの……』
言葉は脳に直接響く。すすり泣きに似た息づかいも。
「やめて……」
大音量に頭が割れそう。
視界が歪む。もう立っていられない。
「アリッサ、どうしたんだい!?」
デニス先生が慌てた様子で肩を抱く。
「だ……誰かの、声が……」
「声? え、何も聞こえないよ」
彼だけじゃない。エイダさんやユストさんも、うろたえた様子で周囲を見まわしている。
わたし以外には聞こえていないのだ。
『……アリ……ッサ……』
ああ。わかった。
この声を、呼びかけの主を、わたしはよく知ってる。
暗い森を彷徨う悪夢の中で、何度も聞いたから。
「きゃあ、アリッサさま!」
「きゅー! きゅー!」
エイダさんの悲鳴、そしてポンポンの鳴き声を聞きながら、堪えきれずに地面にくずおれた。
『たすけて。アリアテッサ』
薄れゆく意識の中いっぱいに、響き渡る。
夢と現実との境界を乗り越えて、迫ってくる。
他の誰でもない、わたしの妹、リズラインの呼び声が。
次話より第三章に入ります。
最後までお付き合いいただけましたら嬉しいです。




