77.星祭りの夜
暗い森の中に、わたしは佇んでいる。
子供の姿で、途方に暮れながら。
(また、あの夢……)
もういやだ、と心が叫ぶ。
お願いだから、解放して。
この森を抜け出して、明るい場所に行きたいのに。
目の前に蹲り、泣いているリズラインを、わたしは見捨てられない。
背後に広がる真っ暗な闇が、今にも妹を飲みこんでしまいそうで。
「リーズ……もう泣かないで」
呼びかけても、リズラインは抱えた膝に顔を埋めて激しく肩を上下させるばかり。
「リーズ、立とう。こんなところにいちゃだめよ」
妹の方へと手を伸ばす。
届かない。どうしてだろう、すぐ近くにいるのに。
「……おこるの……みんなが」
顔を伏せたまま、リズラインがつぶやいた。
「おこる?」
「おまえのせいだって。魔獣に勝てないのも、たくさん死んだのも、全部全部、リーズのせいだって……」
「たくさん死んだ? ダルトアの人たちが? どういうことなの。何が起きてるの、リーズ!」
リズラインは答えない。ただ浅く顔を上げる。
生気のない瞳が、こちらを見た。
色を失った唇が動く。
「……て……」
「なに? 聞こえないわ」
必死で身を乗り出し、耳を澄ます。
大きな目に涙を浮かべ、消え入りそうな声でリズラインは呟いた。
「たすけて」
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ベッドの上で、目を開ける。
カーテンの向こうは、もう明るかった。
全身がひどく冷たい。
(リーズ……)
夢の中で見た、暗い眼差しを思い出す。
故郷を追放されたばかりの頃。
毎日リズラインのことを考えた。
わたしを追い払った妹。どんな気持ちで、何をしているか。
ウィルヘルム殿下と笑い合う姿を想像しては胸が波立って、悲しかった。
だけど、この国に来て、シルヴィオさんと出会って。
アリッサという名前で、たくさんの人と触れあって、心の傷口が塞がっていくのを感じた。
過去を思い出さない日が増えていった。故郷にまつわる不穏な噂を聞くまでは。
「どうして……」
喉から漏れた独り言に、ぎょっとする。
掠れた声は、夢で聞いた妹のそれによく似て聞こえたから。
「きゅー?」
目を覚まして飛んできたポンポンを無言で抱きしめる。
(どうして、リーズ?)
どうして「助けて」なんて言うの?
わたしにいなくなってほしかったんでしょう?
異国で生きていると知ったら、やっぱり殺そうとするんでしょう?
ただの夢なのに。
(あの子が、わたしを呼んでるような気がする――)
悪夢の余韻を追い払うように、リズミカルな足音が廊下を近づいてきた。
「アリッサ様ー、お目覚めでいらっしゃいますか!?」
ドアをノックして入ってきたのは、エイダさんだ。
「おはようございます! 今日はいよいよ星祭りですわねっ」
「おはようございます、エイダさん」
「旦那様もお帰りになりますよ、楽しみですわね! あ、ポンポンちゃん、今朝は美味しい林檎があるわよー」
「きゅー!」
いつにも増してぴかぴかしたエイダさんの笑顔が、現実の世界に引き戻してくれる。
そう、今日は星祭り。
年に一度、大流星群が夜空に現れる日だ。
ダルトアでは「降星節」と呼んでいた。
一般人にとっては楽しいお祭りの日だけど、天地の理が揺れるという言い伝えもあるため、聖女や星見台の術者たちは結界強化のための祈りの儀式を行う。
わたしも去年までは、リズラインの付き人として儀式に参加していたけれど。
プレスターナで一般人として過ごす今年は、夕方からデニス先生の診療所で子供たちと夕食会だ。
「さあアリッサ様、お支度しましょう。食堂でユストが待っておりますわ」
「はい」
ひとり暮らしを始める計画のことは、誰にも話していない。
(このお屋敷を出たら、エイダさんとも会えなくなるのかな)
ユストさんに、ブルーノさん、お屋敷のみんな。
ここで出会った人たちは、誰もが優しかった。
お別れするのは寂しいけど、仕方ない。
もともと偽装婚約は一年間の約束。今までが幸せすぎただけだ。
残り少ない日々の、今日は大切な一日。
(星祭りの夕食会、頑張ろう!)
いい思い出が、これからの日々を支えてくれるはずだから。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
夕暮れ時の診療所の中庭に、子供たちとユストさんの掛け合いが響く。
「ユストにいちゃん! 卵かきまぜるのこれくらいでいい?」
「まだまだ。頑張れ、美味いもんができるぞ」
「ユストさーん、カティが泣いてるー」
「あーもう、玉葱切るのはコツが要るって言ったろ!? ほら、こうやってー」
今夜の夕食会、料理人として再度参加してくれることになったユストさん。
調理をやってみたいという子供たちの希望を聞きいれて、お手伝いをさせてくれているのだ。
「こりゃ本当に、この中から料理人になる子が出るかもしれないね」
子供たちの真剣な様子に、デニス先生も感心することしきり。
イルレーネ様からの寄付で揃えた食材が、ユストさんの指揮のもと、どんどん美味しそうな料理に仕上がっていく。
その間に、わたしたち他の大人は会場の設営。
「アリッサ様、デニス先生! この長机も運んでよろしいんですのー?」
部屋の中から窓越しに大きな声で尋ねてきたのは、お食事会初参加のエイダさん。
「はーい、その机もお庭で使いまーす」
「ちょっと待って、僕も一緒に運ぶよ」
「あ、先生お構いなく。わたくし一人で大丈夫ですわ」
言うなりエイダさんは、ひょいっと長机を担ぎ上げた。
「あ、あの身体のどこにあんな力が……?」
軽々と机を運ぶ彼女の姿にデニス先生は絶句していたけれど、子供たちは大喜びだ。
「すごいね、エイダねえちゃん! あとで腕相撲しよ!」
「いいわよー、手加減しませんからねっ?」
初対面とは思えないくらい、エイダさんも子供たちに懐かれている。
「おーいチビども、エイダは手強いぞ? 骨折させられないように気を付けろよ」
「うるさいわねユスト、あなたこそ大事な腕を折られたい!?」
お祭りの日だけあって、空気全体が何となく賑やかだ。
お城では祝砲があがる。
診療所の前の道を、踊り子をつれた楽団が陽気な曲を奏でながら通り過ぎていく。
歌ったり騒いだり、エイダさんが腕相撲で男の子たちを次々ねじ伏せたり。
賑やかに過ごしているうちに、太陽は沈み、空の色は青から藍に変わっていった。
やがて料理がすべて出来上がり、子供たちの興奮は最高潮に達した。
「よーし! みんな、食事会はじめるよー!」
「いっただっきまーす!!」
デニス先生の掛け声に、子供たちも声を張りあげた。
「すごーい、美味しー!」
「お料理つくるの、楽しかったね!」
ユストさんと一緒に調理を担当した子たちの笑顔は、何かをやりきったときの達成感で輝いている。
見ているほうも嬉しくなるような光景だった。
「リーンフェルト、遅いなぁ」
わたしと並んで子供たちにお料理を取り分けていたデニス先生が、小声で囁いた。
「はい……お忙しいんですね、きっと」
ものわかりのよさそうなことを返してみたものの、心の中ではもうずっと、シルヴィオさんを待ち焦がれている自分がいた。
日暮れまでには行けると思うって、彼は言っていたはずだけど。
空に浮かぶ半月は、既に金色を帯びている。
リーンフェルト家を出ると決めてから、一日が短い。短く、感じる。
残り少ない時間なら、少しでも長くシルヴィオさんと過ごしたい。
早く来てほしい。そればかり考えてる。
いつからわたし、こんなに我儘になったんだろう?
「デニスせんせー、これ、きらきらさせて!」
星型のランタンを手にカティが言う。
庭じゅうに飾られた紙製のランタンは、子供たちの手づくりだ。これに火を灯して流星群を迎えるのが、プレスターナの星祭りの習わしだとか。
「そうだね、そろそろ火を入れようか」
「わーい!」
歓声が上がるなか、大人たちで星型のランタンに火を入れていく。
もうすぐ全部を灯し終えるというとき、通りのほうから蹄の音が聞こえてきた。
(あ……!)
診療所の門のむこう、馬に乗った人影が現れる。
騎士服を着たシルヴィオさんだ。
「シルヴィ……!」
呼びかけた声を途中で飲みこむ。
彼の後ろにつづく、もうひとつの馬影に気づいたからだ。




