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77.星祭りの夜

 暗い森の中に、わたしは佇んでいる。

 子供の姿で、途方に暮れながら。


(また、あの夢……)


 もういやだ、と心が叫ぶ。

 お願いだから、解放して。

 この森を抜け出して、明るい場所に行きたいのに。 


 目の前に蹲り、泣いているリズラインを、わたしは見捨てられない。

 背後に広がる真っ暗な闇が、今にも妹を飲みこんでしまいそうで。


「リーズ……もう泣かないで」


 呼びかけても、リズラインは抱えた膝に顔を埋めて激しく肩を上下させるばかり。


「リーズ、立とう。こんなところにいちゃだめよ」


 妹の方へと手を伸ばす。

 届かない。どうしてだろう、すぐ近くにいるのに。


「……おこるの……みんなが」


 顔を伏せたまま、リズラインがつぶやいた。


「おこる?」


「おまえのせいだって。魔獣に勝てないのも、たくさん死んだのも、全部全部、リーズのせいだって……」


「たくさん死んだ? ダルトアの人たちが? どういうことなの。何が起きてるの、リーズ!」


 リズラインは答えない。ただ浅く顔を上げる。

 生気のない瞳が、こちらを見た。

 色を失った唇が動く。


「……て……」


「なに? 聞こえないわ」


 必死で身を乗り出し、耳を澄ます。

 大きな目に涙を浮かべ、消え入りそうな声でリズラインは呟いた。

 

「たすけて」




 ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ 





 ベッドの上で、目を開ける。

 カーテンの向こうは、もう明るかった。

 全身がひどく冷たい。


(リーズ……)


 夢の中で見た、暗い眼差しを思い出す。


 故郷を追放されたばかりの頃。

 毎日リズラインのことを考えた。


 わたしを追い払った妹。どんな気持ちで、何をしているか。

 ウィルヘルム殿下と笑い合う姿を想像しては胸が波立って、悲しかった。

  

 だけど、この国に来て、シルヴィオさんと出会って。

 アリッサという名前で、たくさんの人と触れあって、心の傷口が塞がっていくのを感じた。

 過去を思い出さない日が増えていった。故郷にまつわる不穏な噂を聞くまでは。


「どうして……」


 喉から漏れた独り言に、ぎょっとする。

 掠れた声は、夢で聞いた妹のそれによく似て聞こえたから。


「きゅー?」


 目を覚まして飛んできたポンポンを無言で抱きしめる。


(どうして、リーズ?)


 どうして「助けて」なんて言うの?

 わたしにいなくなってほしかったんでしょう?

 異国で生きていると知ったら、やっぱり殺そうとするんでしょう?


 ただの夢なのに。


(あの子が、わたしを呼んでるような気がする――)

 

 悪夢の余韻を追い払うように、リズミカルな足音が廊下を近づいてきた。


「アリッサ様ー、お目覚めでいらっしゃいますか!?」


 ドアをノックして入ってきたのは、エイダさんだ。


「おはようございます! 今日はいよいよ星祭りですわねっ」


「おはようございます、エイダさん」


「旦那様もお帰りになりますよ、楽しみですわね! あ、ポンポンちゃん、今朝は美味しい林檎があるわよー」


「きゅー!」


 いつにも増してぴかぴかしたエイダさんの笑顔が、現実の世界に引き戻してくれる。


 そう、今日は星祭り。

 年に一度、大流星群が夜空に現れる日だ。


 ダルトアでは「降星節こうせいせつ」と呼んでいた。

 一般人にとっては楽しいお祭りの日だけど、天地の理が揺れるという言い伝えもあるため、聖女や星見台の術者たちは結界強化のための祈りの儀式を行う。


 わたしも去年までは、リズラインの付き人として儀式に参加していたけれど。

 プレスターナで一般人として過ごす今年は、夕方からデニス先生の診療所で子供たちと夕食会だ。

 

「さあアリッサ様、お支度しましょう。食堂でユストが待っておりますわ」


「はい」


 ひとり暮らしを始める計画のことは、誰にも話していない。


(このお屋敷を出たら、エイダさんとも会えなくなるのかな)


 ユストさんに、ブルーノさん、お屋敷のみんな。

 ここで出会った人たちは、誰もが優しかった。


 お別れするのは寂しいけど、仕方ない。

 もともと偽装婚約は一年間の約束。今までが幸せすぎただけだ。


 残り少ない日々の、今日は大切な一日。


(星祭りの夕食会、頑張ろう!)


 いい思い出が、これからの日々を支えてくれるはずだから。



  ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢



 夕暮れ時の診療所の中庭に、子供たちとユストさんの掛け合いが響く。


「ユストにいちゃん! 卵かきまぜるのこれくらいでいい?」


「まだまだ。頑張れ、美味いもんができるぞ」


「ユストさーん、カティが泣いてるー」


「あーもう、玉葱切るのはコツが要るって言ったろ!? ほら、こうやってー」

 

 今夜の夕食会、料理人として再度参加してくれることになったユストさん。

 調理をやってみたいという子供たちの希望を聞きいれて、お手伝いをさせてくれているのだ。


「こりゃ本当に、この中から料理人になる子が出るかもしれないね」


 子供たちの真剣な様子に、デニス先生も感心することしきり。

 イルレーネ様からの寄付で揃えた食材が、ユストさんの指揮のもと、どんどん美味しそうな料理に仕上がっていく。


 その間に、わたしたち他の大人は会場の設営。


「アリッサ様、デニス先生! この長机も運んでよろしいんですのー?」


 部屋の中から窓越しに大きな声で尋ねてきたのは、お食事会初参加のエイダさん。


「はーい、その机もお庭で使いまーす」


「ちょっと待って、僕も一緒に運ぶよ」


「あ、先生お構いなく。わたくし一人で大丈夫ですわ」


 言うなりエイダさんは、ひょいっと長机を担ぎ上げた。


「あ、あの身体のどこにあんな力が……?」


 軽々と机を運ぶ彼女の姿にデニス先生は絶句していたけれど、子供たちは大喜びだ。

 

「すごいね、エイダねえちゃん! あとで腕相撲しよ!」


「いいわよー、手加減しませんからねっ?」


 初対面とは思えないくらい、エイダさんも子供たちに懐かれている。


「おーいチビども、エイダは手強いぞ? 骨折させられないように気を付けろよ」


「うるさいわねユスト、あなたこそ大事な腕を折られたい!?」


 お祭りの日だけあって、空気全体が何となく賑やかだ。

 お城では祝砲があがる。

 診療所の前の道を、踊り子をつれた楽団が陽気な曲を奏でながら通り過ぎていく。


 歌ったり騒いだり、エイダさんが腕相撲で男の子たちを次々ねじ伏せたり。

 賑やかに過ごしているうちに、太陽は沈み、空の色は青から藍に変わっていった。


 やがて料理がすべて出来上がり、子供たちの興奮は最高潮に達した。


「よーし! みんな、食事会はじめるよー!」


「いっただっきまーす!!」


 デニス先生の掛け声に、子供たちも声を張りあげた。


「すごーい、美味しー!」


「お料理つくるの、楽しかったね!」


 ユストさんと一緒に調理を担当した子たちの笑顔は、何かをやりきったときの達成感で輝いている。

 見ているほうも嬉しくなるような光景だった。


「リーンフェルト、遅いなぁ」


 わたしと並んで子供たちにお料理を取り分けていたデニス先生が、小声で囁いた。


「はい……お忙しいんですね、きっと」


 ものわかりのよさそうなことを返してみたものの、心の中ではもうずっと、シルヴィオさんを待ち焦がれている自分がいた。


 日暮れまでには行けると思うって、彼は言っていたはずだけど。

 空に浮かぶ半月は、既に金色を帯びている。


 リーンフェルト家を出ると決めてから、一日が短い。短く、感じる。


 残り少ない時間なら、少しでも長くシルヴィオさんと過ごしたい。

 早く来てほしい。そればかり考えてる。

 いつからわたし、こんなに我儘になったんだろう?


「デニスせんせー、これ、きらきらさせて!」


 星型のランタンを手にカティが言う。

 

 庭じゅうに飾られた紙製のランタンは、子供たちの手づくりだ。これに火を灯して流星群を迎えるのが、プレスターナの星祭りの習わしだとか。


「そうだね、そろそろ火を入れようか」


「わーい!」


 歓声が上がるなか、大人たちで星型のランタンに火を入れていく。

 もうすぐ全部を灯し終えるというとき、通りのほうから蹄の音が聞こえてきた。


(あ……!)


 診療所の門のむこう、馬に乗った人影が現れる。

 騎士服を着たシルヴィオさんだ。


「シルヴィ……!」


 呼びかけた声を途中で飲みこむ。

 彼の後ろにつづく、もうひとつの馬影に気づいたからだ。

 

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