71.戦(いくさ)の足音
ティーモさんは続けた。
「そのお姉さん、付き人としてリズライン様と常に行動を共にしていたんだって。優しくて真面目な人だったけど、妹の不興を買って追放された。ダルトアがおかしくなったのは、それからだっていわれてる」
傍で、ビアンキさんも肩を落とした。
「姉君の追放の理由は明らかにされていませんが、冤罪だったという話もあります。今も行方不明といいますから、おそらく亡きものにされたのでしょう。恐ろしいことです。せめて生きていてくだされば、戻っていただくこともできたのに……」
「……」
ビアンキさん親子の話は、あまりにも意外すぎた。
(見当違いだわ、そんなの)
わたしの存在が、妹の行動に大きく影響していたなんてことがあるだろうか。
ましてや国の根幹を揺るがすような事態に発展するなんて……。
「いまや誰も聖女様をお諌めできないようです。まったく、ダルトアの民が気の毒でなりませんよ……」
「他人事みたいに言ってる場合じゃないだろ、父さん。ダルトアの結界が崩壊でもしたら、この国にも間違いなく魔獣が侵入する。聖女のいない時代に逆戻りして、前よりもっと酷いことになるよ。せっかくプレスターナが豊かになってきたっていうのに……!」
強い言葉で話していたティーモさんが、ハッと我に返ったような顔でわたしのほうへ振り向いた。
「ごめん、嫌な話を聞かせて。リーンフェルト将軍は、アリッサさんには話してなかったんだね」
その言葉は、ナイフのように心に刺さった。
(シルヴィオさん……そんなに大変な状況だったなんて)
他国への派兵が本当なら、重要機密の類だ。
シルヴィオさんみたいに真面目な人が、情報漏洩なんてするわけがない。頭ではわかってる。
……でも。
毎日会ってるのに、察することさえできなかった。
命懸けの戦を控えた彼の心を知りもしないで、優しさに甘えてばかりで。
やっぱりわたしは、偽りの婚約者だ――。
肩をすくめてティーモさんが笑った。
「そんな顔しないで。大切にされてるんだねって、言いたかったんだよ」
「……え?」
「アリッサさんに心配かけたくなかったんだろうな、リーンフェルト隊長は。やっぱり僕じゃ全然かなわないや。ね、シュターデン先生?」
「返答は差し控えさせていただきますよ。何もかも、聞かなかったことにしておきますから」
デニス先生の声は、前半は優しく、後半は今まで聞いたことがないくらい厳しかった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「アリッサ様、お仕事で何かおありになりましたの? なんだかお元気がないみたい」
帰り道。
隣を歩くエイダさんが、心配そうに首を傾げる。
「なんでもありません。ごめんなさい、お気をつかわせちゃって」
……しっかり、しなきゃ。
今日はいろいろな人に心配をかけてしまってる。
そうは思うものの、胸にはざらざらした感覚が広がって離れない。
ビアンキさん親子が帰ったあと。
デニス先生が、彼から噂を話題にすることはなかった。仕事がすべて終わり、二人きりになったときでも。
デニス先生も勘付いていたんだ、と思った。
忍び寄る戦の気配を。そして、それは単なる噂ではなく、事実に近いであろうことを。
ダルトア王国の、わたしの妹の、悲惨で謎に満ちた状況。
シルヴィオさんが、魔獣討伐の戦に出るかもしれないこと。
考えると、つい無口になってしまっていた。
「今夜のお風呂には、お花の香油を入れましょうね。ユストには果物を使った飲み物でも用意してもらいましょう。アリッサ様がゆっくりお休みいただけるように!」
「ありがとうございます、エイダさん」
「ポンポンちゃんはいいわねえ、いつでもゆっくり、のんびりしてて」
エイダさんが笑った。
ポンポンはポシェットから顔だけ出し、鼻歌でも歌うようにキューキュー鳴いている。
つられて笑ってしまった。
ポンポン、あんまりにも幸せそうなんだもの。
ここ数日で、また重たくなった……というか、大きくなった気がする。
「あらっ? あの馬車は」
お屋敷の門をくぐったところで、エイダさんが声をあげた。
リーンフェルト家のものではない馬車が停まっていたのだ。
馬は二頭立て、見事な毛並み。車体にも素晴らしい細工が施されている。
外に出て待ち構えていたのか、ブルーノさんが駆け寄ってきた。
「お帰りなさいませ! アリッサ様にお客様がお見えになっていらっしゃいます」
「シルヴィオさんにじゃなく、わたしにですか?」
「はい。イルレーネ王女様がお待ちかねでございます」
「イルレーネ様が!?」
思わず声が裏返った。
「庭園へ、お早く」
「待ってお父様、アリッサ様のお髪だけでも整えるから!」
急かされて早足になるわたしの髪の乱れを、同じく移動しながらエイダさんが直してくれる(何気に神業!)。
果たして庭園の四阿の前には、夜会でも会った二人の若い護衛騎士が立っていた。カールと呼ばれていた少年と、背の高い相棒の彼だ。
二人ともわたしを認めると、きっちりと礼をして迎える。
大理石のテーブルセットの椅子に掛けていたドレス姿の女性が、人懐こい笑顔を浮かべて立ち上がった。
「アリッサ! お帰りなさい」
嘘でしょ?
本当に、イルレーネ様が手を振ってる!!




