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70.聖女リズラインの悪評

「——本当に、治っている」


 診察を終えたデニス先生が、真剣な表情でつぶやいた。 


 ビアンキさんがシルクのハンカチで涙を拭う。


「デニス先生とアリッサ嬢には一生の御恩ができました。今後もしお二人がお困りになることがあればビアンキ商会が全力でお助けいたします。もちろん、アリッサ嬢が嫁がれるリーンフェルト侯爵にも。微力ながら我々は、そのぅ、近々のいくさのお力添えも……」


いくさ?」


「父さん、いくらなんでも不謹慎だよ」


 ベッドから起き上がり、ティーモさんが父親をたしなめた。

 ビアンキさんが言い返す。


「不謹慎なものか。うちは王立騎士団にも品物をお納めしているんだ。リーンフェルト将軍が騎士団を率いてダルトアへ出征するとなれば、ぜひお助けしなければ」


「ビアンキさん、そのお話は」


 デニス先生が止めに入る。

 しまった、という表情で、ビアンキさんがわたしとデニス先生を交互に見た。


「騎士団がダルトアへ出征って、どういうことですか?」

 

 質問する声がうわずる。


 数秒の、気まずい沈黙。

 口を開いたのは、息子のティーモさんのほうだった。


「ダルトア王国は今、大変なことになってるらしい。各国の商人たちが逃げ出してる。自国を離れるダルトア人も増えてきて、とうとう出国禁止令が出たって話だ」


「出国禁止令?」


「ダルトア国民は許可なく自国を出ちゃいけないってこと。それでも役人に金を積んで、何とか逃げようとしてる人がたくさんいるそうだ。無理ないよ、誰だって命が惜しいからね」


「命が惜しいって……まさか」


 診察室の入り口に警戒するような視線を向けたあと、ティーモさんは低い声で答えた。


「その『まさか』さ。魔獣の出現が続いて、民が犠牲になってる。迎撃しようにもダルトアの騎士団は機能してなくて、実は壊滅状態に近いんじゃないかって」


「……!!」


 民が犠牲に?

 ダルトア騎士団が壊滅状態!?


 どうしてそんなことに!!


「で、でも、ダルトアの騎士団には聖女の加護があるはずですよね!? 防御結界だって、他国よりずっと強固なはず……」


「聖女リズライン様は長いこと姿を見せてないそうだ。王宮の奥に引っ込んだきり、適当に形ばかりの祈りを繰り返してるってさ。僕を見捨てたときと同じだね」


「お役目を果たしたくても叶わないような状況は考えられませんか? たとえばご病気とか……」


「そうでもないらしいよ。ドレスや宝石は好きなだけ買い漁って、あいかわらず着飾ってらっしゃるそうだから。結界強化の儀式を行うでもなく、負傷した騎士を見舞うことさえしないで…… 次期王妃に内定したか知らないけど、いいご身分だよ」


 言い切るティーモさんの声には、隠しきれない嫌悪が滲んでいた。


「そんな……」


「まあ我々に聞こえてくる話ですから、あくまで噂ではありますがね」


 ビアンキさんの言葉は歯切れが悪い。


「ダルトアは国内事情を漏らさないよう必死ですし、プレスターナの国王陛下も不確かな情報で国民を惑わせるべきではないと慎重になっておられるのでしょう。ただ、事実なら一国いっこくだけの問題では済みません。しかも我が国は国境を接しているわけですから……」

 

 ティーモさんが苦い顔で付け足した。


「このままいけば、プレスターナはダルトアに援軍を送らなくちゃいけないかもってこと。あのイルレーネ王女様が留学先から予定より早くお戻りになったのも、魔物討伐の戦列に加わるためだと思うよ」


「イルレーネ様も戦場へ!?」


「行かれるだろうね。王女様は魔力持ちだし、騎士団にとっても大きな戦力になる」


 魔物討伐のための派兵となれば、プレスターナはかなりの戦力を投入するはず。

 ダルトア軍が壊滅状態という噂が本当なら――

 必然的に、プレスターナ騎士団が最前線で魔物と対峙する役目を背負うはずだ。


 ビアンキさんの言うとおり、先頭に立つのはシルヴィオさんだろう。

 あのイルレーネ様までも、危険な戦場へ身を投じることになる……。


「……どうしちゃったのかな、聖女リズライン様は」


 ティーモさんが寂しそうに言った。


「もともと派手好きとは聞いてたよ。でも、根は真摯な方だと思ってた。僕も憧れてたし、聖女様のいるダルトア王国が羨ましかった。実際、少し前までは本当に良い国だったんだから。今のリズライン様は、まるで……人々を憎んでるみたいだ」


 憎んでる?

 リズラインが、ダルトアを?

 

 聖女でいるのは、つらいこともある。

 お役目は決して楽ではないし、制約も多い。そもそも望んで宿命のもとに生まれたわけでもない。


 それでも、聖なる力との架け橋になるのが聖女だ。

 だからこそ人々も聖女を崇め、守り、支える。その関係は、どちらかの一方通行になった途端に簡単に崩れてしまう。


 以前のリズラインは、それがわからない子じゃなかった。

 感情の捌け口を実の姉のわたしに求めているのだなと思うことはあっても、お役目を放棄することだけはしなかったのだ。


 聖女の祈りに守られていたダルトア王国は、豊かで安全な国だった。


「リー……聖女様は、どうして変わってしまったんでしょう?」 


「以前のリズライン様には優秀な相談役ブレーンがいた。その人が去ったのが原因だと聞いたよ」


相談役ブレーン? ……では、その方に戻っていただいたらいいのでは?」

 

 誰のことだろう、と思いながら尋ねる。

 神殿の神官長? それとも別の誰か……


「それが、亡くなってしまったらしいんだよ。リズライン様の双子のお姉さんでね、妹の付き人をしてたそうだけど」


「……!!」


 ドキリとして、言葉を失う。


 聖女の双子の姉。

 死んだといわれている「元・付き人」。

 それはまさに、わたしのことだから。

 


 

 


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