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7.新しい名前

 元の道に戻ってみると、そこには凄惨な光景が待っていた。


「馬車が……!」


 わたしが乗せられてきた馬車は、車体が横転した状態でバラバラに壊れていた。


 青年のもつランタン以外に明かりのない山道。

 馬の姿はなく、土の上には黒光りする血溜まりが点在している。


「さっき見たときは馬もいたんだが……魔獣にやられたな。馬車を引いた状態では逃げられなかったか」


 青年が気の毒そうに言う。


「そんな……」


 馬には罪はないのに、可哀想なことをしてしまった。

 それに、わたしは移動手段もなくしてしまったことになる。

 馬車もなしに遠い修道院まで、どうやってたどり着いたらいいだろう。


 ……そこまで考えて、改めて気づいた。


(そうだわ。ここはもう異国……)


 移送されるはずだった修道院からは遠く離れてしまっている。

 いや、むしろ最初から、馬車は修道院を目指してなんかいなかったのだ。


 野盗に襲われたのは、不慮の事件なんかじゃない。

 王都を発つ前から、明確な殺意をもって計画的に仕組まれたこと。

 ……実行できる人間なんて、数えるほどしかいない。


『わたし、お姉さまにいなくなってほしいの』


 牢獄で言われた言葉が頭のなかに響きわたる。


(リズライン……あなたなの?)


 ――こんなにも。

 こんなにも憎まれていたなんて。


 ウィルヘルム殿下を奪っただけじゃ足りなかったの?

 目の前からいなくなるだけじゃ駄目だったの?

 死を願うほどに……わたしが嫌いだったの?


 もし、これがリズラインの仕業なのだとしたら。

 彼女の意志の強さは、双子の姉であるわたしが一番よく知ってる。

 わたしが生きていることを知ったら、妹は必ずもう一度、刺客を送り込んでくる――。


「あの、教えていただきたいことがあります」


 意を決して、青年に尋ねてみた。


「なんだ?」


「いちばん近い街へは、この道をまっすぐでいいんでしょうか?」


「ああ、ここを行けばプレスターナの王都ブレストンに出る」


 ブレストン。

 もちろん、行ったことのない土地だ。


 生まれてから今日まで、生まれ故郷のダルトア王国を出たことはなかった。

 それはわたしが女の子で、特別な能力も自由になるお金もなくて、なにより聖女リズラインの付き人だったから。


 聖女は国家の宝。万が一にも異国に奪われるようなことがあってはならない。

 聖女に認定された者は国をあげて守られる反面、もし国外へ行きたいと考えても、簡単には実現しないのだ。

 リズラインと常に行動を共にしていたわたしも、それは同じ。

 ダルトア王国から出ることなく、一生を過ごすと思っていた。


 ……でも。

 これまで考えてもみなかった選択肢が生まれたのだ。


(行ってみよう、ブレストンに)


 ここは異国。

 自分の意思とは関係なしに連れてこられた場所。

 何があるかもわからない。たったひとり、何も持っていないけれど。


(しがみつくほどの過去なんて、もうない)


 家族も、婚約者も、住む場所も仕事も、すべてを失った。

 その代わり、過去を知る人もいない。

 律儀に修道院へ向かって、わたしの死を願う「誰か」を喜ばせる義理もないはずだ。


 青年に向き直り、わたしは深々と礼をした。


「助けていただいて、本当にありがとうございました。何のお礼もできずに申し訳ありませんが、ここで失礼させてくださいませ」


「待て待て!」


 ポンポンを抱いて歩き出したわたしを、青年が慌てた様子で追ってきた。


「はい?」


「こんな夜道を一人で歩くつもりか? いくらなんでも無茶だ」


「でも、馬もいなくなってしまいましたし。もともと一人でしたし……」


「いや、俺がいるだろう。街まで送るよ」


 自分を指差して、呆れたように青年は言った。


「そんな図々しいお願いはできません」


「図々しいなんて言ってる場合か? こんな場面で遠慮するなんてどうかしてるぞ」


「でも……知らない方に、これ以上ご迷惑をおかけするわけには……」


「シルヴィオだ」


 青年が名乗った。もはや諭すような口調だ。


「俺はシルヴィオ・リーンフェルト。プレスターナ王立騎士団に所属している。騎士として、困っている女性を放置することなんかできない」


「シルヴィオ……リーンフェルト、さん」


 その響きに聞き覚えがあるような気がした。でも、思い出せない。

 記憶を探りはじめる前に、青年が尋ねてきた。


「きみの名前は?」


「アリ……ッサ、です」


 即答しかけて言い淀む。

 

 わたしは罪人なのだ。

 まごうことなき冤罪だけど、それを証明する術はない。

 本当の名前を知られてしまうのは危険と、生存本能が告げていた。


「アリッサ……それがきみの名前?」


 青年がもう一度問いかける。

 本名から少し欠けた音を、名前と勘違いしたようだ。

 思いあぐねた末、黙って頷いた。


 夜空を覆っていた雲が風に押し流され、月が顔を覗かせた。

 月光が、軍服の青年――シルヴィオさんの顔を美しく照らす。


 その美貌が、くしゃっとした笑顔に変わった。


「さて。お互い名乗ったことだし、俺たちはもう知り合いだな。俺はきみを安全な場所まで送りとどける大義名分を得た」


「え?」


 シルヴィオさんが口笛を吹く。

 木立が揺れる音がして、やがて大きな白い馬が現れた。

 両手を広げるシルヴィオさんのもとへと駆け寄って来る。


「ヴェガ! よしよし、おまえを信じてたぞ。魔獣に喰われずにいてくれるってな!」


「あなたの馬ですか?」


「そうだ。無人の馬車を見つけて森に入る前に、ここで待たせてた」


 愛馬のたてがみを撫でるシルヴィオさんの横顔には、安堵と愛情が滲んでいる。


 いままでの話から推察するに、彼は単騎で通りかかっただけ。

 なのに、山道に放置された空の馬車にただならぬ気配を察し、森へ分け入って、わたしを助けてくれた。


 いくら騎士とはいえ、たった一人で。

 闇の奥で何が起きているか、相手が何人いるかもわからないのに、とても勇気の要る行為だと思う。


(動物が好きな人に悪い人はいないっていうけど……)


 彼の眼差しをみていると、危険を冒してまで助けてくれた優しい人柄は本物に思えてくる。


「アリッサ、おいで」


 鞍を確認したシルヴィオさんが言う。


 躊躇っていると、彼は困ったような、でも優しい表情を浮かべた。


「大丈夫、傷つけたりしない。俺は味方だ」


「…………」


 じわり。

 シルヴィオさんの姿が歪む。


(あ、あれ?)


 自分でも気づかないうちに、わたしは涙を流していた。

 ありがとう、と言いたかったはずなのに、言葉にならない。


「きゅ……」


 ポンポンが肩へとのぼってきて、心配そうに鳴く。


(泣いちゃだめ、みっともない)


 子供じゃないんだから。

 こんなところで、知らない人の前で、弱い自分をみてせはだめ……。


 だけど。


「泣いていいよ」


 優しい声が降ってきた。

 それから、ふわりと優しい重みが肩に加わる。

 シルヴィオさんが自分の着ていた外套を脱いで、わたしの身体を包んでくれたのだ。


「怖かったよな。よく頑張った。よく、生きていてくれた」


 優しい瞳がわたしを見下ろしている。


 外套に包まれた肩があたたかい。

 ドレスがぼろぼろに破れ、肩や足が露出していたことに、やっと気付いた。あちこち擦り傷もある。


 シルヴィオさんが、黙ってわたしを抱き上げた。

 細身の体からは想像できないほどの力強さだ。

 そのまま宝物でも扱うように、馬上に座らせてくれる。


 何も聞かないのは、気を遣ってくれているんだろうか。

 わたしが何者か、どこから来たか。どんな理由で殺されかけていたのか。


 ……もし尋ねられたって、言えない。言えば彼にも迷惑がかかる。

 詮索されないのは、ただありがたかった。

 でも、それは同時にとても後ろめたくもあって。


「ごめんなさい……」


「気にするな。俺もブレストンへ帰るところだから」


 はぐらかすような答えを返して、シルヴィオさんもわたしの後ろで鞍に跨る。


 馬が前へと進み出した。

 布袋に戻り、顔だけ出していたポンポンが、大きなあくびをして目を閉じる。安心したみたいだ。


 ――王都から持ってきた荷物は奪われてしまった。

 名前も捨てた。

 残ったのはこの身体と、ポンポンだけ。ほとんど全てを失くしたはずなのに。


 自分でも不思議だ。

 いま心にあるのは、悲しみだけじゃない。


(こんなに泣いたの、いつ以来だろう……)


 婚約破棄を言い渡されたあの時も、投獄された日にも、涙は出なかった。

 いま、熱い雫になって溢れる感情の正体が、自分でもよくわからないけれど。


 頬に当たる風と、背後からわたしを支えてくれるシルヴィオさんの体温。

 相反するふたつの温度に、昨日まで想像もしなかった未来が始まったことを感じていた。


 


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