69.暗い森の迷子
真っ暗な森の中で、幼いわたしは妹を探している。
「リズライン! どこにいるの……?」
応える声は、ない。
(……また、あの夢)
頭ではわかっている。
見つけたあと、ひどい言葉や石礫を投げつけられることだって。
でも、それでも。
妹を探すことを、やめられない。
だって、わたしは、あの子の双子の姉なんだもの。
「リーズ、出てきて」
振り絞る呼びかけが暗闇に吸い込まれていく。
背の低い植物がつくる暗い影の中を、おそるおそる覗きこむ。
リズラインは、そこにいた。
子供の姿で、膝を抱えて。
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・
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目が覚めたときは、頭が猛烈に重かった。
「きゅー?」
「……ポンポン」
心配そうに覗きこむ小さな体を抱き寄せる。
柔らかいベッド。
朝陽の射しこむ明るい部屋。
弾むように元気なエイダさんの足音が近づいてくる。いつものリールフェルト邸だ。
(リーズ……)
ずきずきと痛む頭を抱える。
夢の中の妹は、茂みの中にうずくまり、じっとこちらを睨んでいた。なにも言わずに。
責められた気がした。
アリッサという名前で生きている今を。
――過去を、彼女を忘れようしていることを。
(そんなはず、ないのに)
リズラインは、孤独じゃない。
あの子の傍には、ウィルヘルム殿下がいる。
わたしがいなくなって、ダルトアのみんなは幸せに暮らしてる。
もう誰も、追放した女のことなんか覚えていない。
未だに過去に囚われているのは、わたしだけ。
暗い森で迷子になっているのは、わたしのほうだ。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「……サ。アリッサ!」
「は、ハイ!」
我に返る。
診察台の椅子に座ったデニス先生が、心配そうにこちらを見上げていた。
(いけない、わたしってば…!)
「大丈夫?」
「ごめんなさい、ぼうっとしてました」
「念のため熱を測ってみる?」
「い、いえ! 平気です! 元気です!」
「それならいいんだけど、あまり無理するんじゃないよ。悩みがあるなら相談に乗るから」
「ありがとうございます、デニス先生」
デニス先生は、いつでも優しい。だからこそ申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
今朝の夢が何度も思い出されて、集中を欠いてしまってた。
「さ、お仕事お仕事!」
小さく声に出して、自分の頬を叩いた。
診療所は今日も大忙し。
たくさんの患者さんが訪れている。
「ルティ、次の患者さんを呼んできて」
気を取り直して、入り口の外のルティに声をかけた。
読み書きのできるルティには、最近たまに、お手伝いをお願いしているのだ。
「はい! つぎのかたー、診察室へどうぞ!」
ルティに促されて現れたのは、意外な人物だった。
「やあ、アリッサさん。こんにちは」
「ティーモさん? え、ティーモさんですよね!?」
ティーモさん!
ダルトアで魔物に襲われ、重傷を負ったという、ビアンキ商会の跡取り息子だ。
「大丈夫なんですか? 診療所までいらっしゃるなんて……!」
重症だったティーモさんが、自分の足で立っている。
付き添いのお父さんの手を借りることなく歩き、しっかりした足取りで彼は診察室に入ってきた。
「ティーモさん……往診は明日の予定の筈ですが」
デニス先生も眼鏡の奥の目がまんまるだ。
患者用の椅子に腰かけながら、ティーモさんが笑顔をみせた。
「自分の足で歩けるようになったんで、ご迷惑は承知で診療所に伺っちゃいました」
「無茶はいけませんよ、術後まもないんですから」
「へへ、シュターデン先生には怒られると思ったんだ。でも見てくださいよ、傷口だって、ほら」
デニス先生に背を向ける恰好で椅子に腰かけ、ティーモさんがシャツを捲り上げる。
背中を深く横切っていた傷は、ほとんど目立たなくなっていた。
「これは……」
デニス先生が息を飲む。
「先日の往診以来、治る速度が更に増したのですよ。薬をひと塗りするごとに回復して、昨日の朝には自由に動けるようになって。信じられない……いや失礼、デニス先生、あなたは名医ですよ!」
デニス先生の手を握り、ブンブン振り回しながら捲したてるビアンキさんの横で、ティーモさんがはにかんだように微笑んだ。
「僕の聖女アリッサさんにもお礼を。きみに会いたくて来たんだよ。ねえ、こんど食事に誘ってもいいかな?」
「息子よ、それはだめだ。アリッサ嬢には決まったお相手がいらっしゃるのだよ」
すかさずビアンキさんが言う。
ティーモさんはガックリと肩を落とした。
「そうかぁ、やっぱりか。アリッサさん、ゆくゆくはシュターデン先生と一緒になるんだね?」
「ち、違いますよ!」
わたしとデニス先生の声が揃った。
デニス先生の耳が、みるみる真っ赤になる。
ビアンキさんが息子の肩に手を置いた。
「アリッサ嬢はな、リーンフェルト侯爵と婚約していらっしゃるそうだ」
「リーンフェルト……あの、騎士団特別隊のリーンフェルト隊長!?」
「先日の夜会では、お二人で見事なダンスを披露されたそうですね。たいそう美しかったと評判になっていますよ」
さすが豪商のビアンキさん、情報が早い。
「あんなに凄い人がアリッサさんの婚約者……勝ち目なんてないよ……。ああシュターデン先生、息が苦しくなってきた。僕やっぱり死ぬかも」
「お気持ちはよくわかりますが、それは心の痛みからくるものかと。まずはしっかり診察させていただきます。こちらへどうぞ」
デニス先生が冷静に促す。
ティーモさんは力なく診察室のベッドにうつ伏せになった。
 




