68.伝説の聖獣(?)
エルガド長官の了承を得て、シルヴィオさんが書物を手に取る。
慎重な手つきでページをめくりながら、
「こんな記録があるとは知りませんでした。姿を変える聖獣について、他にも例が?」
「現在確認できているものは、これだけじゃな。しかも、あくまで一個人の日記じゃ。研究者の中でも擬態や変化については懐疑的な意見も多い。実在を信じる者もおるが、変化をする聖獣は絶滅したという考えが主流での」
「変化ができる聖獣は、どうして絶滅してしまったんでしょう?」
今度はわたしが質問する。
エルガド長官は、心なしか悲しげな表情になってスケッチの手をとめた。
「はっきりした理由はわからん。が、聖女のいない世界は、聖獣にとっても快適とはいえんのじゃろう。それに……人間によって絶滅させられてしまった可能性もある」
「人間が聖獣を? どうして……」
「擬態中の聖獣は奇妙な姿をしておることが多かったはずじゃ。今度は、こちらを見てみなされ」
エルガド長官は、違う書物の山をテーブルの上へ持ってきて、次々に開いてみせた。
生物図鑑の類のようだけど、どれもとても古そうだ。
それらの本には、不思議な姿の動物たちが描かれていた。
猫のようなもの。
犬のようなもの。
リス、蜥蜴、蛇……の、ようなもの?
「これ……何の絵ですか?」
はっきり「これは猫ですね」とか「犬の絵でしょう」と言えないのは、それらすべての動物の背中に、不格好な翼が生えているせいだ。
「過去にプレスターナ国内で確認された種類不明の動物たちの記録じゃ。ほとんどが魔獣の一種と決めつけられ、人間の手によって殺されたというから、死骸を絵に描いたものらしい」
「……!!」
喉の奥が変な音をたてそうになった。
シルヴィオさんが、そっと背中に手を添えてくれる。
「大丈夫か、アリッサ」
「はい……」
「これは単なる推論じゃが。聖獣も聖女と同じように、環境や条件が整わなければ本来の力を発揮できないのではないかな。虐げられ、弱った状態では、人間たちに駆除されてしまうこともあったろうて」
目を細めて、エルガド長官は続けた。
「他とは違うもの、未知のものを、人は恐れる。儂としては聖獣も人間も、様々な個性の持ち主がいたほうが楽しいと思うがの」
人を守ってくれる聖獣が、人によって生きる場所を失ったというなら、あまりにも悲しい。
しかも、その理由が「奇妙な姿をしているから」だったとしたら。
髪や瞳の色の変化を理由に忌み嫌われ、蔑まれ続けたわたし。
エルガド長官の語る聖獣たちに、思わず同情してしまう。
ポンポンだって、ずいぶん気味悪がられてきた。
リズラインは、はっきりとポンポンを嫌っていたし。
プレスターナで出会ったのがシルヴィオさんで――彼がポンポンを受け入れてくれて本当によかったと、改めて思った。
「珍しい姿をしているというだけで排除か……。結果として聖獣を絶滅させてしまったのだとしたら皮肉な話です。この骨格標本の子など、案外愛嬌があったかもしれないのに」
シルヴィオさんが言う。
エルガド長官は感心の眼差しを向けた。
「リーンフェルト卿は未知なるものを怖れぬようじゃの」
「エルガド殿が仰っていたように、未知なるものの中には希望が眠っているかもしれないと思ってしまう性質のようです」
「ふむ、良いことじゃ」
「ですが、恐れるにせよ信じるにせよ、根拠は重視したい。エルガド殿は、これらの生物が聖獣が擬態した姿だったとお考えですか? 変化の記録は残っていないのなら、結論づけるのは……」
言葉を選びながら質問するシルヴィオさんに、エルガド長官は頷いてみせた。
「さすが騎士団特別隊の隊長、冷静な意見じゃ。さよう、今となっては確かめようもない。ただ、長いこと地上から姿を消していた聖女がダルトアに現れたとき、儂は思ったよ。希望は死んでいなかったと。聖獣も、どこかで息を潜めて生きているのかもしれぬな」
「そうですね。夢のある話です。もしかしたらアリッサのポンポンも、聖獣の末裔……」
シルヴィオさんがポンポンを見て、それから噴きだす。
「?」
彼の視線を追って、わたしも笑ってしまった。
テーブルの隅っこで、ポンポンはお腹を上に向け、幸せそうにいびきをかいていた。
伝説の聖獣はおろか、人間の赤ちゃん、いや、食べ過ぎて伸びちゃったおじさんみたいだ。
「それはないか、さすがに」
「ない……と思います」
「決めつけはいかんというに。ま、聖獣が変化しなくて済むのなら、それに越したことはないからの」
エルガド長官の言葉は、何気に真実を突いていた。
魔獣と闘うために聖獣が変化をするというなら、そんな瞬間は永遠に来ないほうがいい。
「……と、まあ、ここまでの話はすべて、推測ですらない戯言よ。ポンポンが新種のハリネズミとして、それはそれで大発見じゃ。どれ、たくさんスケッチを残させてもらうとしよう」
空気を変えるように、エルガド長官はニッコリと笑った。
鉛筆を持つ手を動かしながら続ける。
「ときにリーンフェルト卿、貴殿はダルトアの聖女リズラインに拝謁したことがおありなのだったかな? お披露目式の折に」
リズラインの名前が出て、心臓がドキンと大きく脈打つ。
(落ち着いて……普通にして)
シルヴィオさんは笑って首を横に振った。
「あれは拝謁とはいえません。王太子殿下の護衛としての参列ですから、かなり遠くからお姿を目にしただけです。あとから似絵を拝見して、ああ、こんなに幼いお顔立ちをされていたのかと思ったくらいで」
「ダルトアの聖女は、十三歳でお披露目されたんじゃったかな?」
「ええ、たしか。遠目にも可憐なお姿でしたが……正直なところ、少々複雑な気持ちになったことを覚えています」
「複雑な気持ちって?」
思わず尋ねる。
考える仕草で顎に手を添え、シルヴィオさんが答えた。
「自分の妹よりも年若い少女が、人々の期待を一身に背負って生きていくのか、と……。歓喜で迎えられる一方、とてつもない孤独でもあるような気がして、勝手に心配になったんだ」
(シルヴィオさん……)
すこし、驚いた。
リズラインーー聖女に対して、そんな言葉を聞いたことがなかったから。
あのお披露目式の熱狂の中、ひとりの少女の孤独に想いを馳せてくれる人がいたなんて。
自分のことじゃないのに、なんだか胸が熱くなる。
エルガド長官が目を細めた。
「そなたは優しいの、リーンフェルト卿」
「優しくなどありませんよ。私は何もしてあげられない。ただ、幸せになってほしいと思いました。彼女を支える誰かがいてほしいと。昨年でしたか、ダルトアの王太子と聖女リズラインの婚約発表を聞いたときには、親戚でもないのに安堵しましたね」
「それは儂も一緒じゃよ。聖女の幸せは国を富ませることにもなるからの」
……彼らは、まだ知らない。
リズラインが王太子殿下ではなく、第二王子ウィルヘルム殿下と結婚しようとしていることを。
それでも実際、リズラインは幸せなはず。
ダルトアの加護は盤石だ。
シルヴィオさんも、そう言うと思ったのに、
「ええ、そのはずですが」
彼はつぶやき、言葉を濁した。
つられたようにエルガド長官も黙りこむ。
(そのはずですが、って?)
脳裏に、ビアンキ商会のティーモさんの治療をしたときの記憶が甦った。
ダルトアで魔獣に襲われたというティーモさん。
やっぱり、ダルトアで何かが起きつつあるの——?
「きゅ?」
ポンポンが急に目を開けた。
寝ぼけまなこで何かを探すような仕草をしたあと、おもむろに翼を広げ、宙へ飛び上がる。
まっすぐ向かっていったのは、窓の近くに置かれた野苺の鉢植え!
「あっ、だめよポンポン、勝手におかわりしちゃ!」
慌てて追いかけるけど、ポンポンは既に赤い果実に噛りついている。
「よい、よい、アリッサ殿。好きなだけ食べてもらってかまわんのじゃよ」
「でも、申しわけなくて……! ほらポンポン、離れてったら」
「きゅーうぅ!」
やーだよ、の抑揚で鳴きながら頑固に抵抗するポンポン。
エルガド長官が声をあげて笑う。
それを見て、最初は我慢していたシルヴィオさんも笑いだした。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦
鉢植えの野苺の約半分がポンポンによって食べつくされた頃、わたしたちはエルガド長官の研究室をお暇することになった。
お腹がいっぱいになったポンポンは、ポシェットの中でぐっすり眠っている。
「今日はたいへん勉強になりました。貴重な機会をいただきありがとうございます、エルガド殿」
建物の外まで見送りに出てくれたエルガド長官とシルヴィオさんが握手を交わす。
研究所の職員さんが、シルヴィオさんの愛馬を連れてきてくれた。
シルヴィオさんが馬の鞍などを確かめている間に、エルガド長官がポンポンの寝顔を覗きこむ。
「すっかり安心して抱かれておる。かわいいのう」
「本当にありがとうございました。ポンポンにも優しくしてくださって」
「礼を言うのは儂の方じゃ。そういえば、アリッサ殿。竜に変化した蜥蜴の主というのは、時の聖女フロリナだったという話もあるんじゃよ」
天気の話でもするようにさりげなく、エルガド長官は言った。
「そう……なんですか?」
「まあ、これも定かではないがの」
「待たせたな。行こう、アリッサ」
騎乗の準備が整ったシルヴィオさんが声をかけてくる。
エルガド長官が眉を下げた。
「また遊びにきなされ。ポンポンと仲良くな。それからリーンフェルト卿には、うんと甘えるとよいと思うぞ」
「はい」
なんだか、よくわからない文脈だったけど。
エルガド長官が優しい気持ちで言ってくれていることだけは、伝わってくる。
呑気に眠っているポンポンを抱いて、わたしは星見台をあとにした。




