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66.星見台長官エルガドとの出会い

「失礼、お嬢さん」


 背後から、しゃがれた声がかかった。


(わたしのこと?)


 一緒に振り向いたシルヴィオさんが、驚嘆の表情を浮かべる。


「これは……エルガド長官」


 立っていたのは、長い黒衣に身を包んだおじいさんだった。

 長く伸びた髭も眉毛も真っ白。足が悪いのか、右手に長い杖をもっている。

 背中も曲がっているけれど、垂れ下がった瞼の下の目には理知的な光が宿っていた。


 シルヴィオさんには目もくれず、エルガド長官と呼ばれたおじいさんは歩み寄ってくる。


「あ、あの……?」


 わたしの顔をまじまじと見ていた皺だらけの目もとが、ふっと緩んだ。

 瞳が微かに潤み、険しかった表情が柔和な笑みに変わる。

  

「エルガド殿、彼女に何か?」


 さりげなく間に入ったシルヴィオさんを、エルガド長官は目をぱちくりさせて見上げた。初めて彼の存在に気づいたみたいに。


「おお、リーンフェルト卿か。この可愛らしいお嬢さんは貴殿のお連れかな」


「私の婚約者でアリッサといいます。アリッサ、こちらは星見台の長官エルガド殿だ」


「はじめまして、エルガド様。アリッサと申します」


 星見台といえば、国家が認定した一流の研究者たちの集団。

 国の守護結界の維持や騎士団のサポート、天体の動きから様々なことを予測して危機に備えることを主な任務とする重要な機関だ。

 歴史の研究や、魔力保持者の育成などもになう。


 故郷のダルトアにも同じように星見台が組織されていて、聖女の仕事とも縁が深かった。

 このおじいさんは、プレスターナの星見台の長を務める人らしい。

 

「珍しいですね、エルガド殿。あなたもイルレーネ王女の夜会に?」


「いやいや、わしはダンスは踊らんよ。宮殿の上の星々が騒がしいものでな、様子を見にきたんじゃ」


「騒がしい? 何か不穏な動きでも」


 表情を引き締めるシルヴィオさんに、エルガド長官は首を横に振った。


「逆じゃ、リーンフェルト卿。星たちが喜んでおる。あまり嬉しそうに光るものでな、この老人も誘われてふらふらと歩いておったわけよ。いや本当に、今宵はドラゴンでも飛んで現れそうな美しい夜じゃな」


 そう言って、持っていた杖を空を指すように持ち上げて見せる。

 杖の先に埋めこまれた水晶の玉がキラリと光った。


 ポンポンが腕の中で、きゅう、と小さく鳴く。

 エルガド長官が目をしばたたいた。


「これは……アリッサ殿のペットかな? 真っ赤なハリネズミのような……とにかく初めて見る姿じゃ。なんという生き物じゃろう」


「わたしにも、よくわからないんですけど……ご安心ください、噛んだり暴れたりしませんから」


「長いこと一緒におられるのかな?」


「はい。名前はポンポンといいます」


「そうか、そうか。アリッサ殿はポンポンを本当に愛おしんでおられるようじゃの」


「きゅ」


 返事をするようにポンポンが鳴き、エルガド長官は「ほっほっほ、なんと賢い」と笑った。


「エルガド長官は生物学と魔獣学、双方の研究の第一人者でもあるんだ。そんな方でも判断に迷われるということは、やはりポンポンは相当めずらしい生き物のようだよ」


 シルヴィオさんが教えてくれる。


「なに、儂の知識なぞ広い世界のごく末端に過ぎぬよ。なにせドラゴン不死鳥フェニックスも、この目で見たことはないのじゃからなぁ」


 そう言って、エルガド長官は回廊の太い柱を撫でた。


 大理石の柱には、いまや伝説と化した聖獣たちの姿が刻まれている。

 ドラゴン不死鳥フェニックス鷲獅子グリフォン……。

 大昔には確かに存在し、魔獣から人々を守ってくれていたという。

 けれど、いつのまにか聖獣たちはこの世界を去り、魔獣の脅威だけが残ったのだ。


 シルヴィオさんも柱の彫刻を見上げる。


「聖獣ですか。いつかまた、我々は彼らに出会えるのでしょうか」


「さあ、わからんな。ただ、この世には儂らの知らないことが、まだまだ眠っておるはず。それは希望でもあると思わんかね」


 そう言ったあと、エルガド長官はポンポンへと視線を戻した。


「ポンポンも、この年齢としになって初めて目にする生き物じゃよ。ふむ、実に神秘的な姿じゃ。アリッサ嬢、近々このエルガドの研究室に遊びに来なされ。その小さな友達について調べてみよう」


「本当ですか? ありがとうございます!」


 シルヴィオさんがクスッと笑う。


「嬉しそうだな、アリッサ」


「はい。ポンポンのこと、ちゃんとわかったらいいなってずっと思っていたんです。もっと上手にお世話してあげられるように。言葉が通じないから、わたしが気をつけてあげないと……ね、ポンポン」


 ポンポンは同意するような仕草で、わたしの頬に頭を寄せる。

 エルガド長官の目尻の皺が、いっそう深くなった。


「ああ、やはり来てよかった。星々は嘘をつかぬ。アリッサ嬢、あなたはお優しい方のようじゃ。リーンフェルト卿、彼女を大切にな」


「もちろんです。婚約者ですから」


 シルヴィオさんがわたしの肩を抱く。

 エルガド長官が体を揺らした。


「ほっほっほ、これは何も心配いらんようじゃの」

 

 あくまで、「婚約者」を演じるお芝居。

 ……わかってる。


 だけど肩に触れる手は大きくて頼もしくて、そして――その温もりが、いまは何故か少し痛い。


「ではでは、儂はこれにて退散じゃ。またお会いしよう、リーンフェルト卿、アリッサ嬢」


「はい。おやすみなさいませ、エルガド様」


 去っていくエルガド長官の足取りは、心なしか、いくぶん軽くなったように見えた。


 少し離れて控えていたエイダさんが歩み寄って来て、興奮した様子でため息をつく。


「はあ……あの方が星見台のエルガド長官ですのね。はじめてお姿を拝見しましたわ。感動です……!」


「そんなに有名な方なんですか?」


「それはもう! プレスターナ史上最高の研究者といわれてますわ。しかも、お若い頃はたいへんな美丈夫で、似絵にせえが飛ぶように売れたとか。わたくしの叔母も大ファンだったそうですの」


 シルヴィオさんが感心した様子で腕を組む。


「エイダも色々なことを知っているな、たいしたものだ」


「お褒めにあずかり光栄でございます、旦那様」


 二人のやりとりを聞きながら、ポンポンの頭を指で撫でる。


「よかったわね、ポンポン。あなたのこと、少しわかるかもしれない」


「きゅう」


 今夜は思いがけない出会いが重なった。

 星見台のエルガド長官、アレクサンダー王太子殿下、それにイルレーネ王女様。

 どうなることかと思ったけど、夜会、来てよかった。


(なにより……すごく素敵な思い出ができたし)


 自分のために誂えられたドレスを着て。

 シルヴィオさんとダンスを踊って。

 彼に「綺麗だ」って、言ってもらえるなんて。


 夢みたいな夜だった。

 シルヴィオさんの背中を見つめて、思う。


(きっと一生、忘れないわ。今夜のこと)


 夜空に、また大きな花火の花が咲いた。



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