65.きみは綺麗
「近々また会いましょうね、アリッサ!」
「今度はお友達として、約束よ!」
上機嫌で繰り返すイルレーネ様に見送られ、シルヴィオさんとわたしは、着飾った人々で溢れるボールルームをあとにした。
「アリッサ、今夜はありがとう。夜会が楽しいなんて思ったのは初めてだ」
「わたしの方こそ、とっても楽しかったです。ありがとうございました」
二人になったところで、シルヴィオさんと言葉を交わす。
宮殿の庭園に面した回廊。
星空の下、噴水の周りや花壇の陰には、肩を寄せ合う男女の姿がある。
「それにしても驚いたよ。イルレーネ様とアリッサが既に顔見知りだったなんて」
「わたしもびっくりしました。バウマン男爵令嬢だと思っていた方が王女様って……!」
「よくそんなことを思いつくな、イルレーネ様も」
「お会いできてよかったです。素敵な方ですね。聞いていたお話と全然ちがいましたけど」
「跳ねっ返り姫の武勇伝か。たしかにイルレーネ様はお変わりになられた。妹のソフィアと一緒に我が家の庭を走りまわっていたお転婆王女様が、もうすっかり大人だ」
シルヴィオさんが思い出し笑いの表情を見せる。
「本当に、長いこと仲良くしていらっしゃるんですね」
「ああ、お互い子供の頃から知っているからね。……ところで、ほかにも驚いたことがある。きみはダンスの心得が?」
ドキッとした。
シルヴィオさんの瞳に、探るような色がある、気がする。
(もしかして、不審に思ってる?)
「きみのステップは完璧だった。みんな見惚れていたよ」
「あれは……シルヴィオさんのリードのおかげです」
「そうかな。俺はそこまでダンスは得意じゃない」
「そ、そんなことありません! シルヴィオさんのリードなら誰でも踊れます。ダンスが初めての人だって百歳のお婆ちゃんだって、生まれたばかりの赤ちゃんだって!」
「いや、赤ちゃんはさすがに無理だろう」
シルヴィオさんが吹き出す。
「そ……そうですよね。ごめんなさい、変なこと言っちゃいました」
照れ笑いに被せて、乾いた破裂音がした。
周囲が昼間のように明るくなる。
庭園の恋人たちが、興奮した様子で上を指差した。
「花火だ!」
夜空に大輪の光の花が咲く。
宮殿の一角から、見事な花火が次々と打ち上げられているのだった。
あちらこちらから、歓声が湧きあがる。
「栄光あれ!」
「プレスターナ万歳!」
色とりどりの光の輪からこぼれ落ちる雫は、まるで金色の雨。
夜空に輝いたあと、宮殿の屋根に降り注いでいく。
「きれい……」
思わずつぶやいた独り言に、思いがけない返事が被った。
「きみのほうが、綺麗だ」
「……え?」
驚いて、振り向いた。
真剣な表情のシルヴィオさんが、わたしを見下ろしている。
わたしと目を合わせ、彼はもう一度、言った。
「きみは綺麗だ、アリッサ。……ずっと言いたかった」
返す言葉が出てこない。
……綺麗だ、なんて。
シルヴィオさんに、綺麗、って言われるなんて――。
ひときわ大きな花火が夜空に咲いた。
きらめく光が、シルヴィオさんの整った顔をいっそう美しく照らす。
彼が、一歩近づいた。
もう、すぐそばで、わたしを見つめている。
「あ、あの」
シルヴィオさんの右手が、わたしの頬にそっと触れた。
(え……え……?)
動揺のあまり体が動かない。
視線を逸らすことなく、シルヴィオさんが囁くように言葉を紡ぐ。
「厄介だよな。こんなに近くにいるのに、わからないことだらけだ。きみがどこから来たか。何を抱えているのか。……どうして時々、寂しそうな目をするのか」
(……それは、あなたも)
心の中で思う。
わからないことだらけなのは、シルヴィオさんも同じでしょう、と。
本当は、もっと知りたい。あなたのことを。
なにを考えてるか。
誰を想ってるのか。
(……でも。そんな権利、わたしにはない)
彼に言っていない、言えないことが多すぎる。
自分の胸の内は明かさずに、相手には心を開いてほしいなんて。
そんな勝手は許されない。
想いを読んだかのように、シルヴィオさんの唇の端が、少しだけ上がった。
「言いたくないことは言わなくていい。きみを信じてる。……だから」
頬にかかる大きな掌の熱。
心臓が早鐘を打つ。
「シルヴィオ、さん……?」
ほんの少し、また顔が近づいた。
もう、唇が触れそうなほどの距離。
深い緑の瞳から、目を逸らすことができない――。
「旦那様、アリッサ様ー! お疲れ様でございました!」
(わわっ!?)
聴き慣れた声で名前を呼ばれた。
弾かれたようにシルヴィオさんから離れる。
元気に駆け寄ってくるのは、別室で待機していたエイダさんだった。
「っきゅー!」
エイダさんに抱かれていたポンポンが、嬉しそうにわたしの胸に飛び込んでくる。
「あ、ありがとうございます、エイダさん。ポンポン、いい子にしてた?」
きゅぅ、と甘えたように鳴き、肩にちょこんと座るポンポン。
「ポンポンちゃん、お利口さんにしてましたよ! あら? アリッサ様、お顔が赤くありませんこと?」
「なっ、なな、なんでもないです!」
全力否定。自分でもどうかと思うくらいの全力否定。
シルヴィオさんの方を伺えば、
「よしよし、おまえも疲れたよな。さあ、みんなで帰ろうか」
柔らかい笑顔でポンポンの頭を撫でてくれているのが目に入る。
すっかり、いつもの彼だ。
(さ、さっきの空気は何だったのーー!?)
まだ胸がドキドキしてる。
あれは何?
ダンスと発泡酒で酔いがまわって見た幻?
もしかするとシルヴィオさんも酔ってたとか?
とにもかくにもこれ以上、ダンスについて追求されることはなさそうだ。その点についてだけは、ひと安心だけど……。
――シルヴィオさん。
『きみを信じてる。……だから』
途中で消えた言葉は、本当なら、どう続いたの……?




