64.イルレーネ王女
「アリッサ! ……イルレーネ様!?」
シルヴィオさんが小部屋へ駆けこんできた。
わたしとイルレーネ様の顔を見比べて、混乱した表情を見せる。
「これは、どういう……、アリッサ、ひとりで王女殿下に拝謁していたのか?」
「私が呼んだのよ。早くアリッサと話したかったんだもの、待ちきれなくて」
イルレーネ様が答える。
シルヴィオさんは、やれやれと言いたげな様子で腰に手をあてた。
「失礼はお詫びいたします。しかしイルレーネ様、少しくらい待ってくださってもよかったでしょう。こんな初対面では俺の婚約者が委縮してしまいますよ」
「そんなことないわ。私とアリッサは以前からの知り合いなんだもの。ね、アリッサ?」
「えっ? ええ、はい」
イルレーネ様に肩を抱かれて、思わず首を縦に振った。
「知り合い? イルレーネ様とアリッサが?」
「そう! これからもっと仲良くなれたら嬉しいわ、よろしくね、アリッサ!」
「は、はい。よろしくお願いいたします」
冗談やリップサービスで流すには、イルレーネ様の瞳は、あまりにもまっすぐで、きらきらと澄んでいた。
この真摯な眼差し、ちょっと強引なところ。
なんとなく、誰かに似てるような……。
「アリッサは困っているようですが? まったく、イルレーネ様は子供のころからお変わりになりませんね」
「失礼ね、もう十九歳よ。お世辞のひとつも言えないあたり、シルヴィオだって成長がないのではなくて?」
「もちろんイルレーネ様はお綺麗になられましたとも。麗しの王女殿下、今宵はお招きいただきありがとうございます」
恭しい仕草でシルヴィオさんがイルレーネ様の手を取り、くちづける。
「まあ、調子の良いこと!」と、イルレーネ様も笑った。
笑顔の瞬間は高貴な貫禄が影をひそめ、子供のような表情になる。
(――あ。わかった)
イルレーネ様って、どこかシルヴィオさんと似てるの。顔だちじゃなくて、雰囲気が。
ふたりは幼馴染みというけれど、きっと気の合う友人同士でもあるんだと思う。
「失礼いたします。発泡酒をお持ちいたしました」
グラスを載せたトレーを持った給仕をともなって、あの少年騎士が部屋に入ってきた。
「ありがとう、カール」
「ちゃんと『ごめんなさい』が出来たようですね、イルレーネ様。ご立派です」
「余計なこと言わないの! 早くあっちへ行って!」
顔を赤くしたイルレーネ様に追い立てられながら、去り際に少年がわたしに目礼する。
うん、間違いない。
「バウマン男爵令嬢の従者」として診療所に現れた彼だ。印象が違って見えたのは、前回までは従者風の鬘で変装していたせいね。
もう一人の長身の騎士も、男爵令嬢の護衛としてディンケル伯爵夫人邸で見かけた人だと思う。
「イルレーネ様がアリッサに謝るとは?」
「シルヴィオには後でちゃんと話すわよ。ほら、今はとにかく乾杯しましょう? あなたたちの婚約に、私とアリッサの再会にもね!」
「調子が良いのはどちらですか。まあいい、アリッサ、いただこう」
「はい」
「それじゃ、乾杯!」
グラスを手に微笑むイルレーネ様に、もう初対面の冷たい印象はない。
そこにいるのは、少し(いや、かなり?)強引だけど、素直でチャーミングなプレスターナの王女様だ。
「さて、聞かせていただきましょうか。イルレーネ様、アリッサとはどこで面識を?」
「説明の前に断っておくけれど、シルヴィオのせいなのよ? いつまでもアリッサを紹介してくれないから私から会いに行ったの! ねー、アリッサ?」
頬を赤くしたイルレーネ様が、いきなりわたしに腕を絡ませてくる。
シルヴィオさんが堪えきれない様子で吹き出した。
「たったひと口で酔ってしまわれたんですか。魔獣も倒す王女殿下、相変わらずお酒には弱いようですね」
「酔ってなんかいないわよ! でも今夜のお酒は格別だわ。アリッサと私、いいお友達になれそう。そんな予感がする、とってもする!」
「お友達?」
思わず聞き返した。
そういえば、物心ついてから、わたしには「友達」がいた記憶がない――ポンポン以外には。
「そうよ。私、アリッサとお友達になりたいの。なに? 嫌なの?」
イルレーネ様が拗ねたように唇を尖らせる。
「と、とんでもありません!」
「よかったー!」
ぎゅーっと抱きしめる力は、細身の外見とは裏腹にとっても強い。
(こ、これは、武勇伝の噂は本当かも……!?)
シルヴィオさんが慌てて止めに入る。
「イルレーネ様、お手柔らかに。アリッサが痛そうです」
「あらごめんなさい、つい嬉しくって!」
パッと体を離し、屈託なく笑うイルレーネ様。
その笑顔はシャンデリアの光よりも明るくて、そしてやっぱり美しかった。
(友達……)
容姿を気味悪がられ、孤独に過ごしていた故郷では、ひとりも得られなかった存在。
だから、とても嬉しかった。
正面から「お友達になりたい」と言われたことが。
そうなれたら、どんなに素敵だろう。
思わずにはいられなかった。