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63.謎の美女、その正体

 なぜ、バウマン男爵令嬢がここにいるんだろう?

 彼女もイルレーネ様の友人?


 頭の中で疑問が渦巻く。

 でも、この瞬間は喜びが勝った。

 だって、ずっと会いたいと思っていた人が目の前に現れたんだもの!


「バウマン男爵令嬢! お会いできてよかった! あなたにぜひ、お礼を申し上げたかったんです!」


 駆け寄ったわたしに、バウマン男爵令嬢は怪訝そうな眼差しを向けた。


「お礼?」


「はい! 診療所に寄付をしてくださったのは、あなたですね?」


「……ええ」

 

「やっぱり! あなたのおかげで、診療所の子供たちの食事会を開くことができたんですよ。あの時のみんなの嬉しそうな顔といったら……なんとかしてお伝えしたいと思ってたんです。本当にありがとうございました!」


 バウマン男爵令嬢の顔から、一瞬、洗われたように表情が消える。

 美しい唇から、ふ、と息が漏れた。

 

「ひとつ訂正させて。私はバウマン男爵令嬢ではないわ」


「え? でも、以前たしかにお会いしていますよね。ディンケル伯爵夫人のお屋敷で……」


「私の名前はイルレーネ。さきほどは兄が失礼をしたようね。安心して、あとでうんと叱っておくから」


「え……」


 一瞬、頭が真っ白になる。


「え、えええぇ!? あなたが、このプレスターナの王女イルレーネ様なんですか!?」


 バウマン男爵令嬢ならぬイルレーネ様は頷いた。


「そうよ。この状況で、そこまで驚くかしら?」

 

「あの、その……聞いていたお話とイメージが違ったので……」


 全然違う、違いすぎる。

 誰? こんな美女をつかまえて『男勝り』とか『跳ねっかえり』とか言ってる人は!!


「イメージと違った、ですって?」


 イルレーネ様の眉間に皺がきざまれた。


「ねえ、どんなことを聞いていたの? 熊退治の話? 匿名参加の騎馬大会の話? 跳ねっかえりとかいう異名の話?」


 ぐいぐい距離をつめてくる。

 迫力に圧されて首を縦に振ると、彼女は深い溜息をついた。


「これだから人の噂って……! まさか素手で熊と戦ったりはしていないのよ? 熊に似た魔獣を魔力で駆除したという話に、いつのまにか尾鰭がついたの。騎馬大会優勝は事実だけど。それから『跳ねっかえり姫』ってセンスのない呼び方よね。私は『ブレストンの白薔薇』と呼びなさいと言っているのに、本当に嫌になってしまうわ」


「き……騎馬大会優勝は事実なんですね」


「そこ!?」


「はい、あの、すごいなって思って!」


 背後に立っていたディンケル伯爵夫人が、くすっと笑って部屋を出てゆく。

 気を取り直すように咳ばらいをして、イルレーネ様は続けた。


「……バウマン男爵令嬢というのは仮の名前よ。あなたやシュターデン医師の人柄を確かめたいと思って、最初から身分を明かすことはしなかったの」


「それは……そうとは存じ上げず、大変な失礼をいたしました。お会いできて光栄です、イルレーネ様」


 慌てて最上級の礼をする。

 イルレーネ様は静かに言った。


「私の方がずっと失礼だったわ。……どうか謝らせて」


「え? ま、待ってください! 謝っていただくようなこと、何もありません」


 頭を垂れようとするのを慌てて制する。

 イルレーネ様は驚いたように、こちらを見返した。


「あなたって人は……ディンケル伯爵邸で会ったとき、私がどんな態度だったか覚えているわよね?」


「は……はい。すこし怖かったです、あのときは」


「正直な人ね。そう、意地悪だったわ、私。それに嘘をついていた。バウマン男爵家の娘なんて名乗って……怒らないの?」


 わたしは頷いた。


「すべてシルヴィオさんのため、ですよね。王女様とリーンフェルト家のご兄妹は、昔からの親しい間柄とお伺いしています。シルヴィオさんの身を案じられたからこそ、わたしをお試しになったのではありませんか」


「……」


 黙りこむイルレーネ様。

 そして、すうっと息を吸いこみ、目を閉じる。

 次の瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれた。

 それから一気に捲したてる。


「そうよ、その通りよ。シルヴィオがおかしな女に騙されているんじゃないかって気が気じゃなかったの! 婚約した? どこの誰? 記憶喪失なんて嘘でしょ、どうせ彼の地位や財産が目当てに決まってる。ああ見えてシルヴィオは変にお人好しなところがあるからこのままじゃいけない、私が、この私が! 怪しい婚約者とやらの化けの皮を剥いであげなくちゃって思ったのよ、わかる?」


「は、はい」


「なのにあなたときたら何? 口を開けば患者子供仕事、あげくシルヴィオには迷惑かけたくないとか言うじゃない? シュターデン医師とも何も出ないし、そんなあなたをお金で殴りつけるような真似をした私って惨めすぎて……ああ、もう!」

 

 言い切ったイルレーネ様が、両手でわたしの右手をとった。


「ごめんなさいね、アリッサ。認めるわ、あなたのこと」


「……えっ?」


「シルヴィオがあなたを好きになった理由、私にもわかった気がする。あなたたち、本当に愛し合っているのよね」


 急展開。あと、なかなかの握力!


「あ、あの、イルレーネ様」


「いいの、みなまで言わないで。記憶が戻らないって不安でしょうね。困ったことがあれば相談して、シルヴィオのためにも協力は惜しまないわ」


 イルレーネ様の瞳には、それまでの大人びた態度とは一転して、少女のような光が宿っていた。


 ……彼女こそ、正直な人だ。

 強引だけど、潔い。

 そしてシルヴィオさんのことを、とても大切に想ってる。


 そう考えたら、「バウマン男爵令嬢」と名乗ってわたしの前に現れたこと、わたしを試したいと思った彼女の気持ちも、納得がいく気がした。

 

 イルレーネ様が身分を偽ったのは、シルヴィオさんを守りたかったから。

 素直な謝意を表す姿は、むしろ、とても眩しかった。

 

 彼女を責めることなんて、到底できない。

 わたしこそ未だに出自を隠し、シルヴィオさんのくれた新しい名前に守られているんだから――。


 

 




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