61.結局、ダンスは避けられない
「え、え?」
どうして急に円舞曲に切り替わったの?
ダンスが始まっちゃう!
「何だ、これは」
シルヴィオさんも驚いてるみたい。
周囲で思い思いにお喋りをしていた男女も、戸惑いの表情を見せる。
でもそれは一瞬のことで、みな一様にパートナーと手をとってダンスの姿勢を整え、踊りはじめた。
(皆さん、さすが宮廷人……なんて、感心している場合じゃない!)
踊りだした人々の壁に阻まれ、ホールのちょうど真ん中で、シルヴィオさんとわたしは立ち往生をする格好になってしまった。
(どうしよう……)
音楽は流れ続ける。
慌ててシルヴィオさんを見上げると、彼の表情にも困惑の色が浮かんでいた。
「とりあえず、輪を抜けよう」
そう言うと、わたしを連れて踊りの輪の外側へ向かおうとする。
だけど、まわり始めた人波が厚くて、前にも後ろにも進めない。
無理に動こうとすれば、確実に誰かとぶつかってしまう。
宮廷の舞踏会で、それはとても不作法なことであるはずだった。
(そんなこと、シルヴィオさんにはさせられない……させたくない)
ただでさえ目立っているはずなのに、ダンスの輪のなかで止まったままのわたしたち。
周囲からは既にチラチラと好奇の視線が飛んでいる。
背中に冷たい汗が浮くのがわかった。
動かないのも変。
人の波を横切るのも無理。
この局面を切り抜けるには、自分たちも踊りの輪の一部として動くしかない。
シルヴィオさんには当然、ダンスの心得があるはず。
問題は、わたし。
(落ち着いて……音楽をよく聴いて)
目を閉じて、耳を澄ます。
はじめて聴く曲だった。
当然だ。ここはわたしが育った国の宮廷ではないから。
でも、リズムやテンポには覚えがある。
複雑そうに見えるステップも、ダルトアで教わった円舞曲のそれと共通している。
「アリッサ?」
「踊りましょう、シルヴィオさん。わたし、できます」
「大丈夫か? 難しいステップだぞ」
シルヴィオさんが驚いた表情で見返した。
わたしの目を見て、本気だと理解したらしい。
「……わかった。リードする」
うなずいて、シルヴィオさんと向き合った。
(やるしか、ない)
片方の掌をお互いに合わせる。
彼の片手が腰にまわり、わたしは片手を彼の腕に添えた。
「行くぞ」
「はい」
シルヴィオさんのリードで、わたしたちはダンスの輪の中へと踏み出した。
左回りの円舞曲。
背の高いシルヴィオさんの肩越しに、くるくると入れ替わる背景。
わたしを支える大きな手の感覚。
力強く、それでいて決して強引でないシルヴィオさんのリード。
(うん、できるわ)
いちど流れにのってしまえば、もう誰かと衝突したり、転倒する心配はない。
ホールを半周する頃にはすっかり慣れて、心地よい音楽と頼もしい腕に身をまかせていた。
「すごいな、アリッサ。完璧だ」
耳元でシルヴィオさんが囁いた。
(よかった。シルヴィオさんに恥ずかしい思いをさせなくて済みそう)
故郷では一度も舞踏会に出たことはなかった。
でも、練習を面倒だと嫌がるリズラインの代わりに先生に教わっては彼女に教えたり、練習相手を務めること十年あまり。体がステップを覚えていてくれたのだ。
シルヴィオさんが腕を高く上げ、わたしの体をくるりと回転させた。
ふわりと一瞬、宙に浮くような感覚をおぼえる。
笑顔の彼と再び目が合い、わたしも自然と笑顔を返した。
握り合う指と指。大きな掌の感触。
レースの手袋の薄い生地越しに、彼の体温が伝わる。
シルヴィオさんが、こんなに近くにいる。
(こうして踊っている間は、ほんものの恋人どうしみたい……)
そんな図々しい想いを、押しとどめることができなかった。
わたしは、偽りの婚約者でしかないのに――。
二周したところで、円舞曲が終わった。
ボールルームじゅうの人々の目が、シルヴィオさんと、彼の隣に立つわたしに注がれている。
光あふれる空間に満ちる拍手の音が、漏らした吐息を掻き消してくれた。
呼吸と一緒にわたしが吐き出したのは、安堵と、それから……。
「やあ、シルヴィオ。それからアリッサ嬢。宮殿へようこそ」
ひとりの男性が、にこやかに話しかけてきた。
金色の刺繍を前面に施した長い上着が長身に映える、整った顔立ちの青年。
年齢はシルヴィオさんと同じくらい。少し癖のあるブルネットの髪、深い黒の瞳。
落ち着いた雰囲気の人なのに、佇まいには不思議と華がある。
(宮殿へようこそ、っていうことは……)
男性に向かって、シルヴィオさんが頭を垂れる。
「本日はお招きいただきありがとうございます、王太子殿下」
(やっぱり!)
「初めまして、アリッサ嬢。アレクサンダーだ。王太子であることは事実だが、それ以前にシルヴィオの友人と自己紹介しておこうかな」
プレスターナの王太子アレクサンダー殿下は、わたしの手をとって貴婦人に対する挨拶をした。