6.異国の騎士
首を絞めていた男の手が緩んだ。
声がしたほうへ目を向ける。
ランタンを手にした長身の人物が、森の闇を背負って立っていた。
長い外套を羽織った若い男性。
二十代前半だろうか。少し癖のある短い髪は金色に見える。
光に照らされた瞳は、きらめく緑。
そして、こちらに向けられたその顔は、夜目にも明らかなくらい整っていた。
「なんだ、てめえ」
リーダー格の男がすごむ。
怯む様子もなく、男性は毅然と言い返した。
「質問しているのはこちらだ。何をしているのかと訊いている」
「偉そうに。関係ねえ奴は黙って失せな」
「俺はプレスターナ王立騎士団のものだ。先ほど空の馬車を見つけた。あれはお前たちのものだな? 不審な輩を見逃すわけにはいかない」
(プレスターナ……?)
耳を疑った。
プレスターナといえば隣国の名だ。
知らないうちに、そんなに遠くまで連れて来られていたということ?
馬車が国境の関所を越えた気配はなかった。おそらくは正式な手段を踏まなかったんだろう。
男性の外套には、見慣れない紋章が刺繍されている。
プレスターナ王立騎士団と彼は言った。その制服のようだ。
「た……」
たすけて、と言おうとして咳き込んだ。
締め付けられていた喉が苦しい。
男性の目が、わたしを見る。
そして、ふたたび野盗を睨み付けた。
「その女性を放せ」
三人分の嘲笑が答えた。
「わかりましたって従うと思うか?」
「うらやましいなら混ぜてやるけどよ」
男たちが短剣をちらつかせる。
長身の男性はため息をつき、ランタンを地面に置いた。
「わかりましたと従っておけばいいものを……」
「生意気な野郎め!」
リーダー格の野盗が斬りかかった。
(あぶない!)
そう思ったのは一瞬だった。
無防備な体勢に見えた軍服の男性が目にもとまらぬ速さで長剣を抜き、刃を受け止める。
白い光が閃き、野盗がもんどりうって倒れた。
ぐったりとした仲間を見て、残り二人の顔色が変わった。
「やりやがったな!」
「ぶっ殺してやる!」
同時に襲い掛かかる相手を事もなげにかわした若者の剣が、野盗たちの首筋に叩き込まれる。
「うあ!」
「ぐぅっ……」
一人はそのまま動かなくなった。
もう一人はヒイヒイと苦しそうにもがきながら地面を転がりまわっている。
けれど男たちは、誰ひとりとして流血はしていなかった。
青年が瞬間的に剣の角度を調節し、彼らを殺さないようにしたことに気づいて驚愕する。
(このひと、すごい……!)
「怪我はないか」
倒れたままのわたしを、青年が助け起こしてくれた。
綺麗な顔に、心配そうな表情が浮かんでいる。
「もう大丈夫。やつらは逮捕して罰を受けさせる」
「あ……ありがとう、ございます……」
やっとのことで声を絞り出す。
「立てるか?」
大きな手で背中を支えられて上体を起こす。
「どうして、きみみたいな女性が……こんな森の中に」
問いかける青年の足元に、もぞもぞ動く物体があった。
ポンポンを入れていた布袋だ。
「ポンポン!」
呼びかけると、袋の口から怯えた表情のポンポンが顔を出した。
「よかった……よかった、ポンポン」
走り寄ってきた小さな体を抱きしめる。
青年の目に、微笑みの表情が宿った。
「ポンポン? その子の名前?」
「は、い……」
「そうか。仲がいいんだな」
「え……?」
てっきり、気持ち悪いっていわれると思ったのに。
肩にのぼってきたポンポンが、つぶらな瞳で彼を見上げる。
そして急に、ふうっと逆毛を立てた。
「どうしたの、ポンポ……」
青年の背中越しに、ゆらりと人影が伸び上がった。
さっきまで倒れていた野盗のひとりが、ふたたび彼に短剣を向けていたのだ。
「うしろ!」
わたしの叫びは、ゴウッという突然の轟音にかき消された。
「ぎゃあ!!」
断末魔の叫びが遠ざかる。
ムカデのようなかたちをした巨大な影が、牙のある口に男を咥えて木々の間を滑空していくのが見えた。
「しまった、魔獣か!」
若者が舌打ちをした。
(魔獣……それも有翼虫型の!)
聖女の力で時空のバランスが安定しているといわれていた故郷でも、何度か見たことがある。巨大な体をもつ虫型の魔獣だ。
厄介なのは、低空ながら飛行能力があること、そして番で行動する場合が多いこと……。
ザザザー……!!
大きな音とともに木々が揺れ、予想通り、もう一匹が姿を現した。
鉤のような爪のついた足で、意識をなくして倒れていた夜盗の体を鷲掴みにすると、そのままこちらへ向かってくる。
若者が、わたしを強く抱き寄せた。
「離れるな!」
彼が長剣を地面に突き立てる。
わたしたちを取り囲むように、地面に光の円が現れた。
まばゆい閃光が爆ぜ、魔獣が体を翻す。
(魔術円陣!?)
ここまで強力な円陣を発動させるなんて、並大抵の騎士にできることじゃない。彼は高度な魔術の使い手なのだ。
「ひいぃ」
残っていた一人が半狂乱になって逃げだした。
「待て、おまえも円陣に入れ!」
青年の呼びかけを無視して走る野盗を、わたしたちから離れた魔獣が追っていく。
双方の姿が視界から消えた頃、男の叫び声だけが森の奥から聞こえてきた。
「……っ」
木立の彼方の光景を想像して、思わず目を閉じた。
周囲に静寂が戻る。
わたしの肩を抱く青年の手に、力がこもった。
「……行こう」
「はい」
力強い声に促され、歩き出す。
名前も知らない人の大きな手と、ポンポンのふわふわの温もりが、震える足を動かす支えになってくれていた。
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