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59.花の色のドレス

「いらっしゃいませ、シルヴィオ様、アリッサ様」


 街の一等地にあるブティック。

 シャンデリアが照らす豪華なサロンで、主であるデザイナー、メイヤー女史は艶然と微笑んだ。


(わぁ……!)


 心の中で声をあげずにいられなかった。

 壁を埋める上質な生地、フロアに並ぶ何体ものトルソー。そのすべてに美しいドレスが着せつけられている。


 赤、青、桃色、緑に紫に白、金銀――。

 シンプルなものから豪華を極めた夜会用のものまで、どれも素晴らしく洗練されたデザインばかりだった。


「もっと早くおいでになるかと思っておりましたわ。とうとう今夜が『その時』というわけですのね」


 シルヴィオさんを見上げて、メイヤー女史が言う。


「ああ。急ですまないが、例の品を引き取らせて貰えるだろうか。ここで着替えて、そのまま夜会に向かいたい」


「おやすい御用でございます。お代はとうにいただいておりますしね。まずは作品をご覧いただきましょうか」


 アシスタントの若い女性がふたり、奥の小部屋のカーテンをさっと開く。 

 帷のむこうから、ドレスを纏った一体のトルソーが現れた。


「素敵……!」


 今度は思わず声が出てしまった。


 薄紅色の、ひときわ美しい夜会用ドレスがそこにあった。


 大きく開いた襟元には金色の刺繍と真珠色のビーズ、胸にはリボン。

 細く絞られた胴体部分とは対照的に、スカートの裾は足元に向かってふんわりと広がる。

 肘から下の袖は幅広の白いレースがたっぷりとあしらわれ、まるで重なり合う花びらのよう。


 緻密に繊細に作り上げられた、芸術品と呼びたくなるようなドレスだった。


「あ……この生地は」


「おわかりになります?」


 漏らした呟きをメイヤー女史が拾う。


「シルヴィオ坊っちゃま、いえ、シルヴィオ様から、この生地でアリッサ様のドレスを作るようにとご注文をいただいたのです。腕によりをかけてデザインさせていただきましたわ」


「それじゃ、このドレスはシルヴィオさんが!?」


 シルヴィオさんは少し恥ずかしそうに目を逸らした。


「いつか必要になると思ってな。気に入ってくれるといいんだが」


 この薄紅色の生地は、メイヤー女史がリーンフェルト邸に来たときに持参していたもの。


 とても綺麗な色。

 まるで、春に咲く花みたいな――。


 シルヴィオさんは、メイヤー女史から聞いていたのかしら。わたしが目を奪われていたことを。

 まさか、こんな素敵なドレスを発注してくれていたなんて。


「……本当に、わたしがこれを着ていいんですか?」


「もちろんだ」


 シルヴィオさんが微笑む。

 

「ありがとうございます、シルヴィオさん」


 胸にこみあげるものがあって、それだけ言うのが精いっぱい。


 シルヴィオさんの耳に、急に赤味がさした。


「礼はいらない。俺が勝手にしたことだから」


「さあ、お着替えを」


 メイヤー夫人が手を引く。


「ポンポンちゃんはわたくしがお預かりしますわねっ」


「きゅー」


 エイダさんがポシェットごとポンポンを抱っこしてくれた。


 分厚いカーテンが閉じられる。

 壁一面が鏡張りの小部屋の中で、わたしとメイヤー女史は二人だけになった。




 ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦




「アリッサ様。以前わたくしが申し上げたこと、覚えていらっしゃいますか」


 着付けを終えたわたしに、メイヤー女史が尋ねる。


「はい。覚えてます」


 顔を上げる。

 正面から対峙する。鏡の中の自分に。

 

「そう。お顔を上げて。視線は前に」


 鏡の中からこちらを見返している若い女性。 

 薄紅色のドレスを纏い、編み込んだ髪に花の形の髪飾りを散らし、ゆるく巻いた髪の毛の先は肩へと流して。


(これが、わたし?)


 背後に立つメイヤー女史が、鏡越しに満足そうに笑うのがわかった。


「お変わりになられましたね、アリッサ様」


「そう……でしょうか」


「ええ。あなたの変化は内面から滲み出るもの。シルヴィオ様のもとで良い日々をお過ごしになられていたようですね」


 そう言われても、自分ではよくわからない。

 ただ、数か月前とは違う部分は、鏡の中にいくつか見つけることができた。

 以前よりも髪に艶がある。荒れていた肌には弾力と透明感が宿り、頬も唇も瑞々しい。


(わたし、変わった……かも)


 初めてメイヤー女史に会った時の記憶が甦る。

 シルヴィオさんに助けられ、この国で迎えた最初の朝のこと。


 鏡に映る自分を、みすぼらしいと感じた。

 疲れ果て、痩せ細り、髪も肌もぼろぼろで。

 恥ずかしくて、とても顔を上げていられなかった。


 この素敵なドレスが似合っているか、自分ではよくわからない。

 でも。少なくとも「あのときのわたし」は、もういない。そう、思えた。


「開けてちょうだい」


 メイヤー女史のひと声で、カーテンが開く。


 カーテンの外で待っていたアシスタントの女性たち、エイダさんとポンポン、それにシルヴィオさんの目が一斉にわたしに注がれ……。

 そして、一様にまんまるになった。


「あ、あの……?」


 な、なに、この空気?


(やっぱり似合ってないのー!?)


「とってもお綺麗です! アリッサ様!」


 静寂を破ったのはエイダさんだった。


「きゅー!」


 エイダさんに抱かれていたポンポンが、嬉しそうな鳴き声とともに胸に飛びこんでくる。


「可愛い……!」

「先生のデザインが最高に似合っているわ!」


 スタッフの皆さんも興奮した様子で言葉を交わしている。


(は、恥ずかしい)

 

 もともと注目されることに慣れていないから、つい下を向きたくなってしまう。

 後ろからメイヤー女史の咳払いが聞こえて、うつむきかけた顔を慌てて上げた。

 

「旦那様」


 エイダさんがシルヴィオさんをつつく。

 我に返ったように、シルヴィオさんは手にした小箱の蓋を開いた。


「着けてみてくれ、アリッサ」


「これは……?」


 金色の小箱の中には、エメラルドとダイヤモンドを連ねた見事なネックレスとイヤリングが輝いていた。


「リーンフェルト家に伝わる品だ。そのドレスにも合うだろう」


「そんな大切なもの、お借りするわけにはいきません!」


「いいんだ。着けてごらん」


 そう言ってシルヴィオさんはネックレスを手に取り、わたしの首に掛けてくれた。

 続けて、イヤリングも。


 うなじに、耳に、そして手に触れる、彼の指先の感触。

 緊張で息が止まりそう。


 わたしたちを見たメイヤー女史が、艶やかな笑みを浮かべて言った。


「どうぞ行ってらっしゃいませ、シルヴィオ様、アリッサ様。素晴らしい夜になりますように」





 

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