58.夜会への招待
「ずいぶんと急なお誘いですのね、旦那様?」
語彙力をなくしたわたしの気持ちを、エイダさんが代弁してくれる。
頷くシルヴィオさんの隣で、ブルーノさんが手に持ったカードを掲げて見せた。
夜会への招待状。
金色の縁飾りと、王家の紋章が見てとれる。
「ついさっき、イルレーネ王女様の使者が届けにきた。今夜だけは欠席するな、そして必ず婚約者を同伴するようにとの伝言つきだ」
「まあ、王女殿下じきじきのご伝言! それはお断りするわけにまいりませんわねえ」
「自主的に参加しないなら一個小隊を送りこむと書いてある。これはさすがに冗談として、あの方は言い出したらきかないからな。理由をつけてアリッサに会いたいんだろう」
「イルレーネ王女様って、あのイルレーネ王女様ですか? わたしに? なぜ?」
お会いしたことがないわたしでもわかるくらい、国民から絶大な人気を寄せられている王女様。
ただ、ここに一個小隊という言葉がでてくるあたり、「跳ねっ返り姫」の名で呼ばれる気性が垣間見えるようだ。たしか熊と戦って勝ったとか言われていたような……。
「我が家はイルレーネ様とは昔から懇意の仲なんだ。正確には妹が、だが。ソフィアはイルレーネ様に仲良くしてもらっていたんだよ」
「ソフィアさんが……」
「イルレーネ様も、ときどき我が家に遊びにいらしていたものさ。庭がお気に入りでね。珍しい花の種や苗が手に入ると、ソフィアに分けてくださったりしていたな」
シルヴィオさんの瞳に浮かんだ懐古の色。
一瞬のことだったけれど、彼と亡き妹ソフィアさん、そしてイルレーネ王女様の関係を物語っているように見えた。
「それはそうとして旦那様、今になって王女様のお呼び出しとは不思議ではありませんこと? 旦那様とアリッサ様の婚約は、王女様も既にご存知のはずですわよね」
「もちろん報告済みだ。それで、アリッサを紹介するよう何度も言われていたんだが……実はその、きみの記憶が戻っていないことを理由に断り続けていた」
「まあ旦那様ったら、そんな大切なことをアリッサ様に内緒にされていたんですの!?」
「旦那様なりのお気遣いだったのですよ。アリッサ様、どうぞお許しを」
おかんむりの様子のエイダさんと、傍らからとりなすブルーノさん。
頭をふって、シルヴィオさんは続けた。
「今夜の夜会も事前に辞退を伝えていたのに、強引に参加を命じて来られるとは。さすがに痺れを切らされたか……」
「まあ、王女様のお気持ちもわからないではございません。王女様にとって旦那様は幼馴染みも同然ですからなあ。ご婚約されたというのに、お相手をいつまでも紹介されないのはお寂しいのでしょう」
庇うようにブルーノさんが言う。
シルヴィオさんの大きな手が、懇願するようにわたしの両肩を包んだ。
「そういうわけだ、アリッサ。すまないが一緒に夜会へ行ってくれないか」
耳元で、こっそりシルヴィオさんが囁く。
「約束違反なのはわかっている。今回だけ、俺を助けると思って」
「でも、いきなり夜会だなんて、わたしには難易度が高すぎます……!」
「ダンスは踊らなくていい。王女様にご挨拶をするだけでいい」
「ほ……本当に、それだけでいいですか?」
「ああ。そこまで大袈裟な夜会でもないはずなんだ。頼む、この通り」
シルヴィオさん、本当に困っているみたい。
たしかに、王女様のお誘い(というか命令?)なんて断りきれるものじゃない、か。
それに……。
『あなたは自分の夫となる人に、恥ずべき行いをしていないと言い切れる?』
いつかバウマン男爵令嬢に言われた言葉が、脳裏に再生される。
彼女は、こうも言っていた。
『社交の場に顔も見せず、若い医師のもとに入り浸るなんて』
そんなふうに考えている人が、他にもいるのかもしれない。
(わたしが一度でも夜会に参加すれば、シルヴィオさんを助けることになる……?)
「お……お力になりたいとは思います、けど……」
無意識に、自分の体を見下ろした。
ポシェットの中のポンポンと目が合う。
(どうしよう、ポンポン?)
いま着ているのは、シンプルな型の水色のドレス。
襟元に少しだけレースをあしらったデザインは可愛いし、わたしの持っている服の中では豪華な方だ。
でも、これはあくまで「仕事に着ていける」ことを考えた服。宮廷での舞踏会には場違いという他ない。
今日のシルヴィオさんは、礼装用の白い軍服姿。
いつにも増して凛々しく、美しい。
(こんなわたしが隣に並んだら、シルヴィオさんに恥をかかせちゃうわよね?)
「旦那様。アリッサ様に必要なもの、おわかりですわね?」
エイダさんの問いかけに、シルヴィオさんが唇の端を上げた。
「もちろんだ。アリッサ、急いで出かけよう」
「で、出かけるって、宮殿にですか?」
「その前に寄るところがある。メイヤー女史を覚えているだろう?」
「メイヤー女史って、デザイナーの?」
「そう、まずは彼女のサロンへ。エイダ、一緒に来てくれ」
「喜んでお供いたします!」
「え? ちょっと待ってください、お二人とも、どういうことです?」
シルヴィオさんに手を引かれ、エイダさんに背中を押されながら問いかける。
エイダさんが、にっこり笑った。
「アリッサ様に必要なもの。それすなわちドレスですわ、ド、レ、ス! こうなったら、うーんと綺麗なアリッサ様をお披露目しちゃいましょう。いざ、デビュウ! でございますわ!」
「デビュウって、え!? シルヴィオさん!」
前を行くシルヴィオさんが振り向く。
怜悧な顔には、悪戯っぽい微笑みが浮かんでいた。