57.最強の護衛(ボディガード)
ドン、ドン!
ドンドンドン!
音は、だんだん強くなる。
扉の向こうにいるのは、誰——?
「アリッサー! デニスせんせー! あれっ、いないの?」
「あーけーてー!」
聞き覚えのある声で名前を呼ばれて、ほっと胸を撫で下ろした。
「おはよう、ルティ、カティ」
扉を開けると、ルティ、カティ姉妹がいつもの笑顔でわたしを見上げている。
ジャンにマルコにメル、他の子供たちの姿も。
「アリッサ、今日もご本よんでくれる?」
「ねえアリッサ、おれ自分の名前が書けるようになったんだ。練習してきたから見て」
「ポンポンとあそびたい!」
「もちろん、ぜんぶ大歓迎よ。さあ、みんな入って」
わーいと声をあげながら子供たちがなだれこんでくる。
診療所の外には、彼らのほかには誰もいない。
(さっき見えたのは、子供たちの誰かだったの? それとも、単なる見間違い……)
妹やダルトア王国にまつわる色々な話を聞きすぎて、神経が尖っているのかも。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「今日は朝早くからご苦労さま。もう帰っていいよ。ちゃんと手当てをつけるからね」
子供たちを送り出したあとの診療所で、デニス先生がわたしに微笑みかける。いつもの白衣ではなく、エプロン姿だ。
子供たちの勉強をみてあげて、ご飯をつくり、食べさせて、全員で後片付けをする。週一回の恒例行事。
デニス先生は、これを何年も続けているという。
大勢の子供に食べ物を用意するのは、想像以上に大変だ。
正直に言って、お金もかかる。デニス先生が貴族の往診で得る収入の大半は、子供たちの食費に消えているのだ。
そんなわけだから、先日のバウマン男爵令嬢からの大量の差し入れは、診療所にとって非常にありがたかった。
「お疲れさまでした。では、失礼します」
「うん、また明日」
ポンポンとともに外に出て、思わず周囲を見渡した。
子供たちが去った診療所は、午後の静寂に包まれている。
門の向こうに人影はない。ないように、見える。
「……びくびくしすぎよね、わたし。帰りましょ、ポンポン」
肩の上のポンポンをひと撫でしたとき、門の陰から、ぴょん、と跳ねるように誰かが飛び出してきた。
「お疲れ様でございますっ」
「きゃあ!」
思わず声をあげる。
「え? アリッサ様、何をそんなに驚かれるんですの!?」
「エイダさん!? どうしてここに?」
目の前でニッコリと笑ったのは、リーンフェルト家のメイド、エイダさんだった。
見慣れたお仕着せではなく、薄茶色の私服ドレスに身を包んでいる。
「お迎えにあがりました! 旦那様の仰せです」
「シルヴィオさんの?」
「できるかぎり目立ちたくないというアリッサ様のお気持ちは、旦那様もよーくご承知ですわ。ですからわたくし、私服でまいりましたの。これならお友達どうしで歩いているみたいに見えますでしょ?」
くるりとターンしてみせるエイダさん。
踝までのドレスがよく似合っている。
実は今朝も、シルヴィオさんは診療所までわたしを送ってくれようとした。
昨日のことを心配してくれたんだと思う。丁重にお断りしたので実現しなかったけど。
シルヴィオさんとの仮の婚約期間が終われば、ひとりで生きていくことになるのだ。身の丈に合わないことはしたくない。
診療所の患者さんたちも町の人が殆どだし、そこに勤める助手に送り迎えがつくのは、ちょっと違和感がすぎると思う。
だけど――本音をいうと、今日は誰かにそばにいて欲しかった。
そんなわたしの様子を察して、シルヴィオさんは私服のエイダさんを送り込んでくれたのかしら。
すごく嬉しい。
嬉しいんだけど……エイダさんだって女の子だし。
(もしもわたしが誰かに付き纏われているとして、彼女まで巻き込んでしまったら……)
一秒後、わたしはそれが杞憂だと悟った。
「何者!」
近くの木陰に目を走らせたエイダさんが、目にも留まらぬ速さで長いドレスの裾を持ち上げ、スカートの下から何かを投げつける。
カッと音を立てて木の幹に突き刺さったのは、小型のナイフだった。
にゃ〜、と鳴き声を上げて木陰から走り去ったのは、大きな野良猫。
「あらいやだ! わたくしとしたことが、あんなに可愛い猫ちゃんと不審者を間違えるなんてお恥ずかしいですわ。猫ちゃーん、ごめんなさーい」
「エ、エイダさん、それ……?」
「お話ししませんでした? わたくしナイフ投げが得意なんですの。他にも格闘術、護身術、剣技といろいろ心得がございまして。要するに、並大抵の男子には負ける気がいたしませんわね」
エイダさんは涼しい顔で幹からナイフを引き抜き、スカートの下へ戻す。
「さ、まいりましょ、アリッサ様!」
「は、はい」
やっぱり、シルヴィオさんには見透されていたみたい。わたしが何かに怯えていること。
彼はわたしのために、最強の護衛をつけてくれたのだ。
(というか、もともと守られていたのね、わたし……)
これは、事件なんて起こりそうにない。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦
―――ところが。
無事に帰り着いたリーンフェルト邸で、事件は既に起こっていた。
「や、夜会? 宮殿? わたしが? シルヴィオさんと!?」
目の前のシルヴィオさんは申し訳なさそうに頷く。
そして、さっき聞いたのと同じ言葉をもう一度、丁寧に繰り返した。
「そうだ。今夜、宮殿で行われる夜会に一緒に参加してほしい。俺の婚約者として」




