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56.奇跡ふたたび

 ティーモさんの手術の翌日は、休診日だった。


 外来診療はお休みでも、デニス先生の仕事はお休みじゃない。

 午前中は往診、お昼からはデニス先生を慕う子供たちが集まってくる。

 

 今日いちばんの往診先はビアンキ邸。

 昨日手術をした息子さんの様子を見にいくのだ。


「場合によっては、今日も手術が必要になるかもしれない。アリッサ、大丈夫かい?」


「はい、先生」

 

 デニス先生の顔には、いつもよりも緊張感が滲んでいた。


「ポンポン、今日は診療所でお留守番よ。……どこにいるの?」


 声をかけたのに、ポンポンの姿が見当たらない。

 いつもは受付の横の小さな棚(ポンポンのためにデニス先生が取り付けてくれた)の上が定位置なのに。


「もうすぐお迎えの馬車が来ちゃうのに……あら?」


 探しまわって見つけたポンポンは、いつものバスケットの中に、ちんまりと座っていた。

 小さな前足で、開いたままになっていた蓋を自ら閉める。


「ついてくる気、満々だね」


「は……はい……。もう、いい子にしててよ? 声も出しちゃだめよ?」


「きゅ」


「返事した!」


 驚愕の様子のデニス先生。

 仕方なくバスケットを抱え、迎えの馬車でビアンキ邸へと向かった。


「せ、先生! シュターデン先生! 息子が……ティーモが!!」


 患者さんのいる部屋の扉が開く前に、中からビアンキさんが飛び出してきた。


「落ち着いてくださいビアンキさん、急変ですか!?」


 デニス先生が問いかける。

 その腕にすがって、父親は首を大きく横に振った。


「逆です。ティーモが目を覚ましました!」


「では、意識が戻ったんですね?」


「はい! 話もできます。傷口もすっかりふさがって……! どうぞ中へ!」


「傷口が!? まさか……」


 慌ただしく中に入る。

 午前の陽が差し込む部屋のベッドの上には、うつ伏せに体を横たえているティーモさん。

 昨日と同じ体勢だ。でも、その目はしっかりと開き、光を宿していた。


「おはようございます、ティーモさん。気分はいかがですか?」


 デニス先生が優しく話しかける。

 ティーモさんの口もとに笑みが浮かんだ。


「先生、おはよう。すごくいい気分だよ。昨夜は久しぶりにゆっくり眠れたんだ」


 答える声に張りがある。

 頬はこけたままだけど、生気の戻った顔には年相応の若者らしい表情が見て取れた。

 

 デニス先生が、ティーモさんの寝巻きをそっとめくり上げる。


(傷がふさがってる……!?)


 父親のビアンキさんが言った通りだった。

 あんなにも膿んで脈打っていた背中の傷は、腫れが引き、本来の肌の色を取り戻している。


 付き添っていたビアンキ夫人が、レースのハンカチで涙を拭った。


「今までは手術をしても、ひと晩ともたず傷口が開いてしまっていたのに……シュターデン先生にお願いして本当によかった……!」


「痛みはどうです? ティーモさん」


 デニス先生の質問に、ティーモさんがうつ伏せのまま親指を立ててみせる。


「ほとんどないよ。もう起き上がれそうな気がする。ねえ先生、僕すごくお腹が空いてるんだけど、昼食にステーキを食べてもいいかな?」


 おどけたような物言いに、みんなが笑った。

 その間にも、ご両親の目からは安堵の涙がとめどなく流れつづけていたけれど。


「シュターデン先生、ありがとう。それから……」

 

 ティーモさんが、わたしの方へ顔を向ける。

 はにかんだような笑顔を浮かべて、彼は続けた。


「アリッサさん、あなたにもお礼を」


「え?」


「頑張れって、言ってくれたでしょ。とても綺麗な声だった」


「聞こえていたんですね、ティーモさん」


「うん……絶対、生きてやるって思えたよ。シュターデン先生には、もちろん感謝してる。だけど、あなたにも勇気を貰った気がするんだ」


「ありがとうございます、アリッサ嬢。我々からもお礼を」


 ビアンキさん夫妻までが頭を下げる。


「そんな……」


「アリッサ、患者さんの近くに」


 デニス先生に促され、ベッドの横へ歩み寄った。

 視線の高さを合わせるために膝をつく。

 ティーモさんの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。


「……僕は、いちど死んだ」


 心臓が、大きく跳ねた。

 自分のことを言われた気がして。


「すごく……怖かった。ダルトアの人たちは、もう聖女様のことを信じてない。そのことを知ってしまったから、僕は消されてしまうんだって。誰にも祈ってもらえずに」


「ティーモさん……」

 

 ごめんなさい、という言葉を懸命に堪える。 


 ティーモさんが、にこりと笑った。


「アリッサさん。僕のために祈ってくれてありがとう。僕にとって、聖女は、あなただ」


 デニス先生が、そっとわたしの肩に手を置く。

 様々な感情が胸に沸き上がってきたけれど、どれひとつ、わたしは言葉にできなかった。



 

 ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦




 診療所に帰りついて、すぐにバスケットを開く。

 ポンポンは嬉しそうに飛び出してきて、わたしの肩にちょこんと乗った。


 デニス先生が、大きな吐息とともに天を仰いだ。


「よかった……ティーモさんが回復して」


 眼鏡をはずした横顔に、安堵の色が浮かんでいる。

 患者さんや、そのご家族の前では決して見せない素直な表情だ。

 

「先生の手術が素晴らしかったからです。ね、ポンポン?」


「きゅ」

 

 頷くみたいにポンポンが鳴く。


「手術はたしかにうまくいったよ。でも……」


「何か、気になることでも?」


「いや、なんていうか……ティーモさんの気持ちがわかるんだよ、僕も」


 脱いだ帽子を弄びながら、言葉を探るようにデニス先生は続けた。


「きみといると、体の奥から力が湧いてくる。最大限の能力を発揮出来てる気がするんだ」


「……」


「ごめん、伝わらないよね。なんていうのかな……ティーモさんも言ってただろう、アリッサに励まされて勇気を貰った気がするって。僕もそうなんだ。自分でも不思議なくらい、自分を信じられる」


「先生……」


「僕は聖女様にお会いしたことはない。だけど……聖女様って、きっとアリッサみたいな人なんだろうな、本来は。……って、何を言ってるんだろうね、僕」


 後半は、ほとんど独り言。


「おっ、そろそろ子どもたちが集まって来る時間だ。支度しないと」


 照れ隠しみたいに言って、デニス先生は足早に診療所の中へと入っていく。


 ――同じようなことを、以前、わたしに言ってくれた人がいた。


『きみといると、力が湧いてくるよ』


 ……シルヴィオさん。

 きっと、何気なく言ってくれただけの言葉、なんだろうけど。

 とてもとても、嬉しかったことを覚えてる。

 

 もちろん、わたしは聖女じゃない。

 聖女は妹、リズラインだ。

 今も昔も、わたしは何もできないままだ。


 でも、誰かの力になることはできる。

 この国に来てから出会う人たちは、そう思わせてくれる。


 ここにいていい。

 生きていていい、と。


(わたしは、わたしにできることをやるだけなんだ)


 デニス先生に続いて、診療所の中へ入ろうとしたとき、


「きゅー!」

 

 肩の上のポンポンが鋭く鳴いた。


「ポンポン? どうしたの?」


「きゅー! きゅー!」


 ポンポンの目は、わたしの背後を見ている。

 肩の上で爪を立て、フーフーと声を出しながら体を膨らませている。警戒しているときの体勢だ。


(また……?)


 振り向きざま、木立の陰に黒っぽい人影が横切るのが見えた。


「誰かいるの!?」


 呼びかけても返事はない。

 

(まさか、昨日の!?)

 

「アリッサ?」


 なかなか入ってこないわたしに気づいたのか、デニス先生が扉からひょいと顔をだす。


「はーい、いま行きます!」


 わざと元気な声で返事をして、診療所の中へと駆けこんだ。

 バタンと勢いよく扉を閉め、鍵をかける。


(なんだか、怖い……)


 ドン、ドン!


「ひゃっ!?」


 扉を叩く音がして、思わず飛び上がった。


(誰……!?)




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