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5.仕組まれた危機

 ガタン!

  

 ひときわ激しく馬車が揺れた。

 膝の上に抱いた布袋が、もぞもぞと動く。


「起きちゃったのね、びっくりした?」


 声をかけると、布袋からポンポンが顔をのぞかせた。

 淡いピンクの鼻先が動き、眠そうな黒い瞳がパチパチとまばたきを繰り返す。


「大丈夫、わたしがいるわ。眠ってて」


 あやすように背中をなでると、大きなあくびをひとつして、ポンポンは布袋の中でまた丸くなった。


 馬車に揺られ続けて、もう何日経っただろう。

 昨日あたりからは悪路が続いている。

 ポンポンには大丈夫って言ったけど、体のあちこちが痛い。


 王都を発って以来、必要最低限のとき以外は馬車から降ろしてもらえない。

 罪人とはいえ聖女の姉にもしものことがあってはいけないという建前のもと、わたしには屈強な護衛がついていた。彼らは監視役でもあるのだ。


 扉には外から鍵が掛けられている。

 何も教えてもらえないから、今どこを走っているのかもわからない。


 時間の感覚さえ薄れているけれど、車体を温めていた陽のぬくもりが消えてからずいぶん経つ。かなり夜も更けているはずだ。


(そろそろ修道院に着いてもいい頃だと思うけど……)


 おそるおそるカーテンを開けてみる。

 外の世界は、黒一色だ。

 暗闇に塗りつぶされた景色。ただそれだけなのに、強烈な違和感があった。


 ――横を走っているはずの護衛が、いない。


 およそ灯りらしきものも周囲に見えない。

 馬車の揺れ具合からすると、山道か森の中を走っているようだ。


(やっぱり、何かおかしいわ)


 わたしの移送なんて、一刻を争うような案件じゃない。

 何かの理由で予定より時間がかかっているとしても、深夜に馬車を走らせてまで到着を急ぐ必要なんてないのに。

 しかも、こんな人気ひとけのない場所を……。


 突然、馬が嘶く声が聞こえた。

 馬車が急停止する。


(何があったの?)

 

 ガチャリ。

 鈍い音がして、馬車の扉が開いた。


「降りろ」


「きゃあっ!?」


 太い腕が伸びてきて、わたしを乱暴に外へと引きずり出す。

 布袋に入ったポンポンを庇ったせいで、地面にまともに放り出される格好になった。


「手荒な真似してごめんなぁ、お嬢ちゃん」


 野太い声が降ってくる。

 暗がりの中、見知らぬ三人の男がわたしを見下ろしていた。


 全員、同じような黒い服。

 大柄な一人が馬車に体を入れ、わたしのなけなしの荷物を肩に担ぎあげる。


(野盗……!) 


 咄嗟に悟って、叫んだ。


「護衛兵さん! 助けて!」


 それを聞いた男たちが面白そうにニヤニヤ笑いを浮かべる。

 周囲を見渡しても、護衛兵ばかりか馭者の姿も見えない。

 もしかして、既に殺されてしまったの!?


「安心しなよ。護衛兵さんとやらは無事だよ」


 わたしの心を見透かしたように、野盗のひとりが言った。


「そうそう、正式に『交代』したのさ。今からは俺たちが護衛兵みたいなもんだ」


「な、なにを言って……」


「俺たちはさ、頼まれたんだよ。あんたをあの世まで連れてってやってくれって」


 暗闇の中に白いものが光った。一人が短剣を抜いたのだ。

 他の二人もそれに続く。

 僅かな灯りに照らされた六つの目に、明確な悪意が揺らめいていた。

 

「たの、頼まれたって、誰に」

 

 怯えちゃ駄目。毅然としなきゃ。

 心と裏腹に、体はガタガタ震えだす。


「詳しいことは俺たちも知らねえよ。さる高貴なお方からとだけ」


「おい、余計なこと言うな」


 口をすべらせた一人を別の男が止める。


「なあ、お嬢ちゃん」


 ひときわ体格のいい中年の男が、急に猫撫で声を出した。


「あんた、貴族なんだってな。やっぱ、そこらの女とは違うぜ。すぐに殺すのはもったいねえな」


 ぞっと鳥肌がたった。

 髪を触られそうになって反射的に払いのける。


「やめて!」


 男たちが囃し立てるように笑った。


「へへっ、やめてーだとさ」


「嫌がってる声も可愛いねー」


 細い山道。周囲は森。他に人の気配などあるはずもない。


 風が木々を揺する。

 ひりつくような夜の空気の中、野盗たちの狂気が増していくのが伝わってくる。

 

「ちょっと俺らと遊ぼうぜ。なんならその後で逃がしてやるよ?」


「や……!」


 一人がつかみかかってきたときだ。


「フー!!」


 ポンポンが布袋から体を乗り出し、精いっぱいに毛を逆立てた。


「うわ!」


 不意を突かれた男がバランスを崩し、他の二人を巻き込んで後ろに倒れる。


(逃げなきゃ!)


「おい、待ちやがれ!」


 怒鳴り声を背中に、ポンポンを抱いて走り出した。


 真っ暗な森の中を必死で駆ける。

 スカートの裾が足に纏わりつき、華奢な靴の踵が下草に取られて滑る。


 罪人らしからぬ白いドレスは、夜の闇の中でも明るく浮かんで見えているだろう。

 出発前に着替えさせられたのが、この服だった。リズラインからの差し入れだ。

 こんな場面を想定してのことだとは思いたくもないけれど。

 

 大声をあげながら追って来る男たち。

 木の枝に体を打たれながら、必死で逃げる。


(殺される!)

 

 逃がしてやるなんて嘘だ。

 こんな死にかた、罪人として処刑されるより酷い。


(いったい、どうしてこんなことに!?)


 彼らはわたしを亡き者にするよう「依頼された」と言っていた。

 名前を明かさず、わたしをこの世から消そうとしている人物がいるっていうこと?


 頭のなかに、鮮明に甦る声がある。


『お姉さまにいなくなってほしいの』


 まさか。


『道中の無事を願っているわ。物騒な目に遭わなければいいわね』


 その「誰か」って。

 ――リズライン、なの……?


「あっ」


 倒木につまずき、体が土の上に投げ出された。

 ポンポンが入った布袋が手元から飛び、近くの草むらに落ちる。


 追いついてきた男の一人に襟首を掴まれ、仰向けに抑え込まれた。


「いや……!」


 馬乗りになった男の両手が、首筋を強く締め上げる。


「おいバカ、殺すな!」


「死んだことにして女郎屋に売ろうって話しただろ!?」


「うるせえ! この女……俺を馬鹿にしやがって」


 息が詰まる。

 野盗たちの怒声が遠のいていく。


(死ぬの……わたし……?)


 脳裏に、様々な人の顔が浮かぶ。

 故郷の両親。ウィルヘルム殿下。それに、リズライン。

 誰もが冷たい表情を浮かべて消えていく。

 わたしがいなくなっても、きっと誰も悲しまない。


(……もう、ここで終わってもいいのかな)


 ポンポンのことだけが心配だった。

 野盗たちも、ポンポンまでは殺さないだろう。そう思いたい。

 ポンポン、どうか生き延びてね――。


 視界が白濁する。

 目の前が霧に閉ざされるようにかすんで、そして……。


「何をしている」

 

 意識が途切れる一歩手前。

 凛とした男性の声が、暗い森に響いた。



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