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48.料理人ユスト、本気を出す

「はあ? 三十人分!?」


 ユストさんが声を張る。


「はっ、はい! あの、子供がほとんどなんですけど。それに三十人は目安で、少し増えたり減ったりするかも……」


 おそるおそる補足するわたし。


 リーンフェルト邸での夕食後。

 診療所での食事会をするにあたり、料理人のユストさんにメニューのアドバイスが欲しいと相談したら、意外なくらい大きなリアクションが返ってきて驚いた。


 今日はめずらしく帰りが早かったシルヴィオさんや、エイダさん、ブルーノさんたちも、呆気にとられて見ている。


「そんな大人数の昼食を明日、あなた一人で作るっていうんですか!?」


 眉間に皺を刻み、ユストさんがわたしに尋ねる。


「い、一応、もう一人いるにはいます。診療所のデニス先生が」


「その人って医者ですよね? 料理人じゃないですよね」


「はい……」


「場所はどこで」


「診療所のお庭です。外の方が気軽に楽しんでもらえるかなー、なんて」


「それで、材料は? どんな食材があるんです?」


「あ、はい。こんな感じです」


 食材をメモしてきた紙を手渡す。

 文字に目を走らせたあと、ユストさんがじろりとわたしを見た。


「……なにを作るか、もう決めたんですか」


「ええと……具体的には、まだ決まってません……」


「明日とは、また急な話だな。何かあったのか?」


 食後の葡萄酒に口をつけたばかりのシルヴィオさんが会話に入って来る。 


「匿名で大量の寄付をしてくださった方があるんです。傷みやすい食材もあるので、早めにみんなに食べてもらおうと思って」


「匿名の寄付」


「先日、往診で伺ったご令嬢からだと思います。お薬やシーツも寄付していただきました」


「まあ、良い方がいらっしゃるのですね!」


 傍で聞いていたエイダさんが感心したように声をあげる。


「はい。ぜひお礼をお伝えしたいんですけど、往診依頼も偽名だったかもしれなくて……」


「無理だ」


 メモを睨んでユストさんが、急に顔を上げた。


「ユストさん、無理って?」


「あなたには無理です。この食材を使いこなして、段取り良く三十人分の料理を作るなんて」


 わたしの目を見て、キッパリと言い切る。

 食堂が、しん……と静まりかえった。


「ちょ……ちょっとユスト、その言い方はないんじゃない? アリッサ様が皆さんのために頑張ろうとなさってるのよ、アドバイスくらいできるでしょ?」

 

「素人に中途半端なアドバイスなんかしたって意味ない。食材が泣くだけだ」


 エイダさんの言葉に、ユストさんは素っ気なく横を向く。


「だからって突き放すなんて冷たすぎるわよ。あなたも料理人なら、せめてメニューのひとつも提案してさしあげるべき……」


「俺が行く」


「え!?」


 この「え!?」は、ユストさん以外の全員による大合唱だった。


 ユストさんがわたしに向き直る。


「明日は俺が調理を担当します。いいですね」


「い、いいです、けど……わたしは。ユストさん、お仕事は」


「明日は休息日ですから!」


「は、はい! よろしくお願いします!」


 あまりの剣幕に思わず頷く。

 次にユストさんは、シルヴィオさんに向かって頭を下げた。


「旦那様。明日、アリッサ様とご一緒させていただくことをお許しください」


 シルヴィオさんの口元に笑みが浮かぶ。


「使用人のプライベートに口を出すつもりはない。思う存分腕を奮ってくるといい。ただ、俺からもアリッサに頼みがある」


「何ですか?」


「俺にも手伝わせてくれ」


「え!?」


 今度の「え!?」は、シルヴィオさん以外の全員での合唱になった。


「奇遇だな、明日は俺も非番だ。大人数での食事会なら人手が必要だろう?」


「それはそうですけど……シルヴィオさん、そんなことなさって大丈夫なんですか?」


「休日に何をしようと自由だ」


「でも、ご迷惑になりません……?」


「迷惑なんかじゃない。たまには頼られたい」

 

 そう言ったシルヴィオさんの頬は、葡萄酒のグラスの赤が映って、少し明るく見えた。


 ……以前にも、彼には似たようなことを言われたことがある。

 

『きみは人に頼ることを覚えたほうがいいな』

 

 ――思い出して、胸がきゅっと熱くなった。


「ありがとうございます、シルヴィオさん。お願いします」


「うん。明日は何でもやるよ」


 シルヴィオさんがにっこり微笑む。


「では、旦那様、アリッサ様。準備がありますので俺はこれで」


 時間が惜しいと言いたげに、ユストさんが割って入った。


「楽しみで仕方ないんでしょ、ユスト」


「うるさいなエイダ、お前は来るなよ」


「えー」


「えーじゃないっての。お前がいると調子狂うんだよ、集中させてくれ」


「はいはい、承知いたしましたわ。変人がバレないように頑張ってね」


 しぶしぶ頷くエイダさん。

 ユストさんは返事をせず、食材のメモを手にそそくさと部屋を出て行く。

 ずっとしかめつらだった口もとが、少し緩んでいる気がした。


「ユストめ、活き活きしているな」


「居ても立ってもいられなくなっちゃったみたいですわね」


 ブルーノさんの言葉にエイダさんが応じる。なんだかんだとユストさんのことを一番理解してるのは、彼女だと思う。


「よし、酒はここまでだ。俺も今夜は早く休むことにしよう。明日は全力でアリッサとユストをサポートする」


 シルヴィオさんまでが席を立つ。


「よかったですわね、アリッサ様。……あら? どうなさったんです?」


 勢いで話を進めてしまったけど、急に心配になってきた。

 デニス先生、困らないかしら?


「あの、力を貸していただけて本当にうれしいんですけど……デニス先生に相談もしないで勝手に決めてしまって大丈夫だったのかなって」


 それを聞いたエイダさんが、くすっと笑った。


「よくわかります。アリッサ様は、まずご自身以外の人にお気をつかわれる方ですもの。でもね、少しだけ考え方を変えてみてください。優しい気持ちって、伝染するんです」


「優しい気持ちが……伝染?」


「ええ。旦那様もユストも、アリッサ様のお力になりたいと願っているのですわ。デニス先生も、きっと同じです。お手伝いが急に増えても歓迎してくださいますよ。だって、もとはアリッサ様が子供たちに美味しいものを食べてほしくて考えついた昼食会なんでしょう?」


「そう……ですね。エイダさん、ありがとうございます!」


 優しい気持ちは伝染する、って。

 エイダさんの発想はいつも、わたしと全然ちがう。そしてとっても明るい。


「何より二人分の労働力を無料で手配できたんですから、アリッサ様、お手柄ですわ! 第一、お仕事ではとっても優秀ですが、逆に言うとお仕事しか興味のない我が家の旦那様に、お仕事以外のことをやろうという気を起こさせただけでも、もう……もうこれは奇跡です!」


「エイダ、俺を褒めているのかけなしているのかどっちだ?」


「もちろん褒めておりますとも!」


 妙な盛り上がりを見せるリーンフェルト家の皆様。

 思わず笑ってしまったところで、一度は出て行ったユストさんが、食堂の入り口から顔を出した。


「旦那様、アリッサ様も。少しよろしいですか?」

 

「どうした、ユスト?」


「明日の準備についてですが、やはりいくつかご相談しておきたいことがありまして」


「よし、作戦会議だな。座って話そう」


 シルヴィオさんがユストさんを招き入れる。


「アリッサ様、俺、明日は何時から診療所に入れますか? できたら朝の五時くらいに台所に入れていただきたいんですけど」


「朝の五時!?」


 またもやみんなの声が揃った。


「そ、それはちょっと……もう少し遅い時間に伺うお約束ですし」


「ユスト、晩餐会じゃないんだぞ。そんなに気合いを入れなくても」


「俺はリーンフェルト家の料理人ですよ? 相手が誰であろうと手を抜く気はありません。旦那様のお名前に傷がつきます」


「あ、ああ、気持ちはありがたいが」


「あと調理器具も、俺の私物を一式運ばせていただこうと思います!」


 ユストさん、真顔。目が爛々と輝いてる。


 テーブルの隅にいたポンポンが、わたしの膝の上に乗ってきて大あくびをした。


(長い打ち合わせになりそうね、ポンポン)




 ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎



 

 打ち合わせが終わる頃、夜はかなり更けていた。


「ユストさんの熱意、すごいわよね、ポンポン?」


 部屋に戻り、ベッドの上で話しかける。

 バスケットの中のポンポンは、すっかりおねむ。仰向けになって、むにゃむにゃと寝言のような鳴き声を発している。


「ふふっ、遅くまでお付き合いありがとう。おやすみなさい」

 

 カーテンを少し開けて、夜空を見上げた。

 上空には厚い雲が垂れこめ、月も星も見えない。


「明日は晴れてほしいな……」


 思わず呟いた。

 雨が降っても昼食会は開催するけれど、できれば子供たちには診療所のお庭で気持ちよくご飯を食べてもらいたい。


「神様、どうかお願いします。明日はお天気になりますように」


 両手を合わせ、祈ってみた。

 もちろん、自分に何の力もないことはわかってる。


「……きゅー」


 ポンポンが眠ったまま声をだした。

 タイミングのいい寝言に、思わず吹き出してしまう。


「お返事してくれたの? 優しいのね」


 ポンポンは、またむにゃむにゃと口を動かし、丸くなる。

 青い羽に覆われた翼が、小さな背中でゆっくり上下していた。


 

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