表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

45/105

45.薬の効かない病とは

 帰り着いた診療所で、去って行くバウマン家の馬車を見送った後。

 わたしとデニス先生は、二人そろってヘナヘナと床に座りこんでしまった。


「はー、疲れたぁー!」


「つ、疲れましたね……」


「きゅー」

 

 バスケットから出たポンポンが、翼で宙を舞いながら心配そうに見下ろす。

 

「先生……バウマン男爵令嬢とはお知り合いだったんですか?」


「ううん、初対面だよ」


「でも男爵令嬢に『あなたともあろう方が』っておっしゃってましたよね」


「そんなこと言ったかな、僕? 怖かったから覚えてないや」


 首を傾げる先生は汗だくだ。


「報酬、いただきませんでしたね」


「あー、そういえばそうだね。すごい金額だったのに、もったいなかったなー!」


 いま思い出したというように、デニス先生が天を仰ぐ。


「けど、あれは貰えないよね。男爵令嬢自身のためにも受け取れなかった。お金を見せびらかすような真似をしてるときの彼女、苦しそうだって思わなかった?」


「苦しそう?」


「そう。意地悪な態度が板についてないっていうか、ちぐはぐだったよ。嫌味な人を演じてたって感じ。たぶん本当は、そんなに悪い人でもないんじゃないかな」


「そうですね……わたしもそんな気がします」


 デニス先生ほどの深い考察には至らないものの、彼の言っていることは何となくわかる。

 バウマン男爵令嬢から感じたのは、悪意というより正義感みたいなものだった。

 彼女に対して負の感情が湧かないのは、そのせいだ。


「バウマン男爵令嬢ってのは、ありゃ偽名かな。ま、正体について心当たりがないでもないけど」


「心当たり?」


「洒落にならない憶測だから口に出すのはやめとく。……そんなことより、彼女の前で僕を庇ってくれたね。嬉しかった。立派な医者だって言ってくれて」


「だって、本当に思ってますもの」


 はは、と笑い、デニス先生は、かけっぱなしだった診察用の眼鏡を外した。


「バウマン男爵令嬢の話してたこと、あながち外れてもないんだよ。僕は自分自身で納得のいく生き方をしてるつもりだ。でも、ときどき……ふっと不安になる瞬間もある。昔を知る人には変わり者とか、頭のおかしいやつだとか言われてるのを知ってるから」


「そんなことないですよ! 大切なのは今です。先生に感謝してる人がたくさんいるじゃありませんか。わたしだってそうです。自信を持って診療所のお仕事続けてください!」


「うん……ありがとう。きみに会えて、よかったよ」


 シャツの裾で眼鏡のレンズを拭きながら、デニス先生は小さな声で続けた。


「……アリッサ。きみにとって世界でいちばん大切な人は、リーンフェルトなんだよね」


「え!? せ、先生、いきなり何です!?」


「いや、さっきそう言ってたなって」


「あ……言いましたね、はい……」


 今さらながら顔が赤くなる。

 バウマン男爵令嬢に言った言葉だけど、当然ながらデニス先生にも聞かれてたわけで。


「そんなに恥ずかしがらなくていいよ。とっくに知ってたから。……婚約してる仲だし、当然だよな」


 デニス先生が下を向く。

 少しのあいだ、会話が途切れた。


「先生?」


「いや、なんでもない。とにかく、バウマン男爵令嬢も納得したと思うよ」


「そういえばデニス先生、バウマン男爵令嬢の病名って何なんですか? 先生に治せないって、よっぽど悪い病気ですよね……わたしで力になれることはないんでしょうか……」


 この質問に、デニス先生はきょとんとした顔になった。

 それから、声をあげて笑い出す。


「どうなさいました?」


「ああ、ごめんごめん! なんていうか、君のそういうところ……本当に」


「わたし、変なこと言いました?」


「何も変じゃないよ、アリッサは。質問の答えだけど、バウマン男爵令嬢が患っているのは、人によっては命にかかわることもある病だ。僕だけじゃなく、世界じゅうのどんな医者にも治療はできない」


「えええ!? じゃあどうすれば……!」


「時間だけが薬なのさ。彼女ならきっと大丈夫。強い人だと思うから。……僕も見習う」


 最後のほうは独り言のように呟いて、デニス先生は立ち上がった。

 

「先生? それで、病名は?」


「秘密。君は知らなくていい病だよ」


 おどけるようにごまかして、診察室へと戻っていく先生。

 バウマン男爵令嬢の病名は、結局教えてもらえなかった。





 ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ 



 


 その夜。

 お仕事から帰ったシルヴィオさんに、おそるおそる尋ねてみた。


「わたしが診療所で働いていることで、シルヴィオさんにご迷惑がかかっていませんか?」


「どうした、急に」


 心底意外そうな声で、シルヴィオさんが尋ねかえしてくる。


「ええと……宮廷や職場で、その、気まずい思いをされたりとか……」


「誰かに何か言われたのか?」


「そういうわけでは、ないんですけど」


 シルヴィオさんは、すぐに察したようだった。


「外で仕事を持つ貴族の女性はまだ少ないから、目立つのは確かだろう。だが、それだけだ。アリッサは間違ったことはしていない。言いたい者には言わせておこう」


「でも……」


「気にするな。振り回されるのは妹で慣れてるよ」


 シルヴィオさんが、さらりとソフィアさんのことを口にした。

 こうして話題に出すのは、シルヴィオさんの中に彼女が戻ってきた証のような気がする。


 自立心に溢れ、孤児院の創設を夢見て奔走していたという妹のソフィアさん。

 ふと思った。

 シルヴィオさんがわたしに自由を許してくれるのは、亡き妹さんと重ねているのかもしれない。

 

「わたし……ソフィアさんに似ていたり、します?」


 思い切って、訊いてみる。

 すこし考える仕草をして、彼は頷いた。

  

「似ているといえば似ている、かな。外見に反してすごく意志が強いところとか、目を離すと何をしだすかわからないところとかね。きみにはいつも驚かされているし」


「わたし、そんなにシルヴィオさんを驚かせてますか!?」


「まいったな、自覚なしか。これだから放っておけないんだよ。とにかく、きみはやりたいことをやればいい。困ったことがあれば遠慮なく頼ってくれ」


 シルヴィオさんが微笑む。


「……ありがとうございます」


 感謝と同時に、胸が痛んだ。

 バウマン男爵令嬢の言葉が耳の奥に甦る。


『利用されているリーンフェルト侯爵が哀れだわ』


 彼女の言うとおり、わたしはシルヴィオさんを利用しているのかもしれない。甘えていると自覚しながら、離れないんだから。

 自分が狡いこと、どこかでわかってる。……でも。

 

 偽装婚約の期限まで、あと少し。

 あと少しだけ……彼のそばにいたい。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ