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42.秘密の往診

 バウマン男爵令嬢の往診の日。

 デニス先生の後に続いて出かけようとすると、今日に限ってポンポンが肩にしがみついてきた。


「だめだってば、ポンポン。ちょっとだけだからお留守番してて?」


 言い聞かせても、わたしの服に爪を立てて離れてくれない。


 聖女リズラインの付き人として働いていた頃は、ポンポンを仕事に連れて行くことなんて絶対になかった。

 プレスターナに来てから、ポンポンはすっかり甘えん坊になってしまったみたい。

 それでも往診のときにはいつも、いい子でお留守番しててくれるのに。


「ねえポンポン……また重くなったんじゃない?」


 飛ぶ、歌うという変化に加えて、ポンポンは体もひとまわり大きくなっていた。 

 出会ってから十年以上、姿もサイズもぜんぜん変わらなかったのに、不思議で仕方がない。


 ダルトアにいた時より、ご飯の質が確実に上がったとか、みんなに可愛がられておやつをたくさん貰えるようになったとか、いくつか理由は思い当たるにしても、今さら成長するなんてことある?


「いいよアリッサ、連れていっても」


 きゅーきゅー鳴きやまないポンポンをみて、デニス先生が苦笑まじりに言った。


「でも、ご迷惑になりませんか?」


「きみと離れたくないんだろ。気持ちはわかる」


 言い終えてから、デニス先生は慌てて顔の前で手を振った。


「あ、いや、変な意味じゃないよ!? ほら、なんていうか子供が母親と離れたがらない心理っていうか、それで一緒にいたいんだろうなーって!」


「わかってます、先生」


 耳を真っ赤にして、デニス先生はほっと息を吐いた。


「そ、そう。とにかく、診察中は鞄の中から出さないようにして。ポンポンもいい子にできるな?」


「きゅー」


「もう、仕方ないわね。……はい」


 蓋つきのバスケットを開いて見せると、ポンポンは自ら飛びこんできて、おとなしく体を丸めた。


「こいつ、人の言葉がわかるみたいなんだよなぁ」


 デニス先生が感心したように見下ろす。


「すみません。絶対に診察のお邪魔はしないようにしますから」


 そうこうしているうちに、診療所の前に馬車がやってきた。

 バウマン男爵家からの迎えだ。


「やけに立派な馬車だね?」


「そうですね……」


 先生と顔を見合わせる。


 黒塗りの車体に、艶々とした毛並みの二頭の馬。

 馬具や馭者の身なりも趣味がいい。馬車の内装も高級素材で整えられている。

 とりあえず、バウマン男爵家は相当なお金持ちみたいだ。


 どんなお屋敷に連れていかれるのかと身構えていたら、


(あれ? ここは……)


 着いた先は、先日も往診で訪ねたディンケル伯爵邸だった。


「シュターデン先生、ようこそ」


 迎えに出たのもディンケル伯爵夫人。

 バウマン男爵令嬢を紹介した人だ。


 さすがに警戒した様子で、デニス先生が尋ねる。


「奥様、これはどういうことですか? 私はバウマン男爵令嬢の往診に呼ばれたはずですが」


「驚かせてしまいましたわよね。どうかお許しくださいな。わたくしとバウマン男爵令嬢は親しいお友達ですの」


 まだ若いディンケル伯爵夫人は、声をひそめて囁いた。


「彼女、ご家族に心配をかけたくないそうなのです。それでわたくしの屋敷を往診の場として提供したというわけですわ」


「……わかりました。男爵令嬢にお会いしましょう」


「どうぞ、こちらへ」


 伯爵夫人のあとについて歩きだしながら、デニス先生が、こっそりわたしに目配せする。

 わかってます、の意図を込めて小さく頷いた。


 要するに、バウマン男爵令嬢は誰にも内緒で診察を受けたいのだ。

 ディンケル伯爵夫人は、その協力者ということ。

 

 こういうときは、質問も確認もしてはいけないのが暗黙のルール。

 富裕層の往診では、たまにあることだった。


 二階の部屋の前へと案内される。

 大きな扉の前には、腰に剣を佩いた長身の男性が立っていた。


(護衛騎士つきの男爵令嬢?)


 ずいぶん物々しい、ような……。


 騎士が無言でノックをすると、扉の向こうから見覚えのある顔が現れた。

 診療所に往診希望の手紙を持ってきた、あの上品な少年だった。


「よくおいでくださいました。中で我があるじがお待ちです」


「では先生、わたくしはこれで」


 短く言い、ディンケル伯爵夫人は退出していった。


(ポンポン、お願いだから静かにしててねー!)


 祈るような気持ちでバスケットを抱きしめる。


 部屋の中央には、大きな天蓋付きのベッドが置かれていた。

 分厚いレースのカーテンはぴたりと閉められ、中の様子を窺い知ることはできない。


 ベッドの脇で、侍女らしき女性が二人、わたしたちを見て無言で一礼する。従者の少年と同じように、とても所作が美しい。


 カーテンの中に向かって、少年が呼びかける。


「お嬢様。デニス・シュターデン様とアリッサ・エルツェ様がお着きになりました」


「開けなさい」


 およそ病人とは思えないような、しっかりした声が返ってきた。


 侍女の手が、カーテンをゆっくりと開く。

 レースの帳の向こう、白い夜着にシルクのガウンを羽織り、ベッドに腰掛けている女性を見て、わたしは思わず息を呑んだ。


(綺麗な人……!)


 女性らしい曲線を描く身体に、緩く波打ちながら肩へと流れる濃いブルネットの髪。

 白く艶のある肌、大きな黒い瞳、利発さを窺わせる直線的な眉、そして桜色の唇。

 美しいパーツが、卵形の顔の中に整然と配置されている。


 「非の打ちどころのない」という言葉がぴったりの美女が、意志の強そうな視線をまっすぐこちらへ向け、わたしを見つめていた。

 


 


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