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41.風変わりな往診依頼

 イルレーネ王女様の帰国から、はや一か月。

 夏の暑さが少しずつ和らぎ、季節は秋へと移り変わろうとしていた。


 さて、デニス先生の診療所は相変わらずの忙しさ……と言いたいところだけれど。

 相変わらず、というのは語弊があるかも。


 診療所の仕事は明らかに忙しくなっている。

 やってくる患者さんの数も増えた。加えて……


「デニスせんせー! おきゃくさんだよー!」


 今日も診療所にご飯を食べに来ているカティが、待合室から大声で叫ぶ。


「アリッサ、出てくれるかな」


「はい、わかりました」


 診察中のデニス先生に代わって応対に向かう。


 待合室の入り口近く、綺麗なお仕着せに身を包んだ十五、六歳の少年が立っていた。

 お人形のような金色の巻き毛に、上品な佇まい。ひと目で貴族階級の人だとわかる。


「お待たせいたしました。シュターデン先生の助手のアリッサと申します」


 わたしが名乗ると、少年は丁寧な仕草で一通の封筒を差し出した。


「バウマン男爵家より使いで参りました。お取次をお願い致します。我が主、バウマン男爵令嬢がシュターデン先生に診察をお願いしたいと」


「わかりました、往診のご依頼ですね」


 ――まさに、これ!

 デニス先生に往診を希望する貴族や、お金持ちの人たちからの申し出が増えたこと。


「少々お待ちくださいませ」


 一度さがり、申し込み内容とスケジュールを照らし合わせる。

 予定や条件を確認した上で伝えると、先生はちょっとだけ首を傾げた。


「バウマン男爵……聞いたことないなあ?」


「先日往診に伺ったディンケル伯爵夫人からのご紹介だそうです」


「ふうん。三日後の午後四時に迎えを寄越す、と。いいよ、行くって返事しておいて」


 市井の医者でありたいと宮廷を飛び出したデニス先生だけど、富裕層相手の往診を断ることは基本的にない。

 なぜなら、


「彼らは気前がいいからね!」


 ですって。


「先立つものは大事だ。今月は食費もかさんでることだし、じゃんじゃん働こう。アリッサ、今回の往診も助手を頼むよ。手当てもつける!」


「はい、よろこんで!」


 デニス先生は、身寄りのない子供には治療代を請求しない。

 そればかりか近所の子供たちを集めて、ご飯を食べさせたりもしている。


 大人の患者さんからは対価をいただくけれど、ごくわずかな金額だし。

 「先生、今お金がなくて……」なんて言われれば支払いを待ってあげる。もちろん無利子、しかも無期限なものだから、結局回収できてなかったり。


 そういった支出を補填するのが、富裕層への有償往診というわけ。


 往診収入は以前からちょこちょこあったそうだけれど、デニス先生の評判が上がるにつれて、希望者はものすごく増えた。

 最近目立つのは、貴婦人――特に、正直に言って健康上は問題のないマダムたちからの往診依頼だ。


(デニス先生、よくみると美形だものね)


 診察中だけ眼鏡をかけるデニス先生。

 もとの顔立ちが整ってるだけに、ちょっと冷たい感じになるのが、また好評なの。 


 話題の役者さんを観に行く感覚で呼びつけている人も多い気がするけど……実際、マダムたちはデニス先生の前ではニコニコしてしまうし、元気になる。


「僕を選ぶ動機は何でもいいんだ、患者さんが元気になってくれるなら。そうして持てる人が喜んで支払ってくれた報酬で、持たざる人を治療する。元気になった彼らが経済をまわす。悪い話じゃないだろ?」


「それ百回くらい聞いた気がします、先生」


「何回でも言うよ、大事なことだから」

 

 ニヤリと笑うデニス先生。

 彼が「お金に関していい人すぎる」と言われているのは、あくまで貧しい人たちに対してのこと。

 なかなかどうして、策士な一面も持ち合わせているのだった。


 もちろん仕事ぶりは真剣なので、ますます評判とリピーターを呼ぶ。

 おかげで診療所の経営は、ここのところかなり上向いていた。


 往診了承の返事を伝えると、バウマン男爵家の使いという少年は深々と礼をした。


「ありがとうございます。あるじも喜びます。……ところで確認させていただきたいのですが、往診の折には、アリッサ嬢にもいらしていただけるのでしょうか?」


「はい、その予定です」


「それはよかった。アリッサ嬢、必ずおいでください。では、失礼いたします」


 必ず、の部分にアクセントを置いていい、陶器のようにつるりとした顔に笑みを刻んで、少年は帰っていった。


(なんだったのかしら、いまの確認は?)


 デニス先生の往診には、いつも助手としてお供している。

 でも、助手はあくまで助手。一緒に来るように患者さんから念押しされたことなんて一度もない。


 よほど怪訝な顔をしていたのか、診察が一段落したデニス先生が「どうかしたの?」と声をかけてきた。


「バウマン男爵令嬢の往診には、わたしも必ず一緒に来るよう言われたんです」


「そうか。依頼状に書いてあったけど、男爵令嬢は十九歳だそうだよ。同じ年頃の女性が側にいてくれると心強いのかもしれないね」


「そういうものでしょうか」


 言われてみれば、そんな気もしてくる。


「ところでアリッサ、今のうちに買い物を頼めるかな。薬屋に行ってきてほしいんだ」

 

「あ、はい!」


 必要な薬のメモを受け取り、経費用のお財布を持って玄関に向かう。

 受付の近くにいたポンポンが飛んできて、わたしのバスケットの中にぽふっと収まった。


「はいはい、一緒に行きましょうね」


「きゅー」


 嬉しそうに鳴くポンポン。


「アリッサ、ちょっと待って」


 玄関を出ようとしたところで、デニス先生に呼び止められた。


「薬屋の帰りにパン屋に寄ってきて。子供たちがお腹を空かせてる。財布の中のお金、全部つかっていいからね」


「わかりました」


「じゃ、よろしく」


 診察室へ戻っていく背中を見ながら、ため息と笑みが同時にこぼれる。


(デニス先生ってば、少しでもお金が入るとなると、すぐ子供たちに何か食べさせようとするんだから)


 変わり者で策士かもしれないけど、デニス先生は、いい人。

 これだけは間違いないと思う。



 

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