40.いちばん嬉しい、お土産は
診療所での仕事を終えてリーンフェルト邸に戻ると、ちょうどシルヴィオさんがお屋敷に到着したところだった。
「お帰りなさい、シルヴィオさん!」
思わず大きな声が出てしまう。
七日ぶりの再会。
騎士服にマント、正装のシルヴィオさんが、わたしを見てにっこり笑った。
「ただいま」
「王女様の護衛、お疲れさまでした。ご無事でよかったです。お迎えできなくてごめんなさい」
「いいんだ。……それより、」
シルヴィオさんは小さく何か続けたけれど、その言葉はブルーノさんの声で掻き消されてしまった。
「旦那様! お持ち帰りのお荷物の搬入が終わりました。いやはや、今回は時間がかかってしまいまして」
「ああ、ご苦労」
なぜか少し苦々しい表情になったシルヴィオさんと対照的に、笑顔のエイダさんがわたしの手を引く。
「アリッサ様、お部屋へいらしてくださいませ! もう、凄いですわよ!」
「凄い? 何がですか?」
「ご覧になればおわかりになりますわ、早く早く」
二階にある、わたしが使わせてもらっている部屋へ入ると、
「ええ……!?」
そこには、たくさんの品々が積まれていた。
明らかに靴や帽子、鞄などが入っていると思われる大きな箱や、美しい生地の反物。綺麗な装丁の本。
きらきら光るカットガラスのグラスや茶器のセット、リボンつきの可愛い容器に入った大量のお菓子。陶器のお人形や、ポンポンに似たハリネズミのぬいぐるみまで。
「きゅー、きゅー」
ぬいぐるみに抱きついて大喜びのポンポン。
テーブルの上には、伝統工芸の技術で作られた宝石箱が置かれていた。
おそるおそる蓋を開ける。
中には、国境の街の名産品だという琥珀のブローチが輝いていた。
「これ、みーんな旦那様からアリッサ様へのお土産ですのよ!」
「……」
「あら? アリッサ様、どうなさったんですの?」
エイダさんが不思議そうに、わたしの顔を覗きこむ。
「こんなにたくさん……いただけません」
「何をおっしゃいますか。確かにびっくりの量ですけれど、そこは旦那様の愛でございますわ。第一、アリッサ様は旦那様の婚約者なんですのよ。ご遠慮なんてなさらずに」
「でも……」
その婚約は、嘘なのだ。
あと数か月で、わたしは一人、ここを出て行く。
どんなに素敵な品物を贈られても意味がない。受け取る権利がないんだから。
持っていけるものがあるとすれば、思い出だけだ。
「ここは、ただ喜んでさしあげてくださいませ! でないと旦那様が可哀想……」
そこまで言って、エイダさんはハッとしたように振り向いた。
「だっ、旦那様!」
つられてわたしも振り向く。
背後にシルヴィオさんが立っていた。
その眉が、見たことのない角度で下がっている。
(この顔は……もしかしてシルヴィオさん、すごーくガッカリしてる!?)
「そうか……やっぱり、やり過ぎだったか。何が気に入ってもらえるかわからなくて、女性が好みそうなものは手あたりしだいに買ってしまった……」
「シルヴィオさん、あの」
「何も要らないと言われていたのに、浮かれてしまってすまない。きみの笑顔が見たかっただけで、悪気はなかったんだ。次からは気をつける……」
「謝らないでください、シルヴィオさん。お気持ちはとってもありがたいです!」
「実は、もうひとつ土産がある。呆れているかもしれないが、受け取ってほしい」
「えっ!?」
まだあるんですか!? と言いたくなるのを堪える。
しゅんとした表情のまま、シルヴィオさんは小ぶりの缶をひとつ、わたしに差し出した。
「これって……?」
手に取った缶には、薔薇の絵が描かれたラベルが貼ってある。
「クロルヴァ名産の薔薇茶だ。これだけは直接手渡したかった」
「……シルヴィオさん。出発の前に話したこと、覚えていてくださったんですね」
任務から帰ったら、お茶を飲みながらゆっくり話したい。それが一番のお土産。
わたしは彼に、そう言ったのだ。
胸の奥が、急に熱くなった気がした。
自然と頬が緩んでしまうのを、止められない。
「ありがとうございます。本当に……本当に、嬉しいです」
「喜んで、くれるのか?」
「もちろんです」
シルヴィオさんの頬に赤みがさした。
次に、満面の笑顔になる。
「よかった! さっそく今夜、一緒に飲もう。話したいことがたくさんあるんだ」
「はい」
ユストさんが腕によりをかけたディナーのあと、お土産の薔薇茶を味わいながら、わたしはシルヴィオさんの話に夢中で耳を傾けた。
道中の街並みや人々の様子。
副官ハンスさんがクロルヴァの女官さんたちに大人気で、終始上機嫌だったこと。
そして、久しぶりにお会いしたイルレーネ王女様が大人っぽくなっていて驚いたこと――。
遠征の後で疲れているだろうに、シルヴィオさんは、たくさん話を聞かせてくれて。
エイダさんやブルーノさん、それにユストさんと一緒に、わたしもたくさん、たくさん笑った。
このティータイムが、何よりのお土産。
心からそう思った。
そして。少しだけ怖くなった。
この幸せは――シルヴィオさんと一緒の時間は、期限つき。
「次からは気をつける」とシルヴィオさんは言ったけど、「次」なんて、たぶん無い。
偽りの婚約を解消したら、彼とわたしの関係も消える。魔法が解けるように。
そのあとの日々を想像すると、甘い薔薇の香りのお茶が、少し苦く感じた。




