39.誰かに見られてる?
「はい、おまけ! アリッサちゃん、いつもありがとうね」
デニス先生のおつかいで訪れた市場。
パン屋の元気なおかみさんが、バゲットを代金分よりも多めに籠に入れてくれる。
「こんなにたくさん……! いいんですか?」
恐縮するわたしに、おかみさんはニコニコと笑って首を縦に振った。
「うちもデニス先生のとこにはお世話になってるからねぇ。どうせこのパンも子供たちに食べさせるんだろ?」
「アリッサ嬢ちゃん、これも持っていきな!」
横から八百屋さんのおじさんが割り込んできて、わたしのバスケットに玉ねぎやニンジンをごろごろと投げ込んでいく。
バスケットの縁に掴まっているポンポンが、嬉しそうに「きゅー」と声を上げた。
「おじさんまで……申し訳ないです」
「いいってことよ。若先生によろしくな」
わたしが診療所で働くようになって半年。
パン屋のおかみさんも八百屋のおじさんも、すっかり顔なじみだ。
「もらっときなって! みんなデニス先生やアリッサちゃんには感謝してるんだから」
おかみさんが明るく言う。
「ありがとうございます。ちゃんと先生にお伝えしておきます」
「あたしらだって、できる時にしかやれないことだけどね。ほんと言うと最近みんな景気がいいのさ。ここんとこ野菜でも果物でもよく採れるんだ。日照りだ嵐だって何年も苦しかったのが嘘みたいだよ」
「魔獣もめっきり出なくなったしなあ。国のどこかで聖女様でも生まれたぞ、これは」
聖女誕生は冗談として、おかみさんたちの言う通りではあった。
通りにはお客さんが溢れ、活気に満ちている。
市街地への魔獣の襲来のときは、この市場も一部が損壊したりして大変そうだったけど、被害を受けたお店も今ではすっかり立ち直っているようだ。
国内の作物がよく育っているという話は、シルヴィオさんからも聞いた。リーンフェルト家の領地も潤っているらしい。
――ドーン、
――ドォーン……
晴れた空に、鈍い音が連続して響いた。
「きゅ?」
ポンポンが首を傾げる。
「大丈夫、あれは祝砲の音よ」
言いながら、胸が大きく弾んだ。
(シルヴィオさんが帰って来たんだわ!)
シルヴィオさんが家を出て、今日でちょうど七日。
王宮で打ち鳴らされる大砲の音は、イルレーネ王女様が予定通りに帰国したと知らせる合図だ。
つまり、護衛の騎士団も到着したことを意味している。
「ああ、イルレーネ王女様が無事にお城に入られたみたいだね。よかったねえ」
おかみさんが嬉しそうにお城の方角を見る。
八百屋のおじさんも目を細め、
「跳ねっかえり姫のお帰りか。ご留学で少しはお転婆がおさまったかな」
「バカだねあんた、あれで跳ねっかえりだからイルレーネ様は可愛いんじゃないか。あんがい娘らしくなってお帰りかもしれないよ? 早くお顔が見たいもんだわ」
「そうさな、イルレーネ様ならパレードをやってくれてよかったのにな」
二人の顔は、自分の身内の話をするときみたいに綻んでいる。
シルヴィオさんが話してくれたとおり、男勝りの「跳ねっかえり姫」は人気の王女様らしい。
思い返せばダルトアの王太子殿下も、こんなふうに人々から慕われていたっけ。
王太子殿下と聖女であるリズラインとの婚約発表には、国じゅうが沸いたものだ。
国民に寄り添う気持ちは、確実に伝わるものだと思う。
事実、このブレストンの街も、イルレーネ様の帰国が伝えられてからお祝いムード一色。
遠くからで構わないから、いつかわたしもその姿を見てみたい。
「この調子でいいことばっかり続くといいねぇ。さ、あたしらも、もうひと働きだ。アリッサちゃんも頑張ってね!」
「はい、ありがとうございました!」
おまけのパンと一緒に、元気も分けてもらったような気持ちになる。
足取りも軽く診療所へ戻る途中、貸部屋紹介所の前で足が止まった。
お店の前の大きな看板には、借主募集中のお部屋の貼り紙がある。
看板の上のほうには『イルレーネ王女様ご帰還記念価格!』と大きな文字が掲げられていた。
(これ、けっこうお得かも!)
イルレーネ様、すごい。経済効果までもたらしちゃうなんて。
わたしにまで恩恵が及ぶなら、勝手に感謝したくなる。
(もう少しお金がたまったら、一人暮らしのお部屋を借りられそう。イルレーネ様、ありがとうございますー!)
偽装婚約の期間は、残り数か月。
期限が来れば、わたしはリーンフェルト家を出る。
デニス先生の診療所でのお仕事は続けさせてもらえるとして、お給料で借りられるお部屋を探さないと……。
「きゅ! きゅ!」
バスケットから顔を出していたポンポンが、急に騒ぎ出した。
通りの方へ身を乗り出し、警戒するように背中の毛を逆立てている。
「どうしたの?」
問いかけつつ、何故か首筋がちりっとする感覚を覚えた。
これは、視線?
なんだか、誰かに見られているような……。
振り向いて、周りを見渡してみた。
往来には相変わらずたくさんの人が歩いている。でも、わたしと目が合う人はいない。
(……気のせい、かな?)
「お嬢さん、部屋をお探しかい?」
「ひゃっ!?」
背後から声をかけられて飛び上がった。
いつのまにか店の外に出てきていた紹介所のご主人だ。
「ご、ごめんなさい。また改めてご相談にまいります!」
少しはまとまってきたとはいえ、わたしの貯金額は、まだ心もとない。
騒ぎつづけているポンポンをバスケットに押し込め、走ってその場を離れた。
「きゅううぅ」
ポンポンは不満そうな声で唸りながら、何か言いたげにわたしを見上げていた。




