38.王女様の帰国
日々は穏やかに過ぎ、プレスターナには夏が訪れていた。
リズラインが夢枕に立つこともなく、魔獣が出現することもなく。
そんな中、シルヴィオさんから、「仕事で七日間、家を空ける」と言われたのは、彼とわたしの非番がめずらしく重なった休日のこと。
評判の歌劇の昼公演につれていってもらったあと、お屋敷へ戻り、庭園の四阿で午後のお茶を楽しんでいるときだった。
テーブルにはユストさんお手製のキッシュやマフィンが並んでいる。
子供用の椅子にちょこんと乗ったポンポンは、エイダさんに貰ったフルーツやナッツを夢中でもぐもぐしていた。
「魔獣討伐ですか? それとも大規模演習……」
身を固くするわたしに、シルヴィオさんは笑って首を横に振った。
「いいや。我がプレスターナのイルレーネ王女様が留学先からお帰りになることになった。お迎えの護衛をするんだ」
「まあ旦那様、イルレーネ王女様のご帰国は来年のはずではございませんでしたの?」
ティーカップにお茶を注いでくれながら、エイダさんが尋ねる。
シルヴィオさんは頷いた。
「その予定だったが、国王陛下にお考えがあるんだろう」
二人の会話に、わたしは心底びっくりしてしまった。
「プレスターナの王女様は、ご留学をされているんですか?」
「ああ、クロルヴァ王国へ行っておられる」
聞けば、プレスターナの王女イルレーネ様は十九歳。
一年ほど前から、国政などを学ぶため、友好国のひとつであるクロルヴァ王国に滞在しているという。
「素晴らしいです。王族の女性が外国で勉強されるなんて……!」
ダルトアでは考えられない、と続けそうになって、言葉を飲みこむ。
「国王陛下は先進的な思考をお持ちだ。とはいえイルレーネ様は少々特別かな。魔力持ちの上に、たいそう気丈なお方だから」
「なにせ愛称が『跳ねっかえり姫』でいらっしゃいますものね」
エイダさんがくすくす笑う。
「跳ねっかえり姫?」
「もっと前は『男勝りのイルレーネ様』とか『事実上の第二王子』とか呼ばれてらっしゃいましたわ。お年頃の王女様にそれではあんまりだというので『跳ねっかえり姫』で落ち着いた感じです。間違っておりませんわよね、旦那様?」
「王女殿下はご不満だと思うが、そんなところだ」
「それは、その……元気が良いっていう意味ですか?」
言葉を選びながら質問すると、シルヴィオさんとエイダさんは揃って吹き出した。
「元気も何も、並の男では太刀打ちできないだろうな。子供の頃から存じ上げているが、王家のご兄妹の中で最もご気性が強いのがイルレーネ様だ」
「住民に襲いかかった巨大な熊をお一人で仕留めたとか、匿名で参加された模擬試合で男性騎士を何人も打ち負かしたとか。多少の尾鰭は付いているでしょうけれど、武勇伝にも事欠かきませんわねぇ」
「武勇伝?」
およそ「王女様」との親和性が感じられない言葉なんですけど……。
「兄君である王太子殿下は口喧嘩でもイルレーネ様に敵わないとおっしゃっている。わかるよ、俺が兄でも勝てないだろう」
シルヴィオさんは、ふと目を細めて「でも」と付け足した。
「この上なく国民思いの王女様でもある。今回のご帰国にあたっても、自らのご意思でパレードは無し、その予算は魔獣に壊された街の復興に充てることになった。そういうお人柄が民からも慕われているんだ」
「きっと素敵な方なんですね、イルレーネ様って」
わたしの中ではもう、重たい甲冑に身を包み、騎士をなぎ倒していく大男みたいなイメージしか浮かばないけど、それはそれで頼もしい。
強くて思いやりもあって、さらに勇気もあるなんて、男女問わず好かれない方が不思議だ。
シルヴィオさんとエイダさんの会話からも、王女様への親愛の情が伝わってくる。
「プレスターナにとって大切な王女様のご帰還だ。騎士団として、しっかりと警護してくる。心配しないで待っていてくれ」
「はい」
わたしとエイダさんの声が揃った。
「ところでアリッサ、土産は何がいい?」
「はい?」
急に話題が変わった。
「クロルヴァとの国境の街は琥珀の産地だ。アクセサリーを買ってこようと思うんだが、髪飾りとブローチだったらどちらがいいだろう? それともネックレスの方がいいかな」
「え……いいえ、どちらも必要ありません。お仕事に着けていけませんし」
「じゃあ、服は? あの辺りには独特の技法の美しい織物があるそうだ。生地を買ってきて、メイヤー夫人のサロンでドレスでも仕立てるか。靴とか外出用の鞄という手もあるな。それか部屋の装飾品は? あとは、そうだな、いっそのこと新しい家具とか……」
「ちょ、ちょっと待ってください」
楽しそうに候補の品を並べ立てるシルヴィオさんを押しとどめる。
「なにも要りません。暮らすのに必要なものは全部足りてます」
「遠慮しないでくれ。希望の品を教えてほしい」
「遠慮なんかじゃありません。わたしにお気を遣わずに、シルヴィオさんはお仕事に集中してください」
「……そう……か……」
シルヴィオさんの肩が目に見えて沈んだ。
「アリッサ様、アリッサ様! 何かおねだりしてさしあげてくださいませ!」
エイダさんがわたしの耳元で囁く。
「おねだり? どうしてですか?」
「どうしてって、旦那様がお可哀想ですわ。以前も申し上げましたでしょ? 旦那様はアリッサ様に贈り物がしたいんです。なのにこれでは片想い……」
「エイダ、聞こえてるぞ」
シルヴィオさんが遮るけれど、その声に力がない。
(そ、そんなにガッカリすること!?)
なんだか悪いことをした気分になってくる。
「あのう……シルヴィオさん」
「うん?」
「わたし、本当に品物は要らないんです。シルヴィオさんがご無事で帰ってきてくださるのが一番ですから。お帰りになったあと、こうして一緒にお茶を飲みながら、道中どんなことがあったか聞かせていただけたら、それが何よりのお土産です。……楽しみに待ってます」
「……ああ、わかった! 帰ったらたくさん話そう」
テーブルの向こう、シルヴィオさんが嬉しそうに微笑んだ。
わたしより年上なのに、子供みたいな可愛い笑顔。
だから、うっかり胸が波打ってしまいそうになる。
(だめだめ。いずれお別れする人なんだから)
シルヴィオさんと過ごす時間は、初めて経験することの連続で、とっても楽しいけれど。
わたしたちは「偽装の」婚約者。
婚約解消の期限は、日一日と迫っている。
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第二章に入りました。
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