36.月下の懺悔
「シルヴィオさんが、事故の原因を……?」
「ああ。幸せにしたかったのにな。結果は正反対だった」
長い指が月下雪の蕾を撫でる。とても愛おしそうな仕草。
祈るように目を閉じてから、シルヴィオさんは、かつての出来事を話し始めた。
「俺とソフィアが幼いときに、母は病で亡くなった。父は後添えを迎えることはしなかった。母を愛していたんだな。その父も、俺が十九のときに母と同じ病で急逝した。俺は……ソフィアだけは守ろうと心に決めた」
若くしてリーンフェルト家を背負う身になったシルヴィオさん。
残された家族は、妹のソフィアさんだけ。
責任感の強い彼のこと。妹さんを思う気持ちは察して余りある。
「ソフィアは俺よりずっと大人だったよ。それに優しかった。彼女の目が、自分より弱い人々に向けられていったのは当然だったんだ」
――シルヴィオさんが語ってくれたソフィアさんは、とても魅力的な女性だった。
名門リーンフェルト家の令嬢として研鑽を積む一方で、慈善活動にも積極的に参加する。
そんな彼女は、やがて、親を失い困窮する子供たちの存在を知る。
「ソフィアの夢は孤児院の創設だった。それも、子供たちに生きていく術を教えられるような」
「とても素敵な夢ですね」
胸の中で、ひそかに確信する。
デニス先生の診療所に現れた女性は、ソフィアさんだ。
シルヴィオさんは、固い表情のまま続けた。
「その夢に、俺は反対した。そして繰り返し言い聞かせた。余計なことに興味を持つな、早く結婚して幸せになれと」
「え……!?」
今までも、彼はわたしに何度も尋ねてくれた。
何が欲しいか、やりたいことは何かと。
そんな彼が、ソフィアさんの夢を否定したなんて……。
「驚いたかい?」
「はい」
「やっぱり、買いかぶってるな」
シルヴィオさんが自嘲気味に笑う。
「俺はそんなにものわかりのいい男じゃなかった。縁談も本人の意見を聞かずに決めた。妹は反発したが、あの頃は意味がわからなかったよ。教育もドレスも結婚相手も最高のものを与えているのに、何が不満なのかと」
「……」
「妹が安心して生きられる環境を整えたい、その一心だった。どんな苦労もさせたくなかった。でも、今ならわかる。俺は間違っていた。ソフィアには自立した人格も、やりたいことだってちゃんとあったのに」
―― 記憶の中に、メイヤー夫人の言葉が甦る。
『シルヴィオ様は、アリッサ様が外に出ないでいてくださる方が安心なのではありませんか?』
そんなことはない、と彼は反論していた。
わたしが仕事を見つけたいといったときも、診療所で働くと決めたときも、心配しながら最終的には了承してくれた。
いま思えば、ソフィアさんとのことが心に浮かんでいたに違いない。
「俺がしたことは、妹を鳥籠に閉じこめて、外の世界を見せないように仕向ける行為だった。当然、喧嘩ばかりさ。互いの主張が相容れないまま……あの日がやってきた」
「あの日……?」
「覚えているか? 四年前、ダルトア王国で聖女のお披露目式が行われたことを。式に参列される王太子殿の護衛で、俺も隣国に行くことになったんだ」
どきり、と、心臓が跳ねた。
(リズラインのお披露目が、ソフィアさんの死と関係があるの?)
「ソフィアには外出禁止を言い渡してあった。縁組を控えた大切な立場だからといってね。後から知ったことだが、ソフィアは国境近くにある孤児院の視察に行きたがっていたらしい。……他に機会はないと考えたんだろうな。俺が国を離れる、あの時しか」
『あの時』。
聖女のお披露目式には、プレスターナの王太子殿下も参列していた。
そして、王太子殿下を護衛するために、シルヴィオさんもダルトアを訪れていた――。
「俺が出発した翌日、ソフィアは家を抜け出したんだ。ブルーノたちの目を盗み、みずから馬車を手配して。本当に、たいした妹だよ。そして孤児院を目指した。あいにく、その日は午後からひどい雨になった」
続きを聞くのが怖い。
汗ばんでいた指の先が凍えたように冷えている。
デニス先生から預かったものが、手の中でカサリと乾いた音をたてる。
シルヴィオさんが、ぎゅっと目を瞑った。
「ソフィアは結局、目的地には辿り着けなかった。……崖の下で馬車が見つかったのは何日も後のことだ。雨で山道が崩れて、巻き込まれたんだ」
――言葉が、でない。涙も。
あまりにも悲しい、ソフィアさんの死の真相。
同時に、形容しがたい感情が心にひろがっていく。
思った通りだ。
やっぱりシルヴィオさんは、ソフィアさんを殺してなんかいなかった。
守りたかったんだ。
彼女のためを思い、傷つかずに生きてほしいと願ったんだ。あまりにも強く。
その想いは独善的な行動に繋がり、裏目に出て、大切な人を危険な状況に駆り立てることになってしまった。
今も苦しみ、過ちを悔やんでいる――。
ふっ、とシルヴィオさんの唇から息が漏れた。
口もとに、苦々しい笑みが浮かんでいる。
「わかっただろう。俺のせいだ。俺が妹を殺した」
「……! それは、ちが」
「違わないよ。ソフィアが死んでからだ、この月下雪が蕾のまま枯れてしまうようになったのは。妹は俺を赦さない。未来永劫ずっと……だからもう、ここへは来るな。二度と花が咲くことはないよ」
樹を見上げたシルヴィオさんが小さく頭を振り、お邸のほうへと歩きだした。
拒絶するような背中に呼びかける。
「待って! これを……これを見てください」
怪訝そうに振り向くシルヴィオさんに、わたしは震える手で、握りしめていたものを差し出した。
デニス先生から預かった品。
それは、一通の手紙だった。




