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33.消された肖像画

「ころ……した……?」


 いままで見たこともない険しい表情で、シルヴィオさんは自分の右手をみつめている。

 

「嘘……ですよね?」


 シルヴィオさんは黙ったままだ。

 ゆっくりと開かれた拳から、ひしゃげた白い蕾がこぼれ落ちた。

 静寂の中、みずみずしい植物の香りが暗い廊下にひろがっていく。


 信じられない。

 こんなに優しい人が、自分の妹の命を奪ったなんて――!?


「旦那様、いかがなさいました!?……これは、アリッサ様も!」


 足音とともに、燭台を手にしたブルーノさんが廊下を走って来た。物音を聞いて駆けつけてきたんだろう。


「庭に出た俺をアリッサが見て、侵入者と間違えたんだ。可哀想に、ひどく怖がらせてしまった」


 答えたのはシルヴィオさんだった。口調も表情も、いつも通りに戻っている。

 そして、わたしが見間違えた人物を、「妹」でなく「侵入者」と言ってくれた。

 庇ってくれているのだ。 


「旦那様……月下雪を見に行かれたのですね」


 ブルーノさんが呟く。その視線は、床に落ちた花の蕾に注がれていた。


「まあまあまあ、何かと思えば皆さま、どうされたのです?」


 少しだけ遅れてエイダさんも現れた。

 彼女にはブルーノさんが説明をする。それを聞いたエイダさんが、わたしの手をギュっと握った。


「アリッサ様ったら、お一人で不審人物の確認に向かわれたんですか? なんて勇気のある……さぞや怖かったでしょうに!」


「なにもご存知なかったら、旦那様を侵入者と間違われるのも無理はありませんな。しかし、どうか次からはこんな危ないことはなさいませんように」


「はい……」


 エイダさんとブルーノさんは二人とも、お屋敷の主が月下雪の花を見に行くことがある、という状況は承知しているみたいだった。


「シルヴィオさん、さっきのお話……」


「エイダ、すまないが水を持ってきてくれるか。アリッサに飲ませたい」


 わたしの言葉を遮るようにシルヴィオさんが言う。

 過去についての話は終わり。暗にそう告げているような態度だ。


「かしこまりました」


 エイダさんはすぐに、水を満たしたデキャンタとグラスのセットを持って戻って来た。


「さ、アリッサ様、どうぞ」


「ありがとう、ございます」


 渡されたグラスの中身の大半を一息に飲んでしまう。

 喉がカラカラに乾いていたことに気づいた。


 頭の中が、まったく整理できてない。

 シルヴィオさんが語ったことが真実とは、とても思えない。


(シルヴィオさんが、妹さんを殺した?)


 きゅー、と声が聞こえた。

 おねだりをするように、膝の上でポンポンが鳴いている。


「あ……ごめんね、ポンポン」


 グラスに残ったお水を手のひらに垂らしてあげる。

 小さな舌で一生懸命お水を舐めるポンポン。よっぽど喉がかわいていたみたい――同じ夢を見ていたのかもしれないと思うくらいに。


 シルヴィオさんが立ち上がった。


「あの……!」


「驚かせてすまなかった。もう休んでくれ」


 呼びかけにも振り向かず、シルヴィオさんは階段を上がっていく。


 踊り場の窓の向こうで、少し欠けた月が冴え冴えとした光を放っていた。






 寝室に戻ると、ポンポンはお気に入りの籠の中で体を丸め、すぐに寝息をたて始めた。

 わたしはというと、ベッドに体を横たえても眠気なんてやってこない。

 

『妹は死んだ』

『俺は殺人者なんだ』


 シルヴィオさんの声が何度も胸に甦る。


(……ありえないわ)


 あのシルヴィオさんが、そんなことをするわけない。


『誰だって、失くしたものを振り返る時がある』


 そう言ったときの彼は、とても苦しそうだったのに。

 あんな顔をするひとが肉親を死に追いやったなんて、どうしても思えなかった。


 彼の過去に、いったい何があったんだろう?




 

 ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦


 



 寝付けない、と思っていたのに、いつのまにか眠りに落ちていたらしい。

 目覚めたとき、シルヴィオさんは既にお仕事に出かけた後だった。


「旦那様、今朝はかなり早めにお出になられたんですの」


「そうですか……」


 エイダさんの説明に、一瞬、避けられたのかもと考えてしまう。


「昨夜は、あれからよく眠れました? お疲れかもしれませんけれど、朝食はぜひ召し上がってくださいね。さあ、まいりましょう」


 ポンポンを抱いて、階下へと向かう。

 先を歩くエイダさんは、いつになく無口だった。


 食堂へ向かう途中の廊下に、たくさんの肖像画が飾られている場所がある。

 リーンフェルト一族の肖像画だ。古い年代のものから順に並べられているらしい。


 ずっと気になっていた。

 シルヴィオさんや彼のご両親といった当代の人々の肖像が並ぶ中に、何箇所か不自然な間隔が空いていること。


「エイダさん。この場所には、どなたの肖像画が飾られていたんですか?」

 

 立ち止まって尋ねる。 

 困ったような表情で口をつぐむエイダさんに、重ねて問いかけた。


「もしかして、ソフィアさんですか? シルヴィオさんの妹さんの」


「…… 旦那様にお聞きになられたのですね。そうです。以前はソフィア様の肖像画がありました」


「ソフィアさんは、亡くなったんですね」


 ひとつ息を吸い、エイダさんは頷いた。


「……はい。四年前に、馬車の事故で」 

 

「事故!? じゃあ、どうしてシルヴィオさんはあんなことを……」


「あんなこと?」


「……シルヴィオさんがおっしゃったんです。その……ソフィアさんを殺したのは自分だ、って」


 エイダさんが目を見開いた。

 首を強く横に振る。


「それは違います! 殺しただなんて……旦那様はソフィア様を心から愛しんでおられました。お二人はとても仲の良いご兄妹きょうだいだったのです」


「仲の良い……?」


「ええ。ソフィア様もお兄様が大好きでしたわ。旦那様のお誕生日には必ず、手作りの押し花を添えたカードを贈られて……それをご覧になるときの旦那様は、本当に嬉しそうでした。お花が好きなソフィア様のために、お誕生日会は庭園で開かれていたくらいですの」


 様々な花や樹木が咲きそろうリーンフェルト家の庭園。

 在りし日のソフィアさんとシルヴィオさんは、お花に囲まれて笑っていたんだろうか。


「なぜ……シルヴィオさんはソフィアさんのことを、わたしにおっしゃらなかったんでしょう」


「旦那様のお嘆きは、あまりにも深いのです。ソフィア様の肖像画を見るのもお辛くて、手ずから外してしまわれるほどに」


 ソフィアさんの絵は、シルヴィオさんの手によって取り外されていた。

 まるで、妹の存在そのものを記憶から消し去ろうとするかのように。


 数多くの額縁が整然と並ぶ壁に、ぽっかりと空いた隙間。シルヴィオさんの心の一部が欠け落ちた跡に思えてくる。


「でも、事故が原因で亡くなったのなら、シルヴィオさんは悪くないでしょう?」


「責任を感じていらっしゃるのだと思います。後悔と……。わたくしたちも同じです」


 エイダさんたちも同じ?

 ますます、わからない。


 これ以上、踏み込む権利はない。わたしは偽りの婚約者だ。

 頭ではわかってる、でも。


「エイダさん、お願いです。教えてください。シルヴィオさんとソフィアさんの間に、いったい何があったんですか?」

 

 エイダさんが口を開きかけ、閉じた。

 そして、おもむろにわたしを抱きしめる。強く。


「お許しください、アリッサ様。わたくしがお話しできるのはここまでです。旦那様は今でも苦しんでいらっしゃる……だからこそ、軽々しくお伝えすることはできません」


「……エイダさん……」


「でも、アリッサ様なら……旦那様の心の傷を癒すことができるかもしれない。貴女なら……」


「……」


「ご安心ください。旦那様はお優しいかたです。決してお身内を手にかけてなどいらっしゃいません。ですからアリッサ様は変わらずに旦那様のお傍にいてさしあげてくださいませ」


 体を離し、わたしを見つめたエイダさんの目もとには、涙の粒が光っていた。





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