3.鉄格子の向こうの花
リズラインとわたしが双子の姉妹として生まれたのは、いまから十八年前のこと。
その頃、王国の民は度重なる天災と疫病、時空の境を越えて現れる魔獣の襲来に苦しめられていたそうだ。
一介の地方貴族だったわたしたちの両親も、例外ではなかった。
そんな暮らしが一変したのは、母がわたしたち姉妹を生んだ直後だったという。
不思議なことに魔獣の出現が徐々に減り、やがて完全に姿を消したのだ。
変化はそれだけにとどまらなかった。
穏やかな雨が大地をよみがえらせ、質の良い作物が安定して採れるようになった。流行病も嘘のようにおさまった。
心の平穏と物理的な余裕が人々の心を癒やし、領地が潤いを取り戻しはじめた頃。
ある噂が囁かれ始めた。
「領主様のお嬢様は、聖女様なのではないか?」
――この世界には、魔力を持つ人間と、そうでない人間がいる。
そして魔力を持って生まれる人は、ほんのひと握りだ。
ただでさえ稀少な「魔力持ち」の中でも、人を癒す力を持ち、神の加護を受けた特別の存在――それが「聖女」。
聖女が暮らす国には、安寧と繁栄がもたらされるといわれている。
出現は不定期で、ひと目でわかる身体的な特徴もない。
ただ、聖女が誕生したときには、王宮の奥深くにある神託の泉が輝くと伝えられている。
そして、プレスターナでは約三百年ものあいだ、聖女の存在は確認されていなかった。
魔獣を駆逐することができたという聖獣・竜のように、夢まぼろしのお伽噺となりかけていたのだ。
希望に飢えた人々の間で、噂はすぐに膨れあがる。
「聖女はきっと、リズライン様のほうだ」
「あんなに綺麗なんだもの、間違いない」
人々が言うのも無理はなかった。
双子だというのに、わたしとリズラインを見間違える人はいない。それくらい、外見がまったく違うのだ。
幼い頃は見分けがつかないくらい似ていたわたしたち。
けれど、ある日を境に――たしかポンポンを拾ったあたりから――わたしだけ、外見が変化を始めたのだ。
銀色だった髪は次第に赤みを帯びて、大地の色になり。
青かった瞳は一晩眠るごとに明度が落ちて、琥珀色へ。
それからだ。
わたしたち姉妹の扱いに、明らかな差がつけられるようになったのは。
両親はリズラインには高級な衣装を着せ、最高の食事をさせ、欲しがるものはなんでも買い与えた。
一方で姉のわたしは、妹と部屋を分けられ、いつしか母屋からも追い出されて、使用人と同じ生活をするようになった。
日に日に髪や瞳の色が変わっていくわたしを気味悪がって、使用人たちも近づいてこない。
世界はいよいよ閉ざされ、ポンポンだけを話し相手に子供時代はすぎていった。
……十一歳になった、ある日のこと。
突然、王都から使者がやってきた。しかも大勢で行列を組み、貢物を山のように携えて。
白い髭をたくわえた年配の男性(のちに首席神官だとわかった)が、リズラインを見るなり涙を流したのを覚えてる。
「ああ、聖女様! あなたが聖女様ですね。ひと目でわかりました。お会いできたことを神に感謝いたします」
彼は言った。
リズラインは『神の加護を受けた聖女』だと。
聖女出現の啓示を受け、国中をさがしまわり、十年経ってやっと見つけたのだと。
リズラインを保護し、聖なる力を存分に発揮できる環境を整えたなら、この国はもっと豊かになると。
「今日をもってリズライン様の御身を王都に移します。そして聖女としての地位と、最高の生活をお約束しましょう。これは国王陛下のご命令でもあります。よろしいですね」
一方的な命令に、両親は素直に従った。
そもそも王命になんて逆らえないし、逆らう気もなかっただろう。
少しばかり豊かさを得たとはいえ、まだ領地は貧しかった。聖女の実家として国から支給される補助金は魅力的だったはずだ。
当然だと言わんばかりの表情で、幼いリズラインは神官の手をとった。
「迎えを待っていました。さあ、行きましょう」
リズラインの人生は大きく変わった。
それから、わたしの人生も。
妹の付き人として、わたしも王都に行くことになったのだ。
聖女が双子の片割れであることに、首席神官は何らかの意味を感じていたらしい。
だけどもっと大きな理由は、両親がわたしを家に残したがらなかったこと。加えてリズラインのわがままに付き合えるのが、実の姉のわたし以外にいなかったからだ。
ともあれ王都に居を移したわたしは、聖女の付き人として教育を受け、ひと通り以上の礼儀作法も教わることができた。
あいかわらず妹に振り回される毎日だったけれど、そのことには素直に感謝してる。
あれから七年。
ダルトア王国は栄え、さらに美しく成長したリズラインは、王太子殿下と婚約をした。未来の王妃の座が約束されたわけだ。
そして先日、わたしも第二王子ウィルヘルム様の結婚相手に指名された。
正直に言って、驚いた。
聖女の付き人でしかないわたしが、王子の結婚相手に指名されるなんて。
『君が好きだ、アリアテッサ。ずっと僕を支えてほしい』
ウィルヘルム殿下がそう言って微笑んだ光景は、いまでも鮮明に胸に甦る。
王妃様によく似た亜麻色の髪と大きな瞳。
病に伏せりがちな王太子殿下とは対照的に、健康で快活なウィルヘルム殿下。今年、二十歳を迎え、成人の儀式を行ってすぐ、わたしに婚約を申し入れてくれた。
彼がわたしに好意を抱いていたなんて、思いあがってはいない。
聖女の姉だから。
聖女を囲い込む策の、ひとつとして。
ウィルヘルム殿下はわたしと結婚しようとした。わかってる。
……わかっていたけど、嬉しかった。
(こんなわたしを、妻に迎えようとしてくれる人がいる)
たとえ形式上でも、家族ができる。
ずっと憧れていた温かい家庭。それを彼と作っていけたら……。
淡く愚かな期待は、いちばん残酷な形で打ち砕かれた。
「……ばかね、わたし」
呟いた言葉は牢獄の壁に跳ね返り、誰にも拾われずに消えていくはずだった。
「そうね」
応える声に驚いて振り返る。
いつのまに現れたのか、鉄格子の外側に黒い人影が立っていた。
「フゥゥ」
ポンポンが小さく唸り、全身の毛を逆立てる。こうして見ると、やっぱりハリネズミそっくりだ。
人影が、わたしと目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
全身を覆うフード付きのマントも、華奢な輪郭を隠しきれていない。
しなやかな手がフードを外す。
暗がりのなかに見慣れた白い顔が浮かび上がった。
「お別れを言いに来たのよ。お姉さま」
鉄格子の向こう、花のように艶やかに微笑んでいたのは。
他でもない、わたしの双子の妹だった。