29.ルティの奇跡
さて、わたしのもう一つの日常。
診療所でのお仕事は、というと。
今日も今日とてデニス先生から矢継ぎ早の指示が飛ぶ。
「アリッサ、こっちの患者さんの包帯を替えてあげて。傷口は薬草の水で清潔にしてからだ。それとお湯が足りないな、沸かしておいて」
「はい! 先生」
「それが終わったら外で待っている患者の受付を頼むよ。あっと、薬の納品が来た。支払いをしなきゃ」
「わかりました!」
ほんと、毎日、忙しい!!
「アリッサちゃん、もうすっかりお仕事に慣れたみたいだね」
「そろそろ一月になるかい? 頼もしいよ」
近所の人たちや、いつも通って来る患者さんはそう言ってくれるけど、
「まだまだです!」
謙遜ではなく、心の底から「まだまだ」なのだった。
覚えることはたくさんある。
なによりデニス先生の診療所は、患者さんがひっきりなしに訪れる。
先生は、どんな症状の人でもまずは断らず診てあげるのだ。
それって実は、彼がおそろしく優秀だってこと。
そして忙しさも倍増必至ということ。
「仕方ないよ。ここは医者を選べない人が来る診療所だからさ」
さらっとおっしゃいますけど、こんな生活を何年も続けてるなんて、先生、あなたは超人ですか!?
「いや、以前はここまでじゃなかったんだけどね」
納品伝票にサインをしつつ、デニス先生が言う。
「あの魔獣騒ぎのあたりからかな、診療を希望する新規の患者がすごく増えたんだよ。貴族の往診依頼まで入るようになって」
「そりゃ先生、ブレストンじゅうで凄い評判になってますから」
納品にきていた商店の使用人ジーノさんが、代金を受け取りながら言った。
「評判て?」
「あのとき先生の世話になった人の中には、大店の主人や貴族の倅もいたんですよ。噂ってのは早いんです。シュターデン医師はどんな患者も見捨てない、親身に診てくれるうえに治りも早いってさ」
「医者なら誰でも同じことをするだろ。言い過ぎだよ」
「言い過ぎじゃありません!」
わたしとジーノさんの声が揃った。
実はジーノさんも、あの魔物出現の日に怪我をしてデニス先生に診てもらったひとりなのだ。
「それとね、助手のお嬢さん。あんたも評判いいんだよ」
「え? わたしですか?」
ジーノさんが大きく頷く。
「うん、あんたに会うと元気になれるって。一生懸命で、いつもにこにこしてるからな」
「あ……ありがとう、ございます!」
毎度ありー、と去っていくジーノさんを見送って、デニス先生が微笑んだ。
「アリッサに関しては僕も同感だ。よくやってくれてるよ、本当に」
「デニス先生が良いお医者さんだから、わたしも誉めていただけるんです。これからも頑張りますね!」
わたしの熱弁に、ちょっと気恥ずかしそうな表情になって、デニス先生は頭を掻いた。
「まったく、きみは……そういうところだよ」
「はい?」
「い、いや。実は僕もちょっと驚いてはいる。最近たしかに患者の完治が早い気がするんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。彼女がいい例だよ」
真顔になった彼の視線の先には、ベッドに腰掛けるルティの姿があった。
左右の足に包帯を巻いた姿で、わたしが取り込んだ洗濯物を丁寧に畳んでくれている。
デニス先生は、親のいない子には診療代金を請求しない。少しでも恩返しをしたいと、ルティは雑用を手伝ってくれるようになっていた。
視線に気づいて、ルティが話しかけてきた。
「アリッサー、全部たたみおわったよ。他にやることある?」
「大丈夫よ。ありがとう」
「そう、じゃ、カティたちの様子をみてくるね」
にっこり笑って立ち上がり、軽やかな足取りで病室を出て行くルティ。
ベッドには松葉杖が二本、立てかけられたままになっていた。
「ルティ、もうあんなに歩けるようになって……」
わたしのつぶやきに、デニス先生が頷いた。
「彼女は両足を骨折してた。症状としてはかなり重かったはずだ」
「そうですね」
ルティと出会った日を思い出す。
血を流し、歩くことすらできず、道にうずくまっていた彼女の姿。
考え込むように手を顎にあて、デニス先生は続けた。
「僕は自分を名医だなんて思っちゃいない。でも、ルティに関しては誤診の余地はなかった。完治まで半年はかかると思ったよ。最悪、後遺症が残るかもしれないと……それが、もう松葉杖なしで歩いてる。肩の傷もほとんど残ってない」
「……」
わたしには、医術のことはわからない。
だけど、先生の言っていることは理解ができた。
あれだけの怪我をした少女が、こんなに短期間で回復するなんて……、
「まるで、奇跡だ」
先生の言葉に、どきりとした。
『奇跡』。
リズラインと一緒にいたとき、行く先々で聞いた言葉。
『奇跡』。
人々が聖女に期待するもの。
聖女だけが引き起こすことができるもの――。
沈黙を掻き消すように、甲高い声が響いた。カナリヤの歌声のような心地よい音色。
ポンポンだ。
診察室の入り口の荷物台の上で、ちらちらとこっちを見ながら歌っている。
我に返ったデニス先生が、笑顔でわたしに向きなおった。
「悪い悪い、次の患者が待ってるな。アリッサ、案内してあげて」
「はい!」
廊下の椅子に座っていたのは、おばあちゃんと、その娘さんの二人連れだった。
体調が悪いといっているのはおばあちゃんのほうで、会うのは今日が二度目になる。
前回会ったときは土気色の顔で、娘さんに抱えられるように来院していた。
「ああ、アリッサちゃん。こんにちは」
わたしの顔をみて、おばあちゃんが嬉しそうに笑う。
「こんにちは。おばあちゃん、今日はすごくお顔の色がいいみたい」
「そうなの。ここんとこ、だいぶ調子がいいんだよ。また畑仕事もできるかもしれないねぇ」
「それは何よりですね、よかった!」
「うんうん。それにね、あんたの顔をみると元気が出るんだわ。さてさて、男前の先生に診てもらうとするかね」
ほっほっと笑いながら、おばあちゃんは診察室へ向かう。
その背筋は、このまえ会ったときより、ずっとしゃんと伸びていた。




