28.心臓に悪い出勤手段
リーンフェルト邸での、新しい日常が始まった。
シルヴィオさんのお仕事は、とっても忙しそうだ。
騎士団の中でも特務隊は、いわゆる激務みたい。
そんな中でも彼は「婚約者だから」と、可能な限り一緒に食事をしてくれる。
してくれるのは、嬉しいんだけど……。
とにかく最初は戸惑った。
わたしは人から「構われる」ことに慣れてない。
しかも目の前にいる人は、他国にまで聞こえた美貌の持ち主。
(き、緊張する……!)
ぎこちなさが伝わらないはずはない、と思う。
それでも彼は、きまって同じテーブルに着く。
なにか特別なことを話すわけでもない。ただ一緒に同じものを食べるだけの時間。
それでも、
「これ、とっても美味しいです」
「そうか。ユストにも伝えてやってくれ」
とか、
「今日は訪問診療のお手伝いをする予定です」
「気をつけて行っておいで」
とか。
何気ない会話を重ねるうち、わたしはだんだん彼の目を見て話ができるようになってきた。
朝食のあとは、勤務先の診療所へと向かう。
「ポンポン、いらっしゃい」
呼ばれたポンポンが宙をとび、わたしの元へとやってきた。
そのままポシェットの中へと入り込み、縁からちょこんと顔を出す。
「行ってまいります」
お見送りしてくれるエイダさんに頭を下げて、お屋敷を出る。
通勤には乗合馬車を使わせてもらっていた。
お勤めに送迎はいらないと、最初に言ってある。
シルヴィオさんとお屋敷のみんなは反対したけれど、どのみち一年間しか「貴族の婚約者」ではいられないのだ。今のうちから身の丈に合った生活をしておかないとね。
「アリッサ、送って行こう」
今日は非番だというシルヴィオさんが追いかけてきた。
彼の仕事はがお休みの日は、いつもこう。
対するわたしの答えも毎回きまっている。
「平気です。お気を遣わないでください」
「いつまた危険なことが起こるかもしれない。俺が一緒のほうがいい」
シルヴィオさん、今日はめずらしく食い下がってきた。
「お気持ちは嬉しいですけど、あれ以来、魔獣が出現したというお話は聞きませんよ? 騎士団のみなさまが頑張ってくださっているおかげですね」
「それは……そうだが。俺が心配しているのはそういうことだけじゃないんだが」
「本当に大丈夫です。ブレストンの乗合馬車は安全ですし、シルヴィオさんも非番の日くらいはお体を休めてください」
「もともと鍛錬に行く予定だ。馬を出すついでに送っていこうと言っているだけだ」
「でも、申し訳なくて……」
「アリッサ様! ちょっと、ちょっとこちらへ」
少し離れたところでやりとりを見守っていたエイダさんが、わたしの腕を引っ張った。
「なんでしょう?」
「今日だけ、旦那様の我儘におつきあいくださいません?」
「え?」
「旦那様はね、少しでもアリッサ様と一緒にいたいんです。それがああいう言い方になっちゃうんですの」
「聞こえているぞエイダ、余計な口出しをするな」
シルヴィオさんが眉を寄せたけど、エイダさんは構わず続ける。
「たまには言うことを聞いてさしあげてくださいませ。このままだとお可哀想です」
「かわいそう……?」
「ええ。誰だって好きな人とは一緒にいたいものですわ」
「す、すきなひと!?」
「何を驚かれるんです? お二人は婚約されてるじゃありませんか。これじゃまるで旦那様の片想い……」
「もういい」
そう言って、シルヴィオさんは一人で歩きだしてしまう。
「あ、シルヴィオさん!」
シルヴィオさんが振り返った。
普段は大人っぽい彼の顔に、ちょっと拗ねたような表情が浮かんでいる。
(そ、そんな顔しないでー……!)
嘘の婚約なんだから、シルヴィオさんがわたしに好意を持ってるなんてありえない。
だけどあまり遠慮しすぎても、彼に恥をかかせることになってしまうのかも……!?
「あの……送って行って、くださいますか」
「ああ、もちろんだ」
シルヴィオさんの顔が、ぱっと輝く。
「行ってらっしゃいませ、旦那様、アリッサ様ー!」
わたしたちに向かって、エイダさんが満面の笑顔で手を振った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦
シルヴィオさんの愛馬に二人乗りをする格好で、診療所まで送ってもらうことになった。
こうして一緒に馬に乗るのは三度目。
一度目は、出会った日。
二度目は魔獣騒ぎの翌日、診療所に迎えに来てもらったとき。
呆然自失状態だったり、ぼろぼろだった状況と違って、今日はなんだか、やけに体が固くなる。
(当たり前だけど、ち、近い……)
馬上では、後ろからシルヴィオさんに抱かれるような格好になるわけで。
わたしの腕に、シルヴィオさんの腕の内側が常に触れている。
彼の体温が伝わってきて、いつもの道のりが長く感じる。
心臓が早く脈打っていること、悟られてしまわない?
そんなことになったら、すごく恥ずかしいんですけど。
そもそもこの出勤手段、心臓に悪すぎるのでは!?
――ティリリリリ……
頭上から歌声が聴こえた。
見上げると、青く晴れた空を二羽の鳥が美しい声で鳴きながら横切っていく。
「ティリリリリ」
同じ声が、わたしのバッグの中から聞こえた。
「ポンポン? 声真似ができるようになったのか」
驚いた様子でシルヴィオさんがわたしに尋ねた。
「そうなんです。この前、市場でカナリヤが売られているのを見てから、ときどき」
ポンポンの変化にいちばん驚いてるのは、わたしだと思う。
これまではせいぜい「キュ」と鳴くくらいだったのに、カナリヤみたいに綺麗な声で囀ることもできるようになったのだ。
飛ぶのもとても上手になった。体も大きくなった気がする。
「いよいよハリネズミじゃないな」
「ええ……なんの動物なのか、本格的にわからなくなってきました」
実は、少し不安だった。
シルヴィオさんは、ポンポンが飛ぶようになったことは認識しているけれど、歌うようになったことまでは知らなかったはず。
(ポンポンのこと、やっぱり気味の悪い動物だって思わないかしら)
ふとよぎった不安は、シルヴィオさんの笑い声に吹き飛ばされた。
「アリッサ、やっぱりきみとポンポンは似てるな。どんどん変化して、毎日驚かされる。一緒にいて楽しいよ」
「え?」
「さあ、着いたぞ」
いつのまにか診療所の前に着いていたらしい。
手を貸してもらって馬から降りたあと、恥ずかしさのあまりそのまま走り去りそうになって、慌てて足を止めた。
(ちゃんと……ちゃんと目を見てお礼を言わなくちゃ)
頭の中に、メイヤー夫人の声が甦る。
『お顔を上げて。そうすれば、あなたが本来持っている美しさが輝きだします』
シルヴィオさんへと向き直る。目と目が合った。
「……ありがとう、ございます。行ってまいります」
「ああ。行っておいで」
シルヴィオさんは頷き、優しく微笑んだ。
たったそれだけのことなのに、嬉しくて心臓が大きく跳ねる。
「い、いってまいりますっ」
(あああ、行ってまいりますを二回言っちゃったー!!)
門の中へと駆けこむと、ちょうど建物の扉が開き、デニス先生が出てきた。
「おはよう、アリッサ。あれ、顔が真っ赤だよ? 熱でもあるんじゃ?」
「だ、大丈夫です。今日もよろしくお願いします! お掃除! お掃除はじめますねっ」
先生の横をすり抜けるようにして玄関へと駆け込み、道具入れの箒を引っ張り出す。
ポシェットから顔を出したポンポンは、面白そうにまだ囀っていた。




