27.白い押し花の栞
帰り道、途中まで馬を並べたハンスさんが教えてくれて、やっとわかったことがある。
シルヴィオさんは、プレスターナ王立騎士団の中でも最高クラスの魔力を持つ精鋭集団「対魔特務隊」の隊長を務めているのだそうだ。
「我が国最強のエリート部隊ってことですよ! シルヴィオ隊長はもちろん、この僕もいるくらいですから!」
「調子に乗るな、ハンス」
シルヴィオさんに咎められたハンスさんが、ちょろっと舌を出して笑う。ある意味、本物の猛者かもしれない。
この世界に僅かに存在する、魔獣に対抗する特別な力をもつ人たち。
彼らの力は「戦闘魔術」と呼ばれ、人々にとっての希望の光ともなっている。
攻撃、防御など、人によって戦闘魔術の特性はさまざま。
それを磨き、組織として魔獣の脅威に立ち向かうのが特務隊だという。呼び方は違うけれど、故郷ダルトア王国にも近い組織があった。
やたらとリーンフェルト邸に寄って行きたがるハンスさんと途中で別れ、お屋敷へと帰る。
リーンフェルト邸は戦闘の被害を免れ、使用人もそのご家族も全員無事だったそうだ。
「アリッサ様!」
みんなが迎えてくれる中、まっさきに飛び出してきたのはエイダさんだった。
「ご無事だったんですね! ポンポンちゃんも! もー、どこに行ってらしたんですかあぁ!!」
泣きながらぎゅうーっと抱きしめられる。
エイダさん、細いのにめちゃくちゃ力強い!
「お帰りなさいませ、アリッサ様。お戻りをお待ちしておりましたよ」
執事のブルーノさんも優しく迎えてくれる。
「ごめんなさい、ご心配をおかけしてしまって……」
「ええ、心配でしたとも! お怪我をなさったんじゃないかしらと気が気じゃなくて……それにアリッサ様、お屋敷を出なくちゃなんておっしゃってらしたでしょ? もしかしたらお帰りにならないおつもりなのかと」
「その心配なら無用だ、エイダ。ブルーノも聞いてくれ。俺とアリッサは婚約することにした」
「こんやく!??」
エイダさんとブルーノさんの声が揃ってひっくり返った。
そして一瞬の沈黙のあと、
「お父様!」
「エイダ!」
父娘は、ひっしと抱き合った。
「おめでとうございます旦那様!」
「アリッサ様、ありがとうございます!」
「旦那様に! とうとう春が!!」
手を取りあってダンスを踊りはじめる。
他の人たちもそれに倣うものだから、
「よさないかみんな、アリッサが驚いているだろう!?」
止めに入るシルヴィオさんは、なんだか恥ずかしそうだ。
シルヴィオさん、よっぽどみんなに心配されていたのかしら……。
「さっそく結婚式の準備ですわね! わたくしに何なりとお申し付けくださいませ! 旦那様、ドレスはもちろんメイヤー夫人にご依頼なさいますでしょ?」
「落ち着けエイダ、結婚はまだ先だ。その前にアリッサは明日から仕事に出ることになった」
シルヴィオさんの言葉に、エイダさんの声がまた裏返った。
「アリッサ様、お仕事をされるんですか?」
「はい、診療所で働かせていただくことになったんです」
「婚約にお仕事って……急展開にもほどがありますわ! しかも診療所だなんて、なんだか大変そうじゃありません? ちゃんとしたところなんですの?」
「俺の知り合いの診療所だ。もっともアリッサは自力で仕事を見つけてきたんだが」
心配そうなエイダさんに、シルヴィオさんが説明してくれる。
「シルヴィオさんとデニス先生は、学生時代の同期だったんですね」
「ああ。俺は途中で騎士団予備隊に編入したから、もう何年も会っていなかったが。それでもシュターデンという男は、まともな人間だったと記憶している」
「まとも?」
「彼は貴族の出身なんだ。学業の成績はずばぬけて優秀だったし、首席宮廷医師の道も約束されていたようなものだった。それなのに、市井の人々を救いたいと言って宮廷を飛び出していったそうだ。当時はずいぶん話題になったよ」
「旦那様、世間ではそういう方のことを『まとも』ではなく『変わり者』と言うのじゃありませんこと?」
エイダさんはますます心配そうな顔になったけれど、わたしは妙に納得がいった。
よれよれの白衣を着ていても、デニス先生の佇まいには、どこか育ちの良さみたいなものが漂っていた。
約束された将来を捨てても、やりたいことをやる。
そういう一本気なところをシルヴィオさんも認めているんだろう。
「あ、ユスト! アリッサ様がお帰りになったのよ! それから聞いて、旦那様とアリッサ様、婚約なさったんですって!!」
通りかかったユストさんに、エイダさんが声をかけた。
葡萄の蔓で編んだ籠を手に持っているところをみると、畑から戻ってきたところらしい。
シルヴィオさんには深々とお辞儀をしたけど、わたしのことは、ちらっと見ただけ。
無視されるのかと思ったら、ユストさんは手に持った籠を、ちょっと傾けてみせた。
(わあ……!)
籠の中には、たくさんの苺。
「おめでとうございます」
背中を向けて歩き出す直前、彼が小さく呟いたのを、わたしは聞きのがさなかった。
「もう、ユストの愛想なし!」
「ま、あれも変わり者だが悪い人間ではないからな。旦那様のお知り合いのお医者様も、良い方なんだろう」
ぷりぷり怒るエイダさんに、ブルーノさんがのんびりと言う。
お二人も、じゅうぶん変わっているとは思うけど……。
「なんだ、アリッサ?」
そっと盗み見る視線に気づいたのか、シルヴィオさんが首を傾げる。
「あ、いえ、なんでもありません!」
――いちばんの変わり者は、やっぱりシルヴィオさんよね。
得体の知れない小娘のわたしを助けてくれて。
そのうえ偽装結婚なんて、ふつう思いつかないもの。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦
夕刻。
シルヴィオさんは、またお仕事へ戻っていった。
戦闘の事後処理や対策会議などで忙しいらしい。
そんな中で時間を割いて、わたしを探しにきてくれたんだ。
「今夜は帰れないと思うが、俺のことは気にしないでいい。アリッサも皆も、ゆっくり体を休めるように」
そう言ったときのシルヴィオさんはもう、お仕事の顔をしていた。
二人でいるときとは違う、素っ気ないくらいのその態度は、彼が大人であることを物語っているみたいに思えた。
シルヴィオさん不在の夕食は寂しかったけれど、食後のデザートはユストさんお手製の苺と生クリームがたっぷり載ったブランマンジェ。
貴族といえど苺は贅沢品だから、ユストさんなりにわたしを労わってくれたのかも。
甘酸っぱい苺とクリームの味に癒されたあと、寝室に上がった。
「ふぁぁ」
テーブルの上で、ポンポンは早くも大あくび。
花瓶には、一昨日にはなかった花が飾られていた。
白とピンクの薔薇。エイダさんが持ってきてくれたものだろう。
(お庭のお花かしら……いい香り)
ライティングデスクの上には、何冊かの本が置いてあった。
わたしが退屈しないようにと書庫から持ってきてくれたんだろう。
いちばん上の一冊を開いてみる。
すると、ページの間に栞が挟んであることに気づいた。
長方形のカードの上部に薄いピンクのリボンが通してある。
カードの表面には、白い花弁の押し花。
「可愛い栞……何のお花かしら?」
「きゅ?」
つられて覗きこんだポンポンも首を傾げる。
小指の爪ほどの大きさの花弁の先端は、花嫁のヴェールに施されたレースのように波打っている。
今までに見たことのない種類の花だ。
ちょっと拙い感じが可愛い押し花の栞。
この家の誰かが、過去に手作りしたものだろうか。
エイダさんの言葉を思い出した。
『久々に女性のお世話をさせていただけて、わたくしも嬉しいです』
このお屋敷には以前、シルヴィオさんの他に女の人が暮らしていたという意味に聞こえた。
貴族のお屋敷なんだから、当然といえば当然。
でも、誰のことを指しているんだろう。
(シルヴィオさんのお母様のこと? でも……)
エイダさんの台詞には、もうひとつ気になるものがあった。
『旦那様は滅多にお客様をお招きにならなくなってしまいましたので』
招かなくなってしまった、という表現が、ちょっと引っかかる。
以前、何かが起きて、シルヴィオさんは人と交流しなくなったのか。
二つの台詞には関係性があるんだろうか?
――余計な勘繰りは、やめた方がよさそうだ。
シルヴィオさんは、わたしの過去を尋ねない。
こちらも同じように接しないと。きっと、それも含めての「偽装婚約」なのだ。
ポンポンが欠伸をして、膝の上へ飛んできた。
たった一日で飛ぶのがすごく上手になっている。
「きゅー……ぅん」
目を閉じて丸くなるポンポン。
「はいはい、おやすみなさい。あなたも疲れたわよね」
王都で魔獣に遭遇するなんて思ってもみなかった。
聖女のいない国で生活するとは、こういうこと。
大変な二日間ではあったけれど、仕事が見つかったのは大きな収穫だ。
ベッドサイドの籠の中へ寝かせてあげてから、燭台の火を消し、ふかふかのベッドに横になる。
ここで眠るのはまだ二回目なのに、懐かしい場所に戻って来たような安心感があった。
「……わたし、ほんとうに生き直せるかもしれない」
ベッドの上で、呟く。
偽装婚約は、一年間の約束。
そのあいだに自立することを目標として、頑張ってみよう。生き直そう。
シルヴィオさんから貰った新しい名前で。
いくつもの偶然と思いがけない出来事に導かれて辿りついた、この優しい場所から。




