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26.ここで働く

「ポンポン……」

 

 ポンポンがわたしを見上げ、こてんと首を傾げた。なにかを問いかけるみたいに。 


 昨日からのことが走馬灯のように頭をかけめぐる。


 抱きしめた子供たちの震える体。

 患者さんに向き合うデニス先生の真剣な眼差し。

 薬草のリゾットの温かさ、患者さんたちの笑顔……。


「アリッサ、いっちゃうの!?」


 カティが走り寄ってきた。小さな瞳に大粒の涙がふくれあがる。


「やだ、いてよ。せんせい、アリッサにいかないでって言って」


「そうだよアリッサ、ここにいて!」


 他の子たちも群がってきて、口々に訴えはじめた。

 デニス先生が困った顔でみんなをなだめる。


「カティ、アリッサは帰らなくちゃいけないんだ。さようならを言おう」

 

「いや! カティ、アリッサとさよならしたくない!」


 とうとうカティは泣きだしてしまった。


「だめだよカティ。アリッサがこまるよ」


 すがる妹をひきはなしながら、松葉杖のルティが言う。


「やだやだやだ! おねえちゃんのいじわる!」


「気にしないでアリッサ、おうちの人が迎えにきたんでしょ? 帰っていいよ」


 ルティは無理に微笑んだけれど、すぐにくしゃっとした顔になって、下を向いてしまった。

 他の子たちも釣られて泣き出す。


「ルティ……みんな」


「きゅー……」


 目をうるうるさせて、ポンポンも小さく鳴いた。


 子供たちのむこうに、一緒に一夜を過ごした診療所が佇んでいる。

 蔦の絡まる建物は、陽射しの下で昨日よりいっそう古びて見えた。


 きみは何がしたいかと、シルヴィオさんに尋ねられたとき。

 答えは「働きたい」だった。

 そう――わたしの、やりたいこと。


「デニス先生。わたしをここで働かせていただけませんか」


 思い切って、口に出す。

 先生が、びっくりしたようにわたしを見た。


「働く? きみが、ここで?」


「さっき患者さんたちに聞きました。助手の方が辞められたんですよね? 代わりにわたしを雇ってほしいんです」


「そ、そりゃあ、ありがたい申し出だけど……アリッサはリーンフェルトの婚約者だろう? いろいろと問題があるんじゃないのかな」


 デニス先生の視線はシルヴィオさんのほうに向けられている。

 わたしが貴族の婚約者(という設定)だと知って戸惑っているのだ。


「シルヴィオさん、わたしがここで働くのを許してください。お願いします!」


 シルヴィオさんへ向き直り、頭を下げる。


「……本気か? アリッサ」


「はい」


「仕事をしていいとは言ったが……」


 シルヴィオさんは長身を屈め、わたしだけに聞こえるように囁いた。


「きみには宮廷での仕事を紹介するつもりだった。その方が苦労が少ないと思う」


「お気持ちはとっても嬉しいです。でも……わたし、この診療所で働きたい。どうかお願いします」


「騎士さま、アリッサをつれていかないで!」


「そうだよ、つれてかないで!」


 子供たちが騒ぎ出した。

 おねがいおねがいの大合唱のなかで、シルヴィオさんは思案の表情を浮かべたまま沈黙している。


 やがて彼の唇から、かすかな吐息が漏れた。


「仕方がないな。もう決めたんだろう?」


「! それじゃ……」


 根負けしたというように、シルヴィオさんがデニス先生の方を向く。


「シュターデン。アリッサを預けていいか」


 それを聞いたデニス先生は、大きく頷いた。


「もちろん。願ってもない話だよ」


「あ……ありがとうございます!」


 シルヴィオさんとデニス先生、二人に向かって、わたしは深々と頭を下げた。


 カティの目が輝いた。


「アリッサ、ここではたらくの? また会える!?」


「そうよ、会えるわ」


「やった! やったー!!」


 子供たちがいっせいに抱き付いてくる。さっきまで泣いていたのが嘘みたいに、みんな笑顔だ。 


「デニス先生、どうぞよろしくお願いします」

 

 雇い主になるデニス先生に改めて頭を下げると、ちょっと照れくさそうな微笑みが返ってきた。


「うん。こちらこそ、よろしく」


「ただし、今日はアリッサを連れて帰らせてもらうぞ、シュターデン。一度ゆっくり休ませたい。家の者たちも心配している」


 デニス先生に向けてそう言ったあと、シルヴィオさんは、くいっ、とわたしの腕を引き寄せた。


「くれぐれも無理はしないこと。それと、もちろん住み込みはだめだ」


 最後のほうの念押しは、まさに「保護者」っていう感じで、ちょっとくすぐったかった。


「はい、わかりました」


「行くぞ、アリッサ」


 わたしの手をとり、シルヴィオさんが歩きだした。

 

「アリッサおねえちゃん、またね!」


「ポンポンもつれてきてねー!」


 子供たちが見送ってくれる。


「ええ、また!」


 少し離れたところに待たせてある馬まで歩くあいだ、手を引くシルヴィオさんは言葉を発しなかった。

 そんな彼を、横を歩くハンスさんは何やら面白そうに見ている。

 

(……あれ?)


 こ、これは、もしかして……

 

「シルヴィオさん、怒ってます?」


「そう見えるか」


「ちょっとだけ。……あの、勝手なことして、ごめ」


「謝らなくていい」


 シルヴィオさんが振り向き、深く息を吐いた。

 吊り上がっていた眉尻が、ふっと下がる。


「怒ってない。驚いてる。きみは自分で自分のやるべきことを見つけたんだな。……まったく、なんてだ」


 そう言って、いきなりわたしの体を抱えあげた。


「きゃあっ!? し、シルヴィオさん、馬には自分で乗れますってば!」


「このくらいはさせてもらうよ。どれだけ心配したと思ってる?」


「あ……ごめんなさ」


「謝るな」


 ハンスさんがクスッと声をもらす。


「笑ったか、ハンス」


「笑ってません!」


 ハンスさんは一瞬だけ真顔を作り、すぐに口元に手を当てて横を向いた。



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