20.混乱のなかで
大勢の人が同じ方向へと逃げ走っていた。
魔獣の咆哮が聞こえるたびに、群集が悲鳴を上げる。
背後の空が時おり光り、轟音がひびくのは、シルヴィオさんとハンスさんが戦っている証だ。
(リーンフェルト邸へ、はやく……!)
馬車で辿った記憶をたよりに、必死で街並みを進む。
エイダさん、ブルーノさん、ユストさん……お屋敷のみんなも無事でいてほしい。
人波に押されて進むうち、奔流のなかで取り残された石のように動かない人影が目にはいった。
幼い子供がふたり、小さな体を重ねるようにしてうずくまっている。
(あの子たち、何をしてるの?)
人の流れをかき分けて近づき、声をかけた。
「どうしたの? はやく逃げましょう」
土埃で汚れた幼い顔がふたつ、同時に振り向く。どちらも女の子だ。
「たすけて! おねえちゃんがけがしてるの」
泣きながらすがりついてきたのは、五歳くらいの小さい子の方だった。
その傍らで、十歳前後に見える少女が地面に座り込んでいる。
「妹を連れてってください。あたしはいいから」
おねえちゃん、と呼ばれた子は、苦しそうな息の下から声を絞りだした。
ふたつに束ねた髪の下で、シャツの肩が真っ赤に染まっている。
両足からも血が出ていた。膝から下が自由にならないみたいだ。
「カティ、この人と行きなさい」
「やだ、おねえちゃんも一緒じゃなきゃやだ!」
「むり、あたしもう動けない。あんただけ逃げなさい」
「やだやだやだ!」
「親切なお姉さん、おねがい。妹だけでいいの、安全な場所に連れてって。おねがいします……!」
妹をあえて無視し、少女が訴えかけてくる。
カティという名前らしい妹は、わたしのドレスの裾を掴んだまま、いっそう大きな声で泣きじゃくりはじめた。
「おねえちゃん、カティのせいでけがしたの……おねえちゃんも一緒じゃないといや……!」
「わがまま言わないで。はやく行って!」
諭す少女の頬にも涙の滴がこぼれおちる。
わたしは迷わず、怪我をした少女を助け起こした。
「二人とも連れていくわ。頑張って!」
やっとのことで立ち上がった少女が、苦しそうに呻いて顔を歪める。
(足に力が入ってない。骨折してるのかも)
それならと彼女を背負ってみたけど、痩せて見える体は意外にも重かった。なかなか前に進めない。
「きゃ!」
後ろから誰かにぶつかられて、地面に倒れ込んでしまう。
「いたた……大丈夫?」
少女の方を振り返ろうとしたところで、ふいに背中が軽くなった。
(!?)
驚いて見上げる。
見知らぬ若い男性が、少女の体を横抱きにしていた。
黒髪、木綿のシャツ。シルヴィオさんと同じくらいの年齢の、真面目そうな面差しの青年だ。
「この子は僕が。きみは小さい子の方を頼む」
「え? は、はい」
「デニスせんせい!」
カティが嬉しそうな声をあげた。彼を知っているらしい。
「こっちへ!」
ぐったりした少女を軽々と抱いて、男性が走り出した。
「は、はい!」
カティの手を引き、慌てて彼に続く。
通りの真ん中を、騎馬隊が駆けていくのが見えた。
銀色に輝く戦闘用の甲冑。プレスターナの紋章が刺繍されたマント。手に手に構えた長剣や槍がまぶしい。
「王立騎士団だ!」
「援軍だ! 援軍がきたぞ!」
人々が歓喜の言葉をあげ、わたしも心で叫んだ。
(みなさん、ご無事で! そしてどうかシルヴィオさんたちを助けて!)
轟音がとどろく。
群衆の間から、また大きな悲鳴が膨れ上がった。
騎士団の攻撃で撃ち落とされた魔獣が、建物の上に落下したのだ。
ばりばりと大きな音がした。
破損した屋根の破片が巨大な礫となって上空から降ってくる。
「あぶない!」
咄嗟に幼いカティの上に覆いかぶさった。
(――きっとカティのお姉ちゃんも、こんなふうに妹を助けようとしたんだわ)
一瞬のあいだに、そんなことを考える。
あの大きな破片が頭部に当たれば、わたしも無傷ではすまない――。
「きゅ!」
ポンポンがポシェットから飛び出し、肩へと駆け上がる。
(ポンポン!?)
次の瞬間。
バンッという破裂音とともに、空中で屋根の破片が弾け飛んだ。
砂のように細かく砕かれて、さらさらと地面に降り注ぐ。
「……なんで?」
目をまんまるに見開いて、カティがつぶやいた。
「わからないわ、わたしにも……ポンポン! 大丈夫!?」
なあに? といわんばかりに、ポンポンは肩の上で首を傾げている。何故か得意そうな顔で。
「きみ! 早く!」
少し先の角で、黒髪の青年が叫んでいる。
「あ、はい! ポンポン、いくわよ」
ポンポンをポシェットに戻し、カティの小さな手をしっかりと握って、ふたたび青年の背中を追った。
とにかく今は、子供たちを安全な場所へ!
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