表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

18/105

18.偽装婚約、はじまる

 シルヴィオさんの顔が安心したように綻んだ。


「承知してくれるか。ありがとう。誰かに身元を尋ねられたら俺の遠い親戚だと答えておいてくれ。苗字は……そうだな、エルツェ。アリッサ・エルツェと名乗るのはどうだ」


「あー! いたいた、シルヴィオ隊長!!」


 急に大きな呼び声がして、シルヴィオさんの視線が逸れた。


 通りの向こうで軍服姿の男性が手を振っている。

 人混みの中でも目立つ、鮮やかな赤毛の若者だった。


「お知り合いですか?」


「部下だ」


 シルヴィオさんが苦い顔で答える。


 そのわずかの間に赤毛の若者は通りを横切り、カフェのテラス席へと軽やかに駆けあがって来た。

 拳を胸にあてて綺麗な敬礼をする。


「やっと見つけましたよシルヴィオ隊長! 休日に申し訳ありません、お屋敷へお迎えに上がったら街へ出られたとお聞きしまして……あ、あれっ!?」


 早口でまくしたてていた彼の瞳が、やっとわたしを認識する。

 そばかすの残る顔に、明らかな動揺が走った。


「たた、隊長! たいへん失礼をいたしました! まさか、まさか隊長が女性とご一緒とは想像も及ばず……!」


「本当に失礼だな。だが、いい機会だから紹介する。彼女はアリッサ・エルツェ。俺の婚約者だ」


(もう始まった、偽装婚約!)


 シルヴィオさん、本気なのね。本当に婚約者設定で行くのね!?

 

「婚約者!? 隊長、いつの間に!!」


 若者の声が裏返る。


「つい最近だ。彼女が求婚を受け入れてくれたので我が家に迎えた」


「そ、それは、おめでとうございます! ちっとも知りませんでした、隊長にそんな方がいらしたなんて……いや、それにしてもビックリしたぁ……!」


「アリッサ、これはハンス・グラスール。俺の副官だ。こう見えて普段は優秀な男なんだが」


「こう見えては余計です!」


 ハンスさんは不満げに異を唱えたけれど、シルヴィオさんの言いたいこともわからないではなかった。

 ふわふわの赤毛に、肌にはそばかす、人懐こい雰囲気。

 シルヴィオさんより明らかに年下だし、長身だけど軸の細い体は少年のようだ。軍服を着ていなければ、もっと若く見えると思う。


「よろしくお願いします、アリッサ・エルツェです」


 なるべく言葉少なに礼をしてみせた。

 襤褸を出さないためにも、シルヴィオさんのリードに任せよう。


「それで、何の用だ」


 尋ねられたハンスさんの顔が引き締まる。


「はっ、そうでした! 隊長、急ぎの伝達がございます。本日夕刻より緊急の軍議が開かれることになりました」


「……そうか。早いな」


「はい。隊長のご報告を受けての軍議となります」


 わずかに困惑のにじむ表情で、ハンスさんがわたしを見た。部外者に聞かせたくない話があるのだ。


「わたし、外しますね」


「いや、きみはここにいてくれ。俺は外でハンスと少し話してくる」

 

 腰を浮かせたわたしを制して、シルヴィオさんが席を立った。

 

「申し訳ありません、アリッサさん。すぐに済みますので」


 ハンスさんも小さく頭を下げる。

 連れ立ってテラスの階段を降りていく二人。幾人もの女性客が彼らの背中を見送っているのがわかった。

  

 ひとりになったテーブルで、ふっと息を吐く。

 目の前のカップの中には、うすい琥珀色に透き通ったハーブティーが、まだほとんど減らずに残っていた。


 二人が話しているのは、昨夜の魔物出現についてだろうか。

 とても気になるけれど、わたしが聞いていい話じゃない。

 それに。


「……アリッサ・エルツェ」


 ちいさく呟いてみる。

 さっき決まったばかりの、わたしの名前フルネームを。


 通りの上にひろがる空では、虹の輪郭が背景の青に滲みかけていた。

 消えていく虹のかわりに明るさを増す日差し。雨上がりの澄んだ香りが、空気を満たしはじめている。


(……消えたっていい。わたしの過去も)


 双子の妹。

 両親。

 かつての婚約者。

 濡れ衣を着せられて投獄されたこと。

 命を奪われそうになったこと。


 故郷で起こった出来事のすべて。

 ぜんぶ、捨ててかまわない。


 ここで生き直すことができるなら。

 聖女の付き人アリアテッサでなく、ひとりの人間、アリッサとして――。


「キュ!」


 膝の上にいたポンポンが、ひと声鳴いて、いきなりテーブルの上に飛び乗った。


「あ、だめよポンポン!」


  急いでポシェットの中に戻そうとしたけれど、ポンポンはめずらしく言うことをきかなかった。それどころか、外の方向を向いて体じゅうの毛を逆立てている。


「どうしたの? いつもいい子なのに……」


 ダルトアにいる時から、お店などではポンポンを外に出さないようにしていた。嫌がる人だっているし、第一、それがマナーだから。ポンポンだって、普段はちゃんと言うことを聞く。


 ハーブティーのカップが、カタカタと小刻みに揺れだした。

 

「な……なに? 地震?」


 揺れはどんどん大きくなり、テーブルや椅子までが音を立てて動き始める。


「ポンポン、来て!」


 がたんとテーブルがはずみ、カフェのお客さんたちが悲鳴を上げた。ポンポンが胸にしがみついてくる 

 びりびりと空気が震えた。

 胸騒ぎがする。ただの地震じゃない。


(この感覚……まさか)


 日差しが急に陰った。

 何か巨大なものが上空を横切ったのだ。

 ふくらむ悲鳴の中から、誰かが叫ぶ声が聞こえた。


「逃げろ! 魔獣だ!!」

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ