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15.ドレスの魔法 

 あれもこれもと着せたがる二人を宥めるのに苦労しつつ、ワンピースを一着えらんだ。


 ワードローブの中では一番シンプルな紺色。

 立ちあがった襟元の控えめなフリルが肌の露出を抑え、肩から下が膨らんだ袖は手首のところで窄まっている。

 袖の一部にはレースが被せてあり、スカートは足首が見える長さ。


 出来るだけ動きやすいもの。

 それから、あまり目立ちすぎないもの。

 わたしの希望を聞いたメイヤー夫人が勧めてくれたのが、この一着だった。


 助手の女の子たちに手早く指示を出して、袖や裾の長さを微調整。

 作業が終わるまでの間に、下着や靴や小物をひと揃い見立ててくれる。

 メイヤー夫人の仕事ぶりはプロフェッショナルそのものだった。


「最後の仕上げに、髪を編みましょう」


 彼女はそう言って、わたしの髪を梳かし始めた。

 頭頂部からサイドの髪を編み込んで、長く残った後頭部の髪はそのまま流すスタイルに仕上げていくつもりのようだ。


(なんだか、恥ずかしい……)


 若い女性たちが好んで選ぶ髪型。

 可愛いなと思っていたけれど、わたしは試したことがない。

 付き人のころは、いつも後頭部でひとつに結んでいただけ。髪飾りもつけたことがない。


「お顔を上げてください、アリッサ様」


 自然と俯きがちになるわたしに、メイヤー夫人が言った。


「あ、す、すみません。編み込みが緩みますよね」


「それだけではありません。顔を上げて、しっかりと前をごらんになるのです。そうすれば、あなたが本来持っている美しさがもっと輝きます」


「え……」


 ほら、と促され、鏡を見る。


(……!)

 

 真新しいドレスと、初めての髪型。

 今までに見たことのない自分が、鏡面から不思議そうにこちらを見返していた。


(――誰?)


 一瞬、ほんとうにそう思った。

 妹の影となって働き、罪人となって投獄され、命まで奪われかけたボロボロのわたしは、そこにはいない。


 鏡に映っているのは、「普通の女の子」。

 とてもセンスの良い服を着て、美しく髪を編んだ女の子だ。


(まるで、わたしじゃないみたい……)


「さ、出来ました」


 背後に映るメイヤー夫人が、満足そうに微笑む。

 そしてわたしを立ち上がらせながら、扉の向こうへと呼びかけた。


「シルヴィオ坊ちゃま、お待たせいたしました。どうぞお入りくださいませ」


「だから坊ちゃまはやめろと……」


 不満そうな声を漏らしながら、シルヴィオさんが入って来る。背後にはブルーノさんもいる。

 反射的に下を向いた。

 

(こんな素敵なドレスも髪型も、わたしには似合わないのに)


 シルヴィオさんだって、そう思うに違いない。

 彼みたいな人なら、綺麗な女性をたくさん見ているはず。

 不釣り合いな格好だって、笑われるかも……!


 ぐいっ、と後ろから肩を掴まれた。


「!」


 え、という声を発する間もなく、わたしの耳元で、メイヤー夫人が囁いた。


「お顔を上げて」


「は、ハイッ」


 厳しめの指示にしたがって、顎を上げると。

 驚いたような表情のシルヴィオさんが、真正面からわたしを見つめていた。


「……アリッサ」


 シルヴィオさんが呟く。

 その次の言葉は、なかなか出てこない。

 ただ、少なくとも彼は、嘲笑わらってはいなかった。

 眩しそうに目を細めて、瞬きを繰り返している。


 しばしの沈黙の後、くすくすという笑い声が部屋に響いた。メイヤー夫人だ。


「シルヴィオ様ったら、正直でいらっしゃいますこと。見惚れてしまいますわよね」


「そ、そういう……そういう、わけではない」


 つっけんどんに返して、シルヴィオさんは咳ばらいをひとつした。困ってるのがわかって、申し訳ない気持ちになる。


 メイヤー夫人の顔には、ますます満足げな笑みを浮かんだ。


「ふふ、シルヴィオ様、ぜひまたアリッサ様のご用事をお申し付けくださいませね。こんなに磨きがいのある素材はなかなか見つかりませんわ。まだまだお綺麗になられますわよ」


「楽しそうだな、メイヤー夫人」


「ええ、それはもう。デザイナー冥利に尽きます」


 帰り支度をしながら、メイヤー夫人が言う。


「堅物のシルヴィオ坊っちゃまに、こんなにお可愛らしいご親戚のお嬢様がいらしたんですね。安心いたしました」


「またその呼び方を。わざとか?」


「まあ、ごめんなさい。わたくしはシルヴィオ様が、こんなに・・・・お小さい頃から存じ上げていますので、つい」


 こんなに、のところで、メイヤー夫人は自分の膝くらいのところに右手をかざす。


「しかも未だにご結婚はおろか、浮いたお話さえ聞こえてこないものですから。わたくしにとってシルヴィオ様は、まだまだ可愛らしい男の子に思えますの」


「そうかわかった、もうそのくらいにしてくれ」


「ほほほ、ではアリッサ様、またお会いできますように」


 慈愛さえ感じる微笑みを残して、美貌のデザイナーは優雅に退場していった。

 巨大なワードローブは、従業員らしき男性たちが二人がかりで運び出していく。


「アリッサ様、そのお洋服とってもお似合いになりますわ! ね、旦那様?」


 エイダさんが微笑む。


「ああ……確かに」


 シルヴィオさんは頷いた。

 たとえお世辞でも、彼に受け入れてもらえたことが嬉しかった。普通の女の子みたいな、この姿を。


「ありがとうございます、シルヴィオさん。その……こんなに良くしていただいて」


「礼など言わなくていい。エイダの言う通りだな。似合っている」


 今度はわたしが目を逸らしてしまった。

 シルヴィオさんの瞳はあまりにもまっすぐで、なんだか心がくすぐったくなってしまう。


「雨が止みそうですな。まさに恵みの滴でございました」


 窓辺で外を見ていたブルーノさんの言葉が、漂いかけた沈黙を追い払った。

 言われてみれば、窓を打つ雨の雫はまばらになり、空が明るくなっている。


 シルヴィオさんが何かを思いついた顔でこちらを見た。


「ちょうどいい。アリッサ、出掛けよう」


「お出掛け……ですか?」


「そうだ。服も用意できたことだし、もう何処にでも行ける」


「アリッサ様、是非そうなさったらよろしいですわよ!」


 わたしの両肩に後ろからポンと手を置いて、エイダさんが言う。


「旦那様はね、メイヤー夫人に言われたことをお気になさってるんですの。アリッサ様が外に出ないほうが嬉しいんじゃありませんかって」


「何か言ったか、エイダ」


「いーえ、何も」


「……まあいい。アリッサ、行こう。そうだ、出る前に屋敷の中を軽く案内しようか」


「は、はい」


 颯爽と部屋を出て行くシルヴィオさん。

 目を覚ましたポンポンが、慌てたように肩に飛び乗ってきた。


「大丈夫、置いていかないわ」


 話しかけて頭を撫でてあげてから、前を行く広い背中を追う。

 わたしたちの方へと振り向いて、シルヴィオさんは少し笑ったようだった。



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