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14.旦那様のお手並み

「気分はどうだ? 朝食はちゃんと食べたか?」


 そう言いながら部屋に入って来たシルヴィオさんは、ガウン姿のわたしを見るなり慌てたように目を逸らした。


「すまない。壁を見て話す」


「え……いえ」


 なんだかわたしも恥ずかしくなって下を向いた。

 ガウンは厚地だし、肌も見えていないのに。

 

(シルヴィオさん、真面目なのね)


 精悍な横顔に、心なしか少しの赤みがさしている。

 非番というだけあって白いブラウスに濃紺のジャケットを着こなした姿は、とても格好よかった。


「急で申し訳ないとは思ったんだが、応接室へ来てもらえないか。きみに会わせたい人がいる」


「応接室へ? でも……」


「心配ない。その服のままでいいから」


「さあ、アリッサ様、まいりましょう」


 わたしの手を引くエイダさんは、妙に楽しそうだ。

 導かれるまま一階の応接室へ入る。


「……!?」


 まず目に入ったのは、床に縦に置かれた大きな大きな木製のトランクだった。

 驚いたのは、その高さ。わたしの身長くらいある。

 しかも二つも。人を使って運び込ませたんだろう。

 

 トランクの横には三人の女性が、姿勢を正して立っていた。

 そのうち二人は若い人で、お仕着せらしい紺色の揃いのワンピースを着ている。


 彼女たちを従えるような位置にいた深緑色のドレスの女性が、わたしを見て唇の端を上げた。


 年齢は……たぶん、五十歳前後?

 鼻筋の通った顔には、きっちりとお化粧が施されている。

 髪を高く結い上げ、ドレスは肌の露出を抑えた長袖。上品で、なおかつ活動的な印象を受ける。若い頃から美人で鳴らしているに違いない。


「アリッサ、こちらはマティルダ・メイヤー夫人。デザイナーだ。我が家も昔から懇意にしている」


「はじめまして、アリッサ様」


 シルヴィオさんの紹介を受けて、メイヤー夫人が淑女の礼をする。

 デザイナーと言われて納得がいった。服もアクセサリーも、とにかく身に纏っているものすべて、とてもセンスがいい。

 

「は、はじめまして」


 突然の展開に驚きながら、ガウン姿で礼を返す。

 メイヤー夫人は顔を上げ、わたしを見て微笑んだ。


「アリッサ様はシルヴィオ様のご親戚だとか。この度はご旅行中の手違いで荷物をすべて失くしてしまわれたそうで、大変な思いをなさいましたね。お見舞い申し上げます」


「えっ? しんせ」


 メイヤー夫人の後ろでシルヴィオさんが咳払いをする。


(黙ってなさいってこと?)


「では、始めさせていただきますわね」

 

 メイヤー夫人が恭しくトランクの蓋を開いた。


(わあ……!)


 トランクの中から現れたのは、ハンガーに吊るされた何着ものドレス。

 中でも、中央でひときわ輝く薄桃色の一着に目を奪われた。裾が大きく広がった夜会用のドレスだ。


(綺麗な色……)


 まるで、春の野に咲く可憐な花みたい。

 こんな色、人生で一度も着たことがない。

 優しくて、華やかで。


(こんな素敵なドレスを着てダンスを踊ったら、どんな気持ちになるかしら)


 もっともわたしには、そんな機会、二度とないだろうけれど。


「アリッサ様、ごらんくださいませ! 靴もとっても可愛らしいですわ!」


 エイダさんがはしゃいでいる。

 彼女の言うとおり、トランクの下部に造りつけられた棚には、たくさんの靴が並んでいた。普段使いのフラットシューズから、花や宝石のついたハイヒールまで、どれも本当に可愛い。

 大きなトランクは、移動式のワードローブだったのだ。


 メイヤー夫人が自信に満ちた表情で顎を上げた。


「アリッサ様の瞳と髪の色を伺ってお持ちしたドレスです。急なご注文でしたので出来合いの品ばかりですけれど、お似合いになるものをご提案できると思いますよ」


「あ、あの、シルヴィオさん!」


「どうした?」


 尋ねてくれるシルヴィオさんの腕をとり、耳元で囁く。


「こんな素敵なお洋服のお支払い、わたしにはとても無理です……!」


 そうなのだ。

 わたしは一切、お金を持ってないの! 

 故郷を出るときに持ち出しを許された、ごくごくわずかな所持金だって、昨夜の騒動で全部なくしてしまったんだからー!


 目の前のドレスも靴も、もれなく高級そう。生地の上質さも手を触れる前にわかる。わかるから怖い!


 シルヴィオさんが、ぷっと吹きだした。


「何を言うかと思えばそんなことか。心配いらない、これは俺からの贈り物だ」


「贈り物……え、え?」


 シルヴィオさんの肩越しに、エイダさんが満面の笑顔で両手を拳に握ってみせる。


 彼女が言ってた「旦那様のお手並みにご期待」って、こういうこと?

 驚きを通り越して言葉が出ません!


「メイヤー夫人、とりあえず何着か見繕ってもらえるか。このままだとアリッサは外にも出られない」


 シルヴィオさんの言葉に、今度はメイヤー夫人がクスッと笑った。


「シルヴィオ坊ちゃまは、アリッサ様がお屋敷から出ないでいてくださるほうが安心なのではございませんか?」


「坊ちゃまはやめてくれ、もういい大人だぞ。それに俺はそんな狭量な男では……あ、失敬」


 こちらを向いてしまったシルヴィオさんが、律儀に目を逸らす。


「ほほほ、大変ですこと。外に出るもなにも、まずはシルヴィオ様がアリッサ様を直視なさるための服が必要ですわね?」


「まあ、そういうことだ」


「では、お喋りはここまで。男子は外に出ていただきましょうか」


「わかった。アリッサ、好きな服を選ぶといい。遠慮はするなよ」


 相変わらず視線は微妙に逸らしたまま、シルヴィオさんが部屋を出て行く。


「坊ちゃまったら、わかりやすいこと」


 おもむろにこちらへ向きなおったメイヤー夫人の瞳が、きらりと輝いた。


「さて、アリッサ様。ご試着とまいりましょう。エイダ、お手伝いをお願いね」


「はい、喜んで!」


 エイダさんがやる気満々でわたしのガウンを脱がしにかかる。


「え、ま、待ってください!」


「待ちません! 女性にはお洋服が必要です」


 メイヤー夫人が言えば、


「待てません! アリッサ様のドレス姿が見たいので!」


 エイダさんも拳を握る。


 かくてわたしは、ワードローブの中のドレスを端から試着していくことになったのだった。



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