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13.恵みの雨 

 わずかに沈みかけた空気を払うように、エイダさんが明るい声を出した。


「心配しすぎも良くありませんね! 魔獣は旦那様が退治してくださいます。アリッサ様は、まず朝食を召し上がって元気を出してくださいませ。食欲は生きている証でございますよ!」


「はい」


 昨夜しっかりと夜食をいただいたのに、ワッフルを見たら途端にお腹が空いてくる。


「いただきます」


 すすめられるまま、狐色のワッフルにジャムを載せて口に運んだ。


「やっぱり美味しい……!」


「でしょう? やっぱり美味しいでしょう? うちのユストは愛想はないけど腕は一流です、って、これ昨夜も申し上げましたね?」


 屈託なく笑うエイダさん。年上だけど、笑顔がとってもチャーミングだ。


 シルクの夜着の上にガウンという格好のまま、ゆっくり味わって食べた。

 焼きたてのワッフルの熱とジャムの甘酸っぱさが体を目覚めさせてくれる。

 美味しいものって、本当に元気が出るのね。


(もう何年も、こんなにくつろいで朝食を食べたことなんてなかったな……)


 妹の付き人として過ごしていたときは、いつも気を張っていた。

 リズラインは気まぐれで、食事や睡眠の途中で呼び出されたり、突然の用事を言いつけられることは日常茶飯事。

 ウィルヘルム殿下との婚約が内定したあとも、それは変わらなかった。


『リズラインが言うんだ、付き人はアリアテッサ以外に考えられないって。すまないけれど、僕と結婚したあとも彼女の世話を続けてもらえないか』


 ウィルヘルム殿下が告げた言葉が脳裏に甦る。

 困ったように眉を寄せて、でも、彼は微笑んでいた。


 妹の声が耳の奥で再生される。


『私は構わないのよ、誰が付き人になったって。でも、アリアテッサは他に何もできないでしょう? だからそばに置いてあげる。役立たずのお姉さまが生きていけるように』


 たしかに、わたしは役立たずだ。

 聖女リズラインの双子の姉ということ以外に何もない。

 でも……


「ね、アリッサ様。出て行くなんておっしゃらないでくださいませ」


 食後にお茶のおかわりを注ぎながら、エイダさんが優しく言った。

 茶葉に花が入っているのか、ふわりとまろやかな香りが湯気と一緒にたちのぼる。

 

「わたくし、旦那様からアリッサ様のお世話を正式に仰せつかりましたの。どうぞよろしくお願いいたします」


「そんなわけには……一晩泊めていただいただけでも本当に感謝してます。そのうえ、お食事まで……これをいただいたら、すぐにお暇しますから」


「そうお急ぎにならず。まずは旦那様のお帰りを待ちましょう? わたくしも久々に女性のお世話をさせていただけるので嬉しくて」


「え?」


 久々に、という言葉に含みを感じたのは気のせいだろうか。

 意味を尋ねようか迷っていると、何かに気づいたエイダさんが「あら?」と窓に身を寄せた。


 ぽつり。

 ぽつり。

 透明の窓ガラスに小さな水の粒が落ちる。


「雨……?」


 いつのまにか、空には薄い雲が広がっていた。

 霧のような優しい雨が外の景色を煙らせていくまで、いくらもかからなかった。


「アリッサ様! ごらんくださいませ、久しぶりの雨ですわ!」


「ええ……」


 久しぶりの、と言われてもピンとこない。

 でも、エイダさんが言うからには本当にそうなんだろう。


 彼女に倣って、窓辺で外を見下ろしてみる。


 屋敷から白い服を着た男性が飛び出して来るのが見えた。

 ひゃっほーぅ、みたいに大声をあげ、踊るように飛び跳ねながら何処かへ走っていく。


「あ、あれって、ユストさんですか?」


「ですね。歌ってます」


「歌!?」


 奇声にしか聞こえなかったけど。


「雨が降って嬉しいんでしょう。菜園を見にいったんですね、野菜や香草の出来はお料理に影響しますから……あ、旦那様がお帰りのようですよ」


「え?」


 エイダさんの言うとおり、蹄の音が聞こえてきていた。

 迎えに出るブルーノさんの姿が見える。


「た、大変! すぐに着替えます! 着替えて……」


 立ち上がったものの、すぐにハッとした。


(着替えるっていっても……着替える服がない!)


 昨夜脱いだドレスは汚れ、破れて、ひどいことになっている。

 縫いなおそうにも、裁縫道具を含む私物はすべて森で失くしてしまった。そもそも繕ってどうにかなる状態でもない。


「まあまあまあ、ここは旦那様のお手並みにご期待くださいませ。きっと驚かれるはずですわ。では、わたくしはお迎えに!」

 

 ウインクして廊下へ出て行くエイダさん。

 足取りがスキップみたいに軽い。ハミングまで聞こえてきそうだ。


「ねえポンポン、旦那様のお手並みってなんのことだと思う?」


 問いかけてみたけれど、ポンポンはベッドの上に仰向けになって寝息をたてていた。お腹いっぱい林檎を食べて眠たくなったんだろう。


「いいわね、あなたは呑気で……そこが可愛いけど」


 間もなくエイダさんが戻って来た。

 彼女の後ろから、


「入るぞ、アリッサ」


 遠慮がちな男性の呼びかけ。

 シルヴィオさんの声だった。


「どうぞ」


 律儀に返事を待って、シルヴィオさんが現れた。

 非番というだけあって、濃紺のジャケットを着こなしている姿は、とても格好よかった。





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