番外編6.あなたは特別〜跳ねっかえり姫と僕〜
本編エピローグ後のエピソード。
イルレーネ王女の護衛騎士カールの一人称です。
「大丈夫?」
出会ったばかりの僕に、彼女が語りかけた声。
もう五年も前の記憶なのに、まるで昨日の出来事のように鮮明に思い出せる。
僕に向かって差しのべられた手の細さも。
彼女の纏った白いドレスが、魔獣の血で黒く汚れていたことも。
当時の僕は、たった十歳の子供だったけれど。
とんでもない人に出会ってしまったのだと、すぐに理解した。
なぜって、彼女は笑っていたから。
あどけなさの残る瞳で僕をみつめ、とても嬉しそうに。
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『特別な子』。
僕――カール・キスリングが幼い頃から言われてきた言葉だ。
裕福な伯爵家に生まれ、勉学の成績は抜群。
武芸も得意。楽器も弾ける。容姿だって誉められる。
魔力も授かり、物心つく頃には攻撃魔術の真似事まで出来た。
まさに神童降臨と親戚一同大盛り上がり、特に両親の期待は凄まじいものがあった。
「カールの魔力はすばらしい。武芸の才もあるし、きっと稀代の魔法騎士になるぞ」
「この子は頭が良いのですよ。国王陛下のお側で政を担うべきですわ」
そして、きまってこう付け加えるのだ。
「カール、おまえは特別な子。人より優れて生まれたのだから、その力は人のために使いなさい」
おとなしく聞いてはいたけれど。
心の中では舌を出していた。
(ばかばかしい。生まれつき優秀なぶん、僕は損ってことじゃないか)
我ながら器用で、何をやっても一番になってしまう僕。
挫折も苦労もない代わりに、同い年とは話が合わない。
年上からは生意気だとか、可愛げがないとか言われ、友達は一人もいなかった。
なのに「人のために」力を使えって?
誰のことも好きじゃないのに、誰のために?
それで僕に何の得がある?
(……うんざりだ)
しだいに僕は捻くれて、あらゆることに手を抜くようになっていった。
講義は抜け出す、剣の稽古はさぼる、魔術訓練はふざけたおす。
不良幼児と成りはてた息子に父や母は嘆いたけれど、「できる」者が多く背負うなら、頑張らないほうがいい。
努力する理由なんてない。損をするのは嫌だ。
『特別な子』。
そう言われるのが、嫌でたまらなかったのだ。
誰とも知れない誰かのために、余計な荷物を押しつけられる気がして。
――ところが、十歳の夏。
避暑地で起こった事件とともに、醒めた子供時代は終わった。
いつものように屋敷を抜け出し、丘の上で空を眺めていた僕は、運悪く魔獣に遭遇してしまったのだ。
大型の有翼魔獣。
間近に迫る脅威を前に、普段さぼりまくっている僕の体は動かなかった。
思考だけが、ものすごい勢いで脳内を駆けめぐる。
(なにが『特別な子』だ。こんなにあっさり死ぬなんて)
短い人生、何も面白いことがなかった。
ずっと退屈だった。ずっと一人だった。
ああ、そうか。
この先どれだけ長く生きたって同じか。
だったら、もういいかな……
不遜な考えに支配された頭が、魔獣の爪に砕かれようとした瞬間。
眩しい光が視界を焼き、大地が揺れた。
『ギャアッ』
不快な絶叫を発し、魔獣が地面に落ちる。
翼を捥がれた巨体が、もがきながら僕とは反対方向へと向かっていくのが見えた。
振り下ろす嘴の先に、小さな人影がある。
「あぶな……!」
叫ぶ前に、その人影が両腕を魔獣へと突き出した。
再び足元が揺れ、僕は地面に突っ伏した。
(光魔法だ!)
閃光の中で魔獣の巨体が粉々に消し飛ぶのを、僕はただ呆然と眺めていた。
(こんなに凄い威力の戦闘魔法、はじめて見た……!)
光が消えたあとの草原に、見知らぬ少女がひとり、立っている。
きれいだな、と思った。
少女のブルネットの髪は乱れ、豪奢な白銀色のドレスはところどころ焼け焦げて、魔獣の黒い血に汚れていたのに。
少女が悠然と歩み寄ってくる。
細い体。僕より少し年上程度の、子供だ。
それなのに。
(……何なんだ、この感じ)
僕を圧倒した感覚を言語化することは、当時も今も難しい。
いちばん近い言葉を敢えて探すとしたら――威厳。
彼女が放つ高潔な空気の前で、僕は「ただの子供」でしかなかった。
「大丈夫?」
少女が右手を差しだす。
見下ろす眼差しは強く、あまりにも真摯だ。
やっとのことで僕が返した言葉は、質問の答えでも、感謝でもなかった。
「どうして……助けて、くれたの……?」
どうやら彼女、子供ながらに光魔法の使い手らしい。
それでも大きな魔獣を相手に、たった一人で戦うなんて、命しらずにも程がある。一歩間違えば、ふたり一緒に死んでいてもおかしくなかった。
第一、僕らは初対面。
危険を犯してまで赤の他人を助ける義理なんて、彼女の方にはないはずだ。
少女が小首を傾げ、微笑む。
「私、王女だから」
「……王女?」
「そう。王女の使命は、この国で暮らす人を守ることよ。あなたを助けるのは当然なの」
「お……王女様って、そういうものだっけ」
「ええ、そういうものよ」
少女が、今度はニッコリと笑った。
「あなたが無事で、よかったわ!」
……驚いた。
目の前の少女が、本当に王女なのだとしたら。
王女だからという、それだけの理由で、僕を助けてくれたっていうのか。
今後も彼女は同じことをするんだろう。誰が相手でも、何度でも。
生まれながらに背負わされた使命を受け入れて、傷ついても笑ってみせるだろう――
「イルレーネ様!」
「王女様! ご無事ですか、王女様……!!」
遠くから、大勢の大人たちが口々に叫びつつ駆けてくる。
「ああ、見つかっちゃった。こっそり一人で散歩していたの。お転婆がすぎるって叱られるわ」
彼女が肩をすくめ、僕へと手を差しだす。
「立てる?」
頼りないくらい細い指。
こんな手の持ち主が、自分の役目は国民を守ることだという。
「……うん」
温かなその手を取ったとき、強烈な想いが湧きあがるのを感じた。
『特別な子』。
それは、彼女みたいな人のことをいうんだ。
小さくて強くて優しくて、誰よりも損な役まわりの王女様。
この人のことは、僕が守ってあげなくちゃ。
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その日から僕は、手を抜くのをやめた。
勉強でも武芸でも、本気を出した僕に敵などいない。
学校は飛び級に次ぐ飛び級、それまでシルヴィオ・リーンフェルト卿がもっていた最年少入隊記録を破って騎士団予備隊へ加わり、魔法騎士に。
十六歳になった今、僕は近衛騎士としてイルレーネ王女様の側にいる。
そして、イルレーネ様は御年十九。
美しく成長された彼女を、国民は親愛を込めて呼ぶ――『跳ねっかえり姫』と。
「ねえ、『跳ねっかえり姫』なんて誰が言い出したの? 私は『王都の白薔薇』と呼んでほしいのに!」
ご自身考案のキャッチフレーズが一向に浸透せず、王女様はおかんむりだけど、僕に言わせれば無理もない。
お転婆、もとい勇敢さには年々磨きがかかり、
「カール! 私、騎馬大会に出るわ! 匿名で力試しよ!」
「お考え直しくださいイルレーネ様! 対戦相手に死者が出ます!」
「カール! 私、留学するわ。戦闘魔術を学んでくる!」
「王女様が留学なんて前例がありませんよ!? とにかく僕もお供します!」
「カール! ダルトア王国と共闘で魔獣討伐よ! 私、最前線で戦うわ!」
「……あなたは僕がお守りします。必ず」
毎日が、この調子。
小さなことから大きなことまで、とにかく驚かせてくれる。
断っておくけど、根は真面目で国民思いの王女様だ。突飛に見える行動も、実は正義感や、王女としての責務を果たそうとする気持ちに裏打ちされていたりする。
そのぶん、たまに気分転換をしたくなるらしい。
お気持ちはわかる、わかるけど、気軽に王宮を脱出されるのが困りもの。
今日も今日とて、同じ護衛騎士のフランツが詰所に駆け込んできた。
「イルレーネ様のお姿が見えない」
「またか! まだ遠くへは行かれていないはずだ、急げ!」
王宮の裏手門から馬車で出かけようとしていたのを、すんでのところで捕まえる。
「イルレーネ様! 黙って外出するのはおやめください!」
「ああっ、カール! 見逃して!」
「ダメです! だいたい何処へ行かれるおつもりで!?」
「リーンフェルト邸よ。料理人のユストにお菓子作りを教えてもらって、シュターデン先生に贈るの」
「シュターデン先生? デニス・シュターデン医師ですか?」
「そうよ、アリッサも手伝ってくれるのですって。シルヴィオもいるし危険はないわよ、安心した?」
「安心の前に、情報量が多すぎです……」
呆れる僕を後目に、うきうきとステップを上るイルレーネ様。
「お待ちください、お菓子なんてイルレーネ様のお手製でなくても良いでしょう」
「私、はじめてシュターデン先生にお会いしたときの非礼を謝りたいの。そのための贈り物よ、手作りでないと意味がないわ」
「何を今さら。さてはイルレーネ様、アリッサ様と遊びたいだけですね?」
「あら、人聞きの悪い。とにかく今日は公務もないし、私ひとりで大丈夫。じゃあね!」
「させません!」
馬車の扉を閉めようとするのをこじ開け、イルレーネ様の向かいの席へと乗り込む。
「どうしても行かれるというなら僕も一緒に! フランツ、きみは馬で続け」
「了解した」
身を翻し、駆け出すフランツ。口数は少ないけど信頼できる同僚だ。
イルレーネ様が肩を落とす。
「もう、どうして毎回カールに見つかってしまうのかしら。今度こそうまく抜け出せたと思ったのに」
「僕は元・不良幼児ですよ。イルレーネ様のお考えになる脱走ルートなんてお見通しです。そもそもお一人で行動するのはお控えくださいと普段から」
「わかりました、わかりました! カールったら、出会った頃はあんなに可愛らしかったのに、すっかり口うるさくなってしまったわね」
「なんとでも。僕はあなたの騎士ですから、常にお側でお守りします」
きっぱり言い切ってみせると、イルレーネ様は観念した様子で溜め息をついた。
「……まあ、いいわ。あなたは特別よ」
「光栄です、イルレーネ様」
思わず唇の端が上がりそうになって、片手で口もとを隠した。
ときどき、思い出す。
イルレーネ様と出会う前のことを。
『おまえは特別な子。その力は、人のために使いなさい』
そう言われるのが嫌だった。
あれはきっと、誰にも興味が持てなかったから。心が動いたことがなかったから。
今は違う。
イルレーネ様といると、驚いたり怒ったり感嘆してみたり、とにかく忙しい。
要するに、楽しいのだ。
僕は何も変わってない。
人のために生きるなんて思えないし、退屈は嫌いだし、あいかわらず醒めてるし。
ただ、自分の命の使い道がわかったというだけ。
彼女こそが特別な人。
僕が守りたい大切な人。
この王都ブレストンに咲く白薔薇、麗しの跳ねっかえり姫だ。
お読みいただき、ありがとうございました。
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月戸先生に描いていただいたイルレーネが本当に美しいので、ぜひお手に取ってみてくださいませ。
ピッコマ様でも配信中です。
今後も番外編などの展開を予定しています。
引き続きお付き合いいただけましたら嬉しいです。
 




