番外編5.小さな種、広がる未来
主人公アリッサがプレスターナに来て、一年が経った日のお話。
本編エピローグより前の出来事、アリッサの一人称です。
「アリッサ、来てくれ」
お仕事から帰ったシルヴィオさんが、外套の内ポケットに手を入れながら嬉しそうに言った。
「何でしょう、シルヴィオさん?」
わたしがプレスターナに来て、一年が過ぎようとしている。
聖女として認められ、生活は激変した。
できることも、やるべきことも増えた。毎日が充実していて、それだけに忙しく、気づいたら時が経っていたというのが実感。
目まぐるしい変化の中、『正式な』婚約者となったシルヴィオさんがわたしに向けてくれる笑顔は変わらない。
でも、今日の彼は特別嬉しそう。どうして……?
「きみに見てほしいものがある」
シルヴィオさんが取り出したそれは、片手に収まってしまうほど小さなガラス瓶だった。
コルク栓のすぐ下に薄紅色の細いリボンが掛かっている。
透明な瓶の底には、薄茶色の細かい粒がたくさん入っているのが見えた。
「きゅ?」
ポンポンが小さな翼で飛んできて、小瓶に顔を寄せる。
「ごめんな、ポンポン。食べ物じゃないんだ」
「きゅーん」
なーんだ、とでも言うように鼻を鳴らして、ポンポンはわたしの左肩にちょこんと乗った。
「これは……お花の種、ですか?」
「このリボンと同じ色の花が咲くそうだよ」
瓶を手渡してくれながら、シルヴィオさんが言う。
「咲いているのを見たことがある。ひとつひとつは小さいんだが、丸い花弁が八重に重なっていてね、とても可憐だった。忘れられなくて、種を探したんだよ」
花の形や大きさを手振りで再現しながら、一生懸命に説明してくれる。
リボンと同じ薄紅色の花が咲くのだとしたら、想像するだけで胸がときめく光景に思えた。
「きっと可愛いお花ですね」
「アリッサにぴったりだ。だから、この花は、きみに」
「わたしに……?」
驚くわたしを見下ろして、シルヴィオさんは頷いた。
「ああ。もう長いこと屋敷の庭園は庭師任せにしていたが、新しい花を育てるのもいいと思ったんだ」
「でも、庭園は……シルヴィオさんの大切な場所ですよね」
そう。リーンフェルト邸の見事な庭園には、シルヴィオさんの今は亡きご家族との思い出が、たくさん残っているはず。
そこに、新たな花を植えるなんて。しかも、わたしのために。
これまではなかった植物が加われば、多少なりとも景色が変わってしまう。
正式な婚約者として迎えられてからも、わたしは一切、庭園に手を加えることはしてこなかった。シルヴィオさんにとって、あまりにも愛おしい、いわば聖域のような場所だと思っていたから。
「大切な場所だから、だよ」
シルヴィオさんの声に力がこもる。
「覚えてる? アリッサが我が家に来て、今日でちょうど一年だ」
「……はい」
問いかけられたとき、体温が少し上がったような気がした。
彼も覚えていてくれた。出会った日を。
「きみに出会って、俺の人生は変わった。また未来に向かって生きてみたくなった。だから、これは記念日の贈りものなんだ」
「シルヴィオさん……」
小瓶を握るわたしの手を、シルヴィオさんの大きな両手が包む。
「アリッサ、これからも俺の隣にいてほしい。この花が咲くのを一緒に見てほしい。何度、季節が巡っても」
そこまで言って、シルヴィオさんは恥ずかしそうに付け加える。
「いや、記念日の贈りものにしては、ちょっと小さすぎたかな。すまない」
胸が熱くなる。
大好きなひとの綺麗な瞳を見上げ、泣いてしまいそうになるのを堪えて言葉を絞りだした。
「小さくなんてありません。とっても素敵な贈りものです……ありがとうございます」
「よかった、喜んでくれて」
シルヴィオさんの顔が綻ぶ。
嬉しかった。彼が未来に向かって生きると、あらためて伝えてくれたこと。
出会った日を大切に思ってくれたこと。
そして……これからも隣にいてほしい、と言ってくれたこと。
「きゅー」
ポンポンが目を細め、頬に鼻先を押しつけてくる。一緒に喜んでいるみたいに。
「きゅっ」
ひと声鳴いたポンポンはシルヴィオさんの肩に飛び移り、なんと彼にも同じことをしたから、わたしたちは思わず声を上げて笑ってしまった。
その夜の食卓には、特別に豪華なお料理が並んだ。
腕を奮ってくれたのは、もちろんリーンフェルト家の料理人ユストさん。
わたしには内緒で、一周年記念にとシルヴィオさんが準備をしてくれていたのだ。敵いません、本当に。
――翌日。
シルヴィオさんとわたしは庭園に出て、二人で一緒に種を撒いた。
小さな粒は若葉となって芽吹き、やがて薄紅色の可愛い花が庭園を彩るだろう。
彼がくれた贈り物が、新しい景色となって、わたしたちの前に広がっていく。
その日が、未来が、とても楽しみだ。
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