番外編4.見えない宝箱
本編終了後のお話。
診療所での食事会の前、リーンフェルト家の料理人ユストと、彼に憧れを抱く少女ルティが厨房で準備をしています。
ルティ視点の一人称です。
デニス先生の診療所の狭い厨房に、美味しそうな匂いの湯気が漂ってる。
火の前でお鍋をかき回しているのは、白いコックコートを着た男の人。
あたしは知ってる。きっと彼は魔法使いだ。
「ユストさん、はい」
あたしが差し出した籠を、魔法使い――ユストさんは片手で軽々と受け取る。
「おう、ありがと」
籠の中には、いっぱいのニンジン。
いつもユストさんがやってるのを真似て、あたしが皮を剥いた。
「上手になったな、チビ」
ユストさんが褒めてくれる。
嬉しいけど、チビって呼ぶのはやめてほしい。
「あたしの名前、ルティっていうんだけど」
「知ってるよ」
「もうちょっとで十二歳になるんだけど」
「あっそ」
返事は素っ気ない。いつものこと。
今日は診療所の庭で、子どもたちを集めた食事会がある。
デニス先生とシルヴィオさんは、外でテーブルを並べてる。アリッサやエイダさんが食器の準備をして、小さい子たちはお手伝い。
お料理をしてくれるのはユストさん。あたしは彼の補佐をする。どの仕事より、これがいちばん楽しい。
「ねえ、そのニンジンにも魔法かけるんでしょ」
「魔法じゃねえし」
あたしの質問にユストさんは横顔で笑って、調理用ナイフを手に取った。
(……魔法じゃないっていうけどさ)
ユストさんのナイフがトントントンとリズムを刻むと、見慣れた野菜たちが、あっという間に姿を変える。
ごつごつしたジャガイモは、とろんと滑らかなスープに変わる。
タマネギは長い時間をかけて炒めると、夕焼け色に透きとおって甘くなる。
一本のニンジンは、たくさんの花の形になって、お皿の上でオレンジ色に咲く。
全部、ユストさんに会うまで知らなかった。
「ほら、チビもやってみな」
「うん」
ユストさんが貸してくれたナイフで、あたしもニンジンの花形切りに挑戦する。だけど全然うまくいかない。
「ユストさんってさ、やっぱり魔法使いだよね」
「だから違うっての。その気になりゃ、お前もできるようになるんだよ」
なんにも持たずに生まれた、あたし。
もともと貧乏だったうえに、親はいなくなっちゃったし、ほっぺたには数えきれないほどのそばかす。
そばかすじゃなくて魔力があったら、星読台の神官になったり、騎士団に入って稼ぐ道も拓けたかもしれないのに。
そんなあたしが生まれてはじめて出会った「料理魔法」の使い手、それがユストさん。
ユストさんは、あんまり喋らない。
デニス先生みたいな優しい笑い方はしないし、おもしろい冗談も言わない。
でも、料理のことは教えてくれる。
野菜の切りかた、お魚の捌きかた、もっと美味しく食べるための工夫。あたしが知らなかったいろいろなことを、面倒がらずに何度でも。
そして言う。あたしにも、いつかユストさんと同じことができるって。……そうかな?
「ユストさん、はじめて会ったときに言ってたあれ、ほんと?」
「あれ、って何だよ?」
すごい速さでニンジンを花型に整えながら、ユストさんが聞き返してくる。
「ユストさんが、捨て子だったって話」
「ああ、本当」
答えるユストさんの口調は、天気の話でもするみたいにさりげない。
まえに、ちらっと話してくれたことがある。ユストさんは、王都の北のはずれの出身だって。
ユストさんが生まれたころ、そこは「ひんみんがい」って呼ばれていた。
聖女がプレスターナに来てくれて、みんなの暮らしが良くなる前は、貧しい人がいっぱい住んでて、こわい人もいる場所だったらしい。
相変わらず手は止めずに、ユストさんが言う。
「お前も親がいないんだっけ。強くもなるよな、お互い」
強くもなる、かあ。
苦労するよな、って言葉を選ばないところが、この人らしい。
ユストさんと同じ場所で親に捨てられたら、あたし、たぶん死んじゃう。妹のカティも守れない。
「あのさ、ユストさんは、なんで今のユストさんになれたの?」
「は? どうした、急に」
ユストさんが手を止めて、あたしのほうへ体を向けた。
白いコックコートが、やけに光って見える。
あたしと同じ捨て子だったなんて嘘じゃないのかな。
だって今は、こんなにかっこいい服を着て、立派なお屋敷で料理の仕事をしてる。
「なんで頑張れたの? ぜんぶ嫌になって、投げ出したくなることなかった? 神様に忘れられてるって思ったことなかった?」
だんだん声が大きくなる。
普段は言えない。特に妹の前では。
「あたしは、あるよ。なんであたしにまともな父さんと母さんがいないの、なんでこんなに辛いの、なんで生まれたのって。こんなこと言うのだって嫌でしかたがないんだけど、でも思っちゃうんだよ。神様、あたしのこと忘れてる。なんで、あたしばっかり……」
あたしが言い切る前に、ユストさんの笑い声が被った。
「笑うとこじゃないよ?」
ムッとして抗議する。
めったに笑わないくせに、いま笑うなんて。
ユストさんは「ごめん、ごめん」って、やっぱり笑いながら謝って、肩をすくめた。
「やっぱりお前、俺に似てるわ」
「あたしが、ユストさんと?」
「そう。昔は俺も同じこと考えてたから。けど、どっかで信じてたんだ。俺は運がいいはずだ。いつかでっかい宝箱を見つけるんだって」
「宝箱? なに、それ」
「だから、お宝がいっぱい入った箱さ。人生のどこかに隠されてて、目には見えない。……ま、ひとに聞いたおとぎ話なんだけどさ」
誰に聞いたんだろう、って思ったけど。
そこには触れないまま、ユストさんは続けた。
「物語では宝箱って、歩きにくかったり、危険な罠が仕掛けられた道の先にあるのがお決まりだろ。で、簡単に辿りつけないほうが良いものが入ってるし、何も持ってないやつのほうが両手いっぱいに掴めるんだ」
「掴むって、箱の中には何が入ってるの」
「そりゃ人それぞれさ。とにかく俺は生きて生きて生き続けて、見えない宝箱を見つけてやるって思ってた。蓋を開けて、なりたい自分になるんだって。そうすりゃ神様だって俺のことを思い出す」
……質問の答えが、これ?
あたしは『どうやって』今のユストさんになったのか、方法を聞いたつもりだったんだけど。
「ユストさん、喋るの下手だね」
「お前が喋らせたくせに」
今度はユストさんが、むくれた様子で眉を顰めた。
そんな顔されたって、下手なものは下手だよ。宝箱の例えだって、わかるような、わからないような。
でも……うん。
わかる、ような気がする。この人が言いたかったこと。
そして「じんせい」っていうところに隠された宝箱は、ひとつとは限らない。たぶん。
ユストさんが、ふと柔らかい表情になって言った。
「これは俺の勘だけど。お前も運は悪くないぞ、チビ」
最後の「チビ」が、ちょっとだけ優しく聞こえて、泣きそうになる。
「……ユストさんは、宝箱を開けたんだね」
目を細め、唇の端っこを上げるユストさん。
大人っぽい仕草に見えたのが――いや、この人いちおう大人なんだけど――ちょっとくやしい。
そうだ。
あたしとカティにはデニス先生がいてくれた。
守ってもらえた。盗んだり、誰かを傷つけたりしないでいられた。辛くても踏みとどまれた。
デニス先生に会えて、アリッサに会えて、目の前にいる白いコックコートの魔法使いに出会えて――未来が少しだけ明るく見えるようになった。
ユストさんの宝箱の中身は、何だったんだろう。
暗い場所から抜け出すきっかけ?
おとぎ話を教えてくれた誰かさんとの出会い?
それとも、料理の才能とか……?
探るように見つめているあたしに、魔法使いは揶揄うように尋ねた。
「お前の宝箱は、どこにあるんだろうな」
「もう、みつけたもん」
「へー、そうなんだ」
軽く流して、ふたたび作業を始めるユストさん。
中身は何だった? とか聞いてくれたらいいのに。
この流れなら聞くよね、普通。気が利かないひとだな、もう。
「ユストさん、喋るの下手だね」
「それ二回目」
「ねえ、あたし料理人になろうかな」
「いいんじゃない」
「それだけ? お前ならなれるよとか言えば?」
「まず練習しな」
「はいはい」
「返事は一回」
「はい」
やりとりの間にもユストさんの長い指はナイフを操り、ニンジンを花に変えていく。
やっぱりすごい。魔法みたい。
いつか、あたしも同じ魔法が使えるようになる……はず。ううん、絶対に。
だってあたしは、もう宝箱を開けたから。
お読みいただき、ありがとうございました。
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