番外編3.黒猫と収穫祭の悪戯
秋ですね。
プレスターナにもハロウィンに似た行事があるようで、アリッサが準備に追われています。
アリッサとシルヴィオが正式な婚約者になった後の出来事、アリッサ視点のお話です。
「できた……これで完成です!」
数時間に渡る手作業を終えて、わたしは思わず安堵の声を上げた。
一緒に針仕事に勤しんでくれたメイドのエイダさんが、テーブルの向かい側でニッコリ笑う。
「吸血鬼のマント、黒魔導士風の帽子、コウモリの羽型の髪飾り……こんなにたくさん! 収穫祭に間に合ってよかったですわね、アリッサ様!」
リーンフェルト邸、二階の一室。
大きなテーブルの上いっぱいに広げられているのは、裁縫道具、色とりどりの端切れ、ビーズの入った箱……そして、わたしとエイダさんで手作りしたたくさんの仮装用の小道具。
「明日、デニス先生の診療所に持って行って、子供たちに使ってもらいます」
「楽しい夕食会になりそうですわね!」
「きゅー!」
小さな翼でテーブルに飛んできたポンポンを思いきり撫でてあげる。
「ポンポン、お利口さんだったわね」
「きゅきゅう」
嬉しそうに喉を鳴らすポンポン。
作業が終わるまで、暖炉の上でおとなしく待っていてくれたのだ。たくさん構ってあげなくちゃ。
こんなにたくさんの衣装や小物――しかも、なにやら恐ろしげなモチーフばかり――をつくることになったのには、理由がある。
それは、明日に迫った収穫祭。
毎年秋に行われるお祭り。
作物の実りを祝い、神様に感謝するというのは、わたしが育ったダルトア王国と同じ。
けれど、ここプレスターナでは、収穫祭の夜には死者の魂が地上に戻ると言い伝えられているそうだ。
生者は家で蝋燭を灯し、亡き先祖の魂を迎える。悪魔や鬼の仮装をして。
「……仮装?」
最初に話を聞いたときは驚いて、教えてくれたデニス先生に思わず確認してしまった。
「本当に仮装をするんですか? 収穫祭に? なぜ?」
「面白い習慣だよね。でも、ちゃんと意味があるんだよ」
不思議がるわたしに、デニス先生は丁寧に説明してくれた。
「死者が戻ってくる日だから、善良な魂に紛れて悪い霊も現れるかもしれない。悪霊に悪戯されないように、彼らの仲間のふりをして身を守るのさ」
「悪霊の目を欺くために、わざと悪いモノの格好をするんですね」
「そう。今ではお祭りの要素が強いし、小さな子たちが楽しみにしているよ。みんなで歌いながら近所を練り歩くんだ」
収穫祭の夜は、いわゆる「おばけ」の格好をした子供たちが列を組み、呪文のように歌いながら家々をまわる。
『蝋燭をくれなきゃ、悪戯するぞ』
仮装行列が玄関先に来たら、その家の人たちは用意しておいた小さな蝋燭を子供たちに渡すのがお約束。
仮装した子を悪霊に見立てて、貢物を渡してお帰りいただく儀式なんだって。
「どうして蝋燭なんでしょう?」
「生活に欠かせないものだし、闇を払う光の象徴でもあるからね。どんな家でも収穫祭の夜だけは子供たちに蝋燭をくれる。まあ、おまじないみたいなものだよ」
デニス先生の診療所でも、毎年、診療所に集まる子供たちを集めて夕食会を開催しているそう。
仮装をしたがる子は多いけれど、これまでは資金も時間もなく、実現しなかったという。
それを聞いて、わたしは夕食会で子供たちが使う衣裳を用意したくなってしまった。
幸い今のわたしには、材料を揃える余裕がある。
裁縫だってできるし、大丈夫と思っていたのだけど。
これが、予想以上に大変だった……!
簡単な髪飾りや帽子でも、何十個も手作りするのは結構な手間がかかるもの。
窮状に救いの手を差し伸べてくれたのが、エイダさんだったのだ。
「アリッサ様ったら、何故おひとりで頑張ろうとなさるんですの? お手伝いさせてくださいませ! このエイダ、お料理とお裁縫には自信がございますのよ」
「エイダさん、ありがとうございますー!」
つい何でも自分でやろうとしてしまう癖は、なかなか抜けない。
今は聖女と呼ばれているけれど、付き人として過ごした年月のほうが圧倒的に長いものね……。
それからエイダさんと二人、必死で針を動かし続け、ようやく今、準備が終わったというわけ。
「本当によかった……エイダさんがお手伝いしてくださったおかげです」
「いちばん頑張られたのはアリッサ様ですわ。明日が楽しみですわね」
おしゃべりしながら裁縫道具を片付けていると、お邸の中が俄かにざわつきはじめた。
階下から鐘を振る音がして、複数の足音が外へと向かっていく。
このリーンフェルト邸の主、そして今はわたしの正式な婚約者でもあるシルヴィオさんが、お仕事を終えて帰ってきたのだ。
エイダさんが立ち上がる。
「わたくし、旦那様のお迎えに行ってまいりますわ」
「エイダさん、わたしも」
一緒に部屋を出ようとしたところで、エイダさんが足を止めた。
「あっ! アリッサ様はこちらで。わたくし、良いことを思いつきましたの」
目を輝かせたエイダさんが、出来上がったばかりの髪飾りのひとつを手に取る。
着けると頭から黒猫の耳が生えているように見えるカチューシャだ。
それをわたしの頭に乗せながら、わくわくした様子でエイダさんは言った。
「うーん、かわいいですわ! アリッサ様、よくお似合いでございます。この猫耳カチューシャを着けたままお迎えして、旦那様をビックリさせちゃいましょう。だって収穫祭ですもの!」
「え、ええっ!?」
「よろしいですか、旦那様がお部屋に入ってきたら『蝋燭をくれなきゃ悪戯するぞ!』っておっしゃるんですのよ。では、隠れてお待ちになっていてくださいませー!」
早口で言いたいことを全部言い、小走りで部屋を出て行くエイダさん。
楽しいことが大好きな彼女らしい発想ではある、けれど。
「どうしよう……ポンポン、わたしにできるかしら?」
テーブルの上のポンポンは、「きゅう?」と小さく鳴いて小首を傾げた。
ポンポンとわたしだけが残された部屋には、いつもとは違う甘い香りが漂っている。
花の香りの蝋燭を焚いているせいだ。収穫祭のために用意した特別な品らしい。
そうこうしているうちに、階段を上る足音が近づいてくる。
慌ててテーブルの下に隠れると、ほとんど同時に部屋の入り口で声がした。
「帰ったよ、アリッサ」
シルヴィオさんだ。
「ん? 変だな、この部屋にいると聞いたのに。なあポンポン、我が愛しの聖女様の居場所を知らないか?」
芝居がかった口調でポンポンに話しかけている。
彼のことだから、わたしがテーブルの下に隠れていることなんて一瞬で見抜いているはず。そのうえで、わざと言っているのだ。
(これはもう……やるしかない!)
思い切ってテーブルの下から顔を出し、わたしはエイダさんに教わった台詞を口にした。
「蝋燭をくれないと、い、悪戯しちゃいますよっ」
シルヴィオさんが、目を丸くしてわたしを見下ろす。
そして、声を上げて笑い出した。
「そ……そんなに、おかしかったですか?」
頑張っておどけてみせたものの、ここまでの反応が返ってくるとは思っていなかった。
自分がやったことなのに、急に恥ずかしくなる。
笑いすぎてお腹を抱えながら、シルヴィオさんが首を横に振った。
「いや、おかしくなんかないよ。驚いただけさ、まさかアリッサに猫の耳が生えているとは思わなかったから」
テーブルの上に広げたままの衣装や髪飾りに目をやって、続ける。
「すごいな。全部アリッサが作ったのかい?」
「エイダさんにもお手伝いしていただきました。診療所の子供たちに仮装を楽しんでもらいたくて」
「それはいい。みんな喜ぶだろう」
微笑みを浮かべ、シルヴィオさんが頷いてくれる。
そして微笑みを浮かべ、独り言のように続けた。
「……そうか。収穫祭の仮装か」
若葉のような緑の瞳の奥に、わずかに悲しみの色が過った気がした。
「シルヴィオさん……?」
「ああ、昔のことを思い出したんだ。俺も幼い頃はこんな格好をしたよ。妹と一緒に騒ぎすぎて両親に叱られたりしてね。懐かしいな」
思わず息を呑んだ。
シルヴィオさんのご両親は、彼が成人を迎える前にこの世を去っている。
しかも、その後シルヴィオさんは、妹君ソフィアさんまでも不慮の事故で失ってしまった。
いま彼の胸に甦っているのは、愛する家族と過ごした記憶。幸せだった過去。
二度と会えない、シルヴィオさんの大切なひとたち――
「あれ、アリッサ? どうした、泣いているのか?」
慌てたようなシルヴィオさんの声。
押し寄せる恥ずかしさと後悔に、わたしは両手で顔を覆い、蹲っていた。
「ごめんなさい……ふざけたりして。わたし、無神経でした。シルヴィオさんにとって大切な日なのに……」
楽しい行事として仮装が定着していると同時に、プレスターナの収穫祭は、亡き人の思い出と向き合う期間でもあるはずだ。
シルヴィオさんは、わたしに出会う以前の自分を「生きながら死んでいた」と語ったことがある。
ご家族を亡くして以来、リーンフェルト家では収穫祭を祝うことはなかったのだろう。
シルヴィオさんにとっての収穫祭は、特別な蝋燭に火を灯し、愛しい過去を悼む日。
ううん、もしかしたら彼は、昔を振り返ることさえ自制していたのかもしれない。
少し考えたら、わかったはずなのに……!
「違う、違うんだ。すまない、アリッサ」
シルヴィオさんが長身を屈め、わたしの泣き顔を覗きこむ。
「俺は嬉しいんだよ。この家で、もういちど収穫祭の話ができるなんて。また笑える、未来が楽しみだと思える。きみのおかげだ。どんなに幸せか、わかるかい?」
「シルヴィオさん……」
長い指が、頬を伝う涙を拭ってくれる。
「俺の両親や妹を想って、涙を流してくれたのか。……ありがとう。優しいね、きみは」
「優しいのはシルヴィオさんです。シルヴィオさんのご家族も、きっと温かい心をお持ちだったんでしょうね」
「そんなふうに言ってもらえて嬉しいよ」
シルヴィオさんの言葉は、いつも温もりに満ちている。
わたしの想いを受け止め、理解し、思いやりで包み込んでくれる。
きっと、彼自身が存在を認められ、愛されることの喜びを知っているから。そして、深い孤独をも知る人だからだ。
シルヴィオさんの心の奥にある悲しみ、寂しさ。
すべて消すことはできなくても、少しでも癒してあげられるような存在になりたい。小さくても闇を照らす蝋燭の光のように。
心から、そう思った。
「さて、と」
照れたように笑って、シルヴィオさんが背筋を伸ばした。
そして両手を広げ、おどけるように言う。
「可愛い黒猫さん。あいにく今夜は、きみにあげる蝋燭の用意がない。だから、おとなしく悪戯されることにするよ」
「えっ? いいえ、あれは冗談です。シルヴィオさんに悪戯なんて」
「遠慮しないで、どんなことでもどうぞ」
「でも、なにも思いつかないんですもの……」
「そう。じゃ、俺のほうからいい?」
え、と思う間もなく、シルヴィオさんの顔が近づいた。
左の頬に接吻が降りてくる。
急な展開に言葉を失うわたしを、シルヴィオさんの両腕が強く抱きしめた。
「アリッサ。きみは俺の光だ。そばにいてくれ、この先もずっと」
耳もとで聞こえる、優しい囁き。
「……は……い……」
ああ、だめだ。
そう答えるのが、精いっぱい。
口づけをされると未だに胸が熱くなってしまう。
わたし、いつになったら彼の愛情に狼狽えず、うまく返事ができるようになるんだろう?
パタパタと羽音がして、ポンポンが飛んできた。
「きゅっ!」
わたしたちの胸の間に嬉しそうに飛び込んでくる。
シルヴィオさんが、また明るい声で笑った。
「わかってるよ。ポンポン、お前も一緒だ。二人とも、俺の家族になってくれてありがとう」
願わずにはいられない。
来年も再来年も、収穫祭には、こうしてみんなで笑い合うことができますように。
いつまでも、ずっと。
お読みいただき、ありがとうございました。
ブックマークしてくださる方、評価をくださった方、とても励みになっています。重ねて御礼申し上げます。
本作「元・付き人令嬢の偽装婚約」は、一迅社様より書籍化の準備が進んでおります。
詳細が決まり次第お知らせしますので、お心に留めていただけると嬉しいです!




