番外編1.いつか、なんでもない日に
今日はエイプリルフールということで、急に思いついてしまった番外編を更新します。
リーンフェルト家の料理人ユストの一人称。
第一章と第二章の間くらいの出来事です。
コン、コン。
誰かが部屋の扉を叩く音がする。
(……うるさいな)
ベッドから出るのが億劫だ。
昨夜から続く熱のせいで頭がぼうっとする。ひどい風邪をひいたもんだ。
料理人の仕事も休んでしまった。
リーンフェルト家の料理人として働くようになってから初めてのことだ。
今日だけは助手のイアンに厨房を任せてきた。あいつもかなり腕を上げているから心配ないと思うけど、俺は正直、落ち込んでる。放っておいてもらいたい。
なのに。
コン、コン、コン。
コン、ココ、コン。
しばらく経ってもノックの音は続いている。何ならリズミカルになっていく。
(勘弁してくれよ……こっちは病人だぞ)
ふらつく足でベッドから立ち上がった。
こんなに何度も俺の部屋の扉を叩く人間なんて、一人しかいない。
「エイダ、お前いい加減に」
「ユスト! 風邪をひいたんですって? 大丈夫ですの!?」
扉を細く開けたとたん、一人の女が部屋に押し入ってきた。
両手に抱えていた大荷物を置くと、すごい勢いで自分の掌を俺の額に当てる。
「熱がありますわね。無理して立ち上がったりしないで、おとなしく寝てなくちゃだめですわよ!」
「いや、お前がしつこくノックするから……」
「いいからベッドに戻って! 病人は安静にしていてくださいな!」
ぐいぐい背中を押され、ベッドに叩き込まれた。華奢なくせに力が強いのが腹立たしい。
この騒がしい訪問者の名前はエイダ。
リーンフェルト侯爵家のメイドだ。俺にとっては仕事仲間にあたる。
もっとも大人になってから雇われた俺と違って、エイダの家は代々侯爵家に仕えているそうだから、俺から見れば立派なお嬢様だ。
「ユストがお仕事を休んでしまうなんて、よっぽど辛いんですのね。何かしてほしいことはありません? あ、寝間着を取りかえましょうか。お着替え、お手伝いします?」
「ばっ……かじゃねえの、いいって!」
「遠慮しなくてよろしいんですのにー」
そうだ。エイダはこういう人間だ。
困っている人がいると放っておけない。お節介焼きな性格だし、メイドは天職だろう。
最近になって、俺たちの主人のリーンフェルト侯シルヴィオ様が婚約者を迎えた。
将来この邸の女主人となるアリッサ様は謎の多い女性だけど、良い人だと俺はみている。何せ貴族の婚約者がいるのに無駄遣いひとつせず、あげく病院勤めを始めてしまうくらいだから。
アリッサ様は記憶の一部を喪失しているらしく、困ることも多そうだ。
それでも身のまわりのお世話をしているのがこのエイダだから、かなり助けられていると思う。
「じゃ、まずは頭を冷やしましょうね」
エイダは大荷物の中から氷で冷やした布を取り出し、絞って俺の額に載せる。
「いかがです? 気持ちいいですか?」
「……う、うん、まあ」
顔が近い。
意外と美人なのが、また質が悪い。
「よかったですわ!」
にっこりと笑うエイダ。
お仕着せのメイド服でなく私物のドレスに身を包み、髪をおろした姿は、なんだかいつもと違って見える。
「本当に風邪をひいちゃったんですのね。可哀想に……ユストに限って、嘘をついてお仕事を休むなんて絶対にないと思ってましたけれど」
床に置いた大荷物をごそごそとやりながら、エイダが言う。
「嘘? なんで」
「ほら、今日って『四月馬鹿』ですから、一応」
「……ああ」
そういえば、今日は四の月の一日だったか。
四月馬鹿。
この言葉は、貴族の屋敷で料理人として働くようになってから知った。
なんでも、四の月の最初の日だけは、嘘をついても許されるらしい。
嘘を娯楽にするわけだ。文字通り馬鹿げた謎の習慣は、裕福層の人々の中では以前から楽しまれているという。
嘘をついてもいい日なんて、子供の頃には聞いたこともなかった。
そんなもの存在しなかった。何より、昔の俺にとって嘘をつくのは特別なことではなかったのだ。
俺が育ったのは王都の外れ。
貧しい者ばかりが住む、いわゆる貧民街だ。
いつも腹が減っていた。誰も信じられなかった。
地を這うような暮らしを強いられる毎日。
悪人がごろごろいる場所で身を守るためには、嘘をつくことなんて当たり前だった。
そうしなければ生き残れなかった。特に、俺みたいに親に捨てられた子供たちは。
だって、誰も助けてはくれないんだから。
もちろん嘘も裏切りも、人として忌むべき行為だ。そのくらい、今も昔もわかってる。
ただ、それが、子供の頃の俺を取り巻いていた日常だった。
そして、その頃の俺は――自分が大嫌いだった。
だから「嘘を楽しむ」なんてお気楽な行事には迎合する気になれない。
嘘をつかずに生きられるなら、そうしたい。
あの暗い日々から遠く離れた、今だからこそ。
「ユスト?」
黙りこんだ俺の顔を、エイダが心配そうに覗き込んだ。
「悪いな、料理休んじまって」
「あなたは悪くないでしょう。人間ですもの、ときには体調も崩しますし元気の出ない日だってありますわ。だから助け合って生きるんです」
「助け合って……」
「そう。ユストはいつも、みんなのために頑張ってくれてるんですから。今日は、あなたが助けてもらう番。わたくしに出来ることは何でも言ってくださいね」
「……」
「それで体調がよくなったら、また美味しいお料理を食べさせてくださいな。わたくし、ユストのつくるご飯が、いちばん好きです」
助け合って生きる。
ユストのご飯が、いちばん好き。
(……なんでもないことみたいに言いやがって)
つくづく、お嬢様だよな、と思う。おめでたいやつだ。
――でも、眩しい。
俺がずっと欲しかった言葉を、エイダはくれる。
ここに居ていいんだ、生きていていいんだと思わせてくれる。
その笑顔で。お節介な行動の、すべてで。
……と、柄にもなく感動していたら。
背中を向けたエイダが、大きな麻袋から何かを取り出した。蓋つきの鍋だ。
「おいエイダ、まさかそれ」
満面の笑みを浮かべてエイダが振り返る。
「はい! わたくしのつくった薬草リゾットです。食欲なくても食べないといけませんよ」
「遠慮する」
「大丈夫ですわ、食べてください」
「いきなり安全性を主張されるとよけい怖い」
忘れていた。俺としたことが。
エイダは料理が下手だ。壊滅的に下手だ。それは別に、いい。人には得手不得手ってものがある。
恐ろしいのは、隙あらば俺に自分の手料理を食べさせようとすることだ。
心臓が強すぎる。普通できないだろ、まがりなりにもプロの料理人の俺を相手に……!
「我儘はいけませんよ、早く治すには栄養を採らないと! このリゾット、アリッサ様から教わったんですの。お医者様のデニス先生直伝のレシピですって。さあ召し上がれ!」
「うう……」
無理やり匙を握らされる。病人に酷い仕打ちだ。
手元の器には、草っぽい緑に玉子の黄色が散ったリゾット。
あんまり美味そうには見えない。いや、率直に言って不味そうだ。
目の前には、期待に満ちた顔で見つめるエイダ。
だめだ、もう逃げられない。
仕方なく、薬草リゾットとやらを口に含んだ。
「いかがですか?」
「……意外と、いける」
驚いた。
これはアリッサ様とデニス医師(俺は会ったことないけど)に感謝するべきだろう。料理音痴のエイダにまともなレシピを授けてくれたんだから。
「本当ですか!?」
エイダの顔に、ぱあっと笑みが広がった。
「嬉しい。ユストに誉められると、すごく嬉しいです。食べてくれて、ありがとうございます」
素直に喜ぶエイダが――やけに可愛いと思ってしまったのは、風邪の熱のせいじゃない。本当の気持ちだった。
だから、唐突に言ってしまったんだと思う。ずっと心に秘めていた、言葉を。
「エイダ。結婚しよう」
「……え!?」
エイダの頬が、みるみる赤くなる。まるで高級な林檎みたいに綺麗だと思った。
そのまま頷いてほしかった、のに。
「あっ! あやうく本気にするところでした! もうー、ユストってば、こういうのはいけませんよ!」
「は?」
「四月馬鹿の嘘は、もっと気が利いた、笑える嘘じゃないと! 相手がわたくしだったから良かったようなものの……気をつけてくださいね!」
「……ああ、うん」
「びっくりしましたわー、ユストって冗談も言うんですのねー、あ、洗濯物あずかっていきますからねー」
早口で言って身を翻し、エイダは俺が放り出したままにしていた洗濯物を勝手に袋に詰めはじめる。
(わかってないな、あいつ)
心の中で愚痴って、残りのリゾットを口に押し込んだ。
なんだよ、嘘って。四月馬鹿なんて、俺はそんなものには乗らないんだよ。
「エイダ」
「は、はい!?」
振り向くエイダ。両頬がまだ赤い。
俺も今、似たような顔してるんだろう。
「差し入れ、ありがとうな。熱が下がったら、お前の好きなプディングつくってやる。カラメルソースたっぷりかけた甘いやつ」
「……はい、楽しみにしてますわねっ!」
なんて笑顔だよ。
ていうか、求婚は流したくせに、どうしてプディングは信じるんだ。そういうところ、どうかと思うぞ。
ベッドに身を投げ出し、頭から毛布をひっかぶる。
(やっぱり、四月馬鹿なんて嫌いだ)
明日にでも、めちゃくちゃ美味いプディングをつくろう。腕によりをかけて。
それを食べたら、エイダも気づいてくれるだろうか。どんな時でも、俺は彼女に嘘なんかつかないってことを。
そして――この想いは改めて、ちゃんと伝えるんだ。
いつか、なんでもない日に。
お読みいただき、ありがとうございました。
久しぶりに「付き人令嬢」の登場人物のお話を書けて楽しかったです。
ときどき番外編を追加していきますね。
今後もお付き合いいただけましたら嬉しいです。




